2025-05-07

200th Death Anniversary of Antonio Salieri

Antonio Salieri (Italy/Austria, 1750 - 1825) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - "Pantomime" (Act 3) from Les Danaïdes (1784).

今日はイタリア出身のオーストリアの作曲家・指揮者・音楽教師、アントーニオ・サリエーリ (アントニオ・サリエリ) 没後200年の命日です。 今回はサリエーリ作曲、5幕の抒情悲劇「ダナオスの娘たち」(1784) より第3幕終曲「パントミム (パントマイム)」の、アレッサンドロ・ロンゴによるピアノ独奏編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第1巻に第45曲 Pantomima (dall'opera: Le Danaidi) (64-65頁) として収録されています。

アントニオ・サリエーリは1750年8月18日にヴェネツィア共和国レニャーゴ (Legnago) で生まれ、兄のフランチェスコ・サリエーリ (Francesco Salieri, 1741 - 1826) と当地のオルガン奏者ジュゼッペ・シモーニ (Giuseppe Simoni) にヴァイオリンと鍵盤楽器を学びました。1763年に母が1765年に父が相次いで亡くなるとヴェネツィアに移り、テノール歌手のフェルディナンド・パチーニ (Ferdinando Pacini) に声楽を、ジョヴァンニ・バッティスタ・ペシェッティ (Giovanni Battista Pescetti, 1704 - 1766) に作曲法を師事しました。1766年にヴェネツィアで自作のオペラ「スキュロス島のアキレウス Achille in Sciro 」制作の監督をしていたフローリアン・レオポルト・ガスマン (Florian Leopold Gassmann, 1729 - 1774) に才能と野心を見いだされ、ガスマンに連れられてハプスブルク帝国の首都ヴィーンに移り彼の弟子となりました。間もなくオペラを書く機会を得て、1769年に最初の上演されたオペラである「女文士たち Le donne letterate 」が作曲されました。1771年7月には「アルミーダ Armida 」が上演され、高く評価されました。1774年にガスマンが亡くなると、後任としてハプスブルク宮廷の室内楽作曲家 (Kammerkomponist)、イタリア・オペラ監督に就任。パリ国立オペラからの委嘱作品に手が回らなくなっていたクリストフ・ヴィリバルト・グルックChristoph Willibald Gluck, 1714 - 1787) の依頼によりフランス王国の首都パリを訪れ、1784年にパリで「ダナオスの娘たち」を上演し成功を収めました。1787年には同じくパリでフランス・オペラ3作目となる「タラール Tarare 」を上演して大きな成功を収めましたが、これはオペラにおけるサリエーリの最高傑作とも評されています。1788年にジュゼッペ・ボンノ (Giuseppe Bonno, 1711 - 1788) の後任としてハプスブルク宮廷楽長に就任。1790年に庇護者でもあった神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世 (Joseph II, 1741 - 1790) が亡くなると、楽長業務のうち劇場でのリハーサルや指揮などを弟子のヨーゼフ・ヴァイグル (Joseph Weigl, 1766 - 1848) に委譲しました。1815年のヴィーン会議では音楽行事の企画・指揮を担当。1825年5月7日にヴィーンで亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

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