2024-06-11

100th Death Anniversary of Théodore Dubois

François-Clément-Théodore Dubois (France, 1837 - 1924) - À l'aventure. 12 Pièces brèves pour piano (Paris: Henri Heugel, 1918); No. 10. Petit prélude sérieux. Moderato (C minor).

今日はフランスの作曲家・オルガン奏者・音楽教師、テオドール・デュボワ没後100年の命日です。今回はデュボワ作曲「気の向くままに、ピアノのための12の小品」より第10曲「厳格な小前奏曲 ハ短調」を弾きました。

テオドール・デュボワは1837年8月24日にフランス共和国マルヌ県ロネ (Rosnay) で、父は籠職人、祖父は小学校教師という音楽とは縁遠い家庭に生まれました。ランス・ノートルダム大聖堂 (Cathédrale Notre-Dame de Reims) 聖歌隊指揮者ルイ・ファナール (Louis Fanart) の下でピアノを学んで楽才を示すと、ロネ市長ウジェーヌ・ブルイユ (Eugène de Breuil) によりパリ音楽院の教授陣に引き合わされ、1854年の音楽院入学の際には通学のための下宿をブルイユから用意されました。パリ音楽院ではアントワーヌ=フランソワ・マルモンテル (Antoine-François Marmontel, 1816 - 1898) にピアノを、フランソワ・ブノワ (François Benoist, 1794 - 1878) にオルガンを、フランソワ・バザン (François Bazin, 1816 - 1878) に和声法を、アンブロワーズ・トマ (Ambroise Thomas, 1811 - 1896) にフーガと対位法を師事し、1856年に和声法で、1857年にフーガと対位法で、1859年にオルガンでそれぞれ一等賞を獲得し卒業。音楽院在学中の1855年からサン・ルイ・デザンヴァリッド大聖堂 (Cathédrale Saint-Louis-des-Invalides) オルガン奏者、1858年からサント・クロチルド聖堂 (Basilique Sainte-Clotilde et Sainte-Valère) オルガン奏者 (このときの正オルガン奏者はセザール・フランク César Franck, 1822 - 1890) を務めました。1861年にはローマ賞第一等を受賞し、留学先のローマでジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ (Giovanni Pierluigi da Palestrina, ca. 1525 - 1594) の音楽に強い印象を受けました。

1863年から1869年までサント・クロチルド聖堂聖歌隊指揮者、1870年代初頭に演奏会協会 (Société des Concerts) 指揮者を務め、1877年にカミーユ・サン=サーンス (Camille Saint-Saëns, 1835 - 1921) の後任としてマドレーヌ教会 (Église de la Madeleine) 大オルガン奏者に就任。母校のパリ音楽院で教員となり、1871年から1891年まで和声法、1891年から1896年まで作曲法を教え、1896年から1905年まで院長を務めました。1905年のローマ賞で、有力視されていたモーリス・ラヴェル (Maurice Ravel, 1875 - 1937) が一次予選で落選したこと、本選出場者全員が審査員シャルル・ルヌヴー (Charles Lenepveu, 1840 - 1910) 門下だったことがスキャンダルとなり、責任を追及されたデュボワはパリ音楽院院長を辞任することとなりました。また、1884年から1896年まで音楽視学官 (inspecteur d'éducation musicale) も務めています。音楽理論に関する著書に『対位法とフーガ概論 Traité de contrepoint et de fugue 』(Paris: Heugel, 1901)、『理論的で実践的な和声法概論 Traité d’harmonie théorique et pratique 』(Paris: Heugel, 1921) などがあります。1924年6月11日にパリで亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

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