Charles Samuel Bovy-Lysberg (Switzerland, 1821 - 1873) - Sous bois et Expansion, Op. 124 (Paris: Heugel, 1870); No. 1. Sous bois. Andante maestoso (À mademoiselle Marguerite Baron. D flat major)
4 Romances sans paroles, Op. 15 (À Mr. Émile Marie. Paris: S. Richault, 1843); No. 3. Andantino quasi allegretto (A major).
今日はスイスの作曲家・ピアノ奏者、シャルル・サミュエル・ボヴィ=リスベルク生誕200年の誕生日です。今回はボヴィ=リスベルク作曲「木立の下で 変ニ長調 Op. 124 No. 1」を弾きました。フランス語の成句 "Sous bois" は絵画の題にもよく使われ、「森の中」などと訳されることもあります。楽譜には題辞として "C. R." とイニシャルで表記された人物による詩 (........... C'est l'harmonie) が書かれ、曲中に le coucou とあるとおりカッコウの鳴き声が模倣されています。
シャルル・サミュエル・ボヴィ=リスベルクは、彫刻師・メダル製作者であるアントワーヌ・ボヴィ (Antoine Bovy, 1795 - 1877) の子として1821年5月1日 (または3月1日) にジュネーヴで生まれました。1835年にパリに移り、フレデリク・ショパン (Frédéric Chopin, 1810 - 1849) にピアノを、ジャック=オーギュスト・ドレール (Jacques-Auguste Delaire, 1795 - 1864) に和声学を、アントワーヌ・マルモンテル (Antoine François Marmontel, 1816 - 1898) に作曲を師事しました。フランツ・リスト (Franz Liszt, 1811 - 1886) と知り合い、彼の手助けもあって自身のピアノのためのワルツ集 Suissesses, Op. 1 をリショー (Richault) から出版しました。
まもなくピアノ教師として有名となりましたが、1848年にフランス二月革命が起こるとジュネーヴに戻り、1849年までジュネーヴ音楽院でピアノを教えました。1848年にはジュネーヴの政治家ジェムス・ファジ (James Fazy, 1794 - 1878) の姪アリス・ファジ (Alice Fazy) と結婚し、翌年に彼女の父ジャン=ルイ・ファジ (Jean-Louis Fazy) が所有するダルダニー (Dardagny) のダルダニー城 (Château de Dardagny) に彼女と二人で移りました。1870年から1873年まで再びジュネーヴ音楽院のピアノ教師を務めましたが、1873年2月14日 (または2月15日, 2月25日) にジュネーヴで亡くなりました。
(追記 2023-02-14) 没後150年を記念してボヴィ=リスベルク作曲「4つの無言歌 Op. 15」より第3番 イ長調を弾きました。関連記事: 150th Death Anniversary of Charles Samuel Bovy-Lysberg
出典:
- Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Bovy, Charles-Samuel”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. pages 107-108. Retrieved 2021-04-30.
- Boschetti, Paolo (2002-01-22). “Bovy-Lysberg, Charles Samuel”. Dizionario storico della Svizzera (DSS). Retrieved 2021-04-30.
- Bosonnet, F. R. (2001). “Bovy-Lysberg [Lysberg], Charles Samuel”. Grove Music Online. Retrieved 2021-04-30.
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