Moritz Moszkowski (Maurycy Moszkowski, Poland/Germany/France, 1854 - 1925) - 6 Morceaux pour piano, Op. 81 (Mainz: B. Schott's Söhne, 1909); No. 5. Romance. Moderato e dolente (F minor). À Monsieur Ossip Gabrilowitsch.
今日はシュレージエン出身のドイツの作曲家・ピアノ奏者・指揮者・音楽教師、モーリツ・モシュコフスキ (マウリツィ・モシュコフスキ) 没後100年の命日です。今回はモシュコフスキ作曲「ピアノのための6つの小品 Op. 81」より第5曲「ロマンス ヘ短調」を弾きました。各曲はそれぞれ異なるピアノ奏者に献呈されており、この第5曲はオーシプ・ガブリローヴィチ (Ossip Gabrilowitsch, 1878 - 1936) に献呈されています。ガブリーロヴィチは曲集が出版された1909年に、小説家マーク・トウェイン (Mark Twain, 1835 - 1910) の娘でありモシュコフスキのベルリン時代のピアノの教え子であるコントラルト歌手クララ・クレメンズ (Clara Clemens, 1874 - 1962) と結婚しています。
モーリツ・モシュコフスキは1854年8月23日にプロイセン王国シュレージエン州の州都ブレスラウ (現在のポーランド領ヴロツワフ) で生まれました。兄に後にベルリンで風刺作家・音楽批評家となったアレクサンダー・モシュコフスキ (Alexander Moszkowski, 1851 - 1943) がいます。兄弟は裕福なユダヤ人の家庭で育ち、モーリツは幼少の頃から楽才を示しました。1865年に家族とともにドレスデンに移り、ドレスデン音楽院 (現在のドレスデン音楽大学) で学びました。1869年に首都ベルリンに移り、シュテルン音楽院でエドゥアルト・フランク (Eduard Franck, 1817 - 1893) にピアノを、フリードリヒ・キール (Friedrich Kiel, 1821 - 1885) に作曲法を師事しました。次いで、新音楽アカデミーで校主テオドール・クラク (Theodor Kullak, 1818 - 1882) にピアノを、リヒャルト・ヴュルスト (Richard Wüerst, 1824 - 1881) に作曲法を師事しました。17歳のときにクラクに要請され同校のピアノ教師となり、1872年から25年以上務めました。また、ヴァイオリン演奏も堪能で、新音楽アカデミー管弦楽団で第一ヴァイオリン奏者を務めることもありました。
1873年にピアノ奏者としてベルリンでデビュー。1875年には新音楽アカデミーの学友だったフィーリプ・シャルヴェンカ (Philipp Scharwenka, 1847 - 1917) と企画したベルリンでの演奏会で、現在では多くが失われた初期の管弦楽作品が演奏されました。その作品と演奏はフランツ・リスト (Franz Liszt, 1811 - 1886) に賞讃され、その後、演目の一つであった「ピアノ協奏曲 ロ短調 Op. 3」の2台ピアノ用編曲を裕福な聴衆を集めた非公開演奏会でリストと共演する機会を得たこともあり、作曲家・ピアノ奏者としての名声を高めました。1880年に神経障害を発症し、演奏ツアーで活躍するようなヴィルトゥオーゾを続けることを断念。ピアノ奏者として活動することはあったものの、作曲活動に重点を置くようになります。指揮者としても活躍し、1885年には指揮活動を評価されてロンドン・フィルハーモニック協会に招待され、後に同協会の名誉終身会員となりました。1893年 (Eastick 2001) または1899年 (PWM 2022) にベルリンの王立芸術アカデミーの会員に選出。
1884年にセシル・シャミナード (Cécile Chaminade, 1857 - 1944) の妹アンリエット・シャミナード (Henriette Chaminade, 1863 - 1900) と結婚。アンリエットとの間にマルセル (Marcel Moszkowski, 1887 - 1971)、シルヴィア (Sylvia Moszkowski, 1889 - 1906) の二子をもうけたものの、1890年にアンリエットはパリに戻り、1892年に離婚が成立しました。
1897年にフランス共和国の首都パリに移住。離婚と娘シルヴィアの死去、1910年頃からの健康状態の悪化、聴衆の好みの変化による作品の人気の低下などの不幸が重なり、作曲への熱意を失いつつありました。1914年に第一次世界大戦が勃発すると、ドイツ、ポーランド、ロシアの政府証券として所有していた多くの資産を失いました。貧困で苦しんでいたモシュコフスキを助けるために、1921年に米国の旧友が集まって、収益を彼に寄贈するための謝恩演奏会をカーネギー・ホールで開催しました。モシュコフスキは1925年3月4日にパリで亡くなりました。
教え子に以下の人物がいます。
- カール・ラッチムンド (Carl Valentine Lachmund, 1853 - 1928)
- ウィルソン・ジョージ・スミス (Wilson George Smith, 1855 - 1929)
- ピーター・クリスチャン・ラトキン (Peter Christian Lutkin, 1858 - 1931)
- エリナー・スミス (Eleanor Smith, 1858 - 1942)
- フランク・ダムロッシュ (Frank Damrosch, 1859 - 1937)
- ヘレン・フランシス・フッド (Helen Francis Hood, 1863 - 1949)
- ヴォイチェフ・ガヴロニスキ (Wojciech Gawroński, 1868 - 1910)
- クレランス・ディキンソン (Clarence Dickinson, 1873 - 1969)
- クララ・クレメンズ (Clara Clemens (Gabrilowitsch), 1874 - 1962)
- コンスタンツァ・エルビチェアヌ (Constanţa Erbiceanu, 1874 - 1961)
- ユゼフ・ジグムント・シュルツ (Józef Zygmunt Szulc, 1875 - 1956)
- ユゼフ・ホフマン (Józef Hofmann, 1876 - 1957)
- アーネスト・シェリング (Ernest Schelling, 1876 - 1939)
- トマス・ビーチャム (Thomas Beecham, 1879 - 1961)
- ヴァンダ・ランドフスカ (Wanda Landowska, 1879 - 1959)
- ホアキン・ニン (Joaquín Nin, 1879 - 1949)
- ホアキン・トゥリーナ (Joaquín Turina, 1882 - 1949)
- ユーハン・アルゴト・ハクヴィニウス (Johan Algot Haquinius, 1886 - 1966)
- ホセ・ロロン (José Rolón, 1886 - 1945)
- ミルドレッド・クーパー (Mildred Couper, née Cooper, 1887 - 1974)
- キャスリーン・ロックハート・マニング (Kathleen Lockhart Manning, 1890 - 1951)
- ヴラド・ペルルミュテール (Vlado Perlemuter, 1904 - 2002)
出典
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