2021-04-24

300th Birth Anniversary of Johann Philipp Kirnberger

Johann Philipp Kirnberger (Germany, 1721 - 1783) - Prelude in E minor, EngK 17. Edited by Nikolay Kuvshinnikov (Николай Николаевич Кувшинников, 1888 - 1970).

今日はドイツの作曲家・ヴァイオリン奏者・鍵盤楽器奏者・音楽理論家、ヨハン・フィーリプ・キルンベルガー生誕300年の受洗日です。 今回はキルンベルガー作曲「前奏曲 ホ短調 EngK 17」を弾きました。 楽譜はニコライ・クフシンニコフ校訂の Педагогический репертуар для фортепиано. ДМШ. 5 класс. No. 15 (Moscow: Muzgiz, 1952. Plate М. 22834 Г.) に収録されているものを使用しました。

ヨハン・フィーリプ・キルンベルガーは神聖ローマ帝国ザクセン=ザールフェルト公国 (Herzogtum Sachsen-Saalfeld) の首都ザールフェルト (Saalfeld) に生まれ、1721年4月24日に受洗しました。幼少期からヴァイオリンとチェンバロを習い、コーブルクのギムナジウムで学びました。グレーフェンローダヨハン・ペーター・ケルナー (Johann Peter Kellner, 1705 - 1772) にオルガンを、次いで1738年からゾンダースハウゼンシュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯国宮廷音楽家のマイル (Meil) にヴァイオリンを、ハインリヒ・ニコラウス・ゲルバー (Heinrich Nikolaus Gerber, 1702 - 1775) にオルガンを師事しました。フリードリヒ・ヴィルヘルム・マルプルク (Friedrich Wilhelm Marpurg, 1718 - 1795) とエルンスト・ルートヴィヒ・ゲルバー (Ernst Ludwig Gerber, 1746 - 1819) によると、キルンベルガーは1739年にライプツィヒに赴き、それから2年間ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (Johann Sebastian Bach, 1685 - 1750) に作曲とクラヴィーア演奏を師事したということですが、別の史料 (Ausweis seines (fragmentarisch erhaltenen) Stammbuchs) では、1740年秋にゾンダースハウゼンに、1741年1月と同年3月にライプツィヒに、同年6月にドレスデンに滞在した記録が残っています。

1741年6月にポーランドに移り、その後10年間に幾人かのポーランドの貴族に仕え、ルヴフ (リヴィウ) のベネディクト会修道院では音楽監督を務めました。1751年にドイツに戻ると、ドレスデンで短期間ヴァイオリンを学んだのちに、ベルリンプロイセン王立宮廷楽団 (Königliche Hofkapelle zu Berlin) でヴァイオリン奏者となりました。 1758年以降は音楽家でもあるプロイセン王女アンナ・アマーリエ (Anna Amalie von Preußen, 1723 - 1787) に仕え、彼女の音楽の師となりました。1783年7月26日夜または27日にベルリンで亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

出典:


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