Henri Messerer (France, 1838 - 1923) - Lamento pour orugue ou harmonium. Largo (C sharp minor).
今日はフランスの作曲家・オルガン奏者・音楽教師、アンリ・メスレル没後100年の命日です。今回はメスレル作曲、オルガンまたはハルモニウムのための「哀歌 嬰ハ短調」を弾きました。楽譜は「オルガンの同時代の大家、オルガンまたはハルモニウムのための未発表小品集 Maîtres contemporains de l’orgue. Pièces inédites pour orgue ou harmonium 」第2巻 (Paris: Senart, Roudanez & Cie., 1912) の32-33頁に収録されています。
アンリ・メスレルは1838年5月19日にフランス王国南部の港湾都市マルセイユ (Marseille) で、アルザス出身の家族に生まれました。家具職人・ピアノ製作者である父の意向によりストラスブール音楽院 (Conservatoire de Strasbourg) で学ぶこととなり、同院のジョゼフ・シフマシェル (Joseph Schiffmacher, 1827 - 1888) に師事しました。1850年代にマルセイユに戻り、オルガン奏者であるルイ・ビニョン (Louis Bignon, 1827/1828 - 1874) にオルガン、和声法、対位法、作曲法を師事し、ニコラ・マルタン (Nicolas Martin, 1811 - 1882) からも作曲法を学びました。
サン=ジャン=バティスト教会 (Église Saint-Jean-Baptiste de Marseille) オルガン奏者、サン=マルタン臨時大聖堂 (Cathédrale provisoire de Saint-Martin à Marseille) オルガン奏者を経て、1873年にサン=シャルル教会 (Église Saint-Charles de Marseille) 大オルガン (アリスティド・カヴァイエ=コル (Aristide Cavaillé-Col, 1811 - 1899) 製作) のオルガン奏者に就任しました。音楽教師としてはオルガン、和声法、フーガ、作曲法を教え、1883年にマルセイユ音楽院 (Conservatoire de Marseille) の院長 (在任: 1883-1884, 1889-1898, 1903-1904) に就任。楽器店、コンサートホール、音楽出版業の経営も行いました。1923年10月5日にマルセイユで亡くなりました。
マルセイユ市はメスレルに敬意を表し、市内のある街路にアンリ・メスレル通り (Rue Henri Messerer) と名付けました。
出典:
- Geoffroy, Olivier (June 2017). “Henri Messerer”. Musica et Memoria. Retrieved 2023-10-05.
- Joubert, Joseph (1912). “Henri MESSERER”. Notices biographiques et bibliographiques. Maîtres contemporains de l’orgue, pièces inédites pour orgue ou harmonium, Volume 2. Paris: Senart, Roudanez & Cie. pages 1-2.
- “PRÉSENTATION”. Conservatoire Pierre Barbizet de Marseille. Retrieved 2023-10-05.
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