2022-11-25

150th Birth Anniversary of Paul Bliss

Philip Paul Bliss, Jr. (USA, 1872 - 1933) - Tumble-weed. March Grotesque. Con moto (C minor. Cincinnati: The John Church Company, 1925).

今日は米国の作曲家・オルガン奏者・音楽編集者、ポール・ブリス (フィリップ・ポール・ブリス2世) 生誕150年の誕生日です。今回はブリス作曲「転がり草、グロテスクな行進曲 ハ短調」を弾きました。

ポール・ブリスは1872年11月25日に、歌手・賛美歌作家であるフィリップ・ポール・ブリス1世 (Philip Paul Bliss, Sr., 1838 - 1876) の子としてイリノイ州シカゴで生まれました。1894年にプリンストン大学 (Princeton University) を卒業。1895年から1896年までペンシルベニア州フィラデルフィアヒュー・アーチボールド・クラーク (Hugh Archibald Clarke, 1839 - 1927) とリヒャルト・ツェクヴァー (Richard Zeckwer, 1850 - 1922) に音楽理論を師事。1896年から1898年までフランスのパリでアレクサンドル・ギルマン (Alexandre Guilmant, 1837 - 1911) にオルガンを、ジュール・マスネ (Jules Massenet, 1842 - 1912) に作曲法を師事しました。1900年から1904年まで米国ニューヨーク州タイオウガ郡オウィーゴウ (Owego) でオルガン奏者と音楽監督を、1904年から1910年までオハイオ州シンシナティにあるジョン・チャーチ社 (John Church Co.) の音楽編集者を、1911年以降は同じくシンシナティにあるウィリス・ミュージック社 (Willis Music Co.) の音楽編集者を務めました。作曲家としてはオペレッタ、カンタータ、合唱曲、歌曲、ピアノ曲などを書いています。1933年2月2日にオウィーゴウで亡くなり、同地のエヴァーグリーン墓地に埋葬されました。

経歴中のオウィーゴウをオスウィーゴウ (Oswego, Oswego County, New York) としている文献もありますが、墓石の写真や1910年の国勢調査のデータを示している Find a Grave の記述の信頼性が高いと判断してオスウィーゴウではなくオウィーゴウとしました。

出典:

  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1940). “Bliss, P. Paul”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (4th edition). New York: G. Schirmer. page 115.
  • Philip Paul Bliss Jr.”. Find a Grave. Retrieved 2022-11-23.
  • Bliss, Paul, 1872-1933”. LC Name Authority File (LCNAF). Library of Congress. Retrieved 2022-11-23.
  • 2022-11-12

    50th Death Anniversary of Rudolf Friml

    Charles Rudolf Friml (Czech/USA, 1879 - 1972) - Pastoral Scenes for Piano, Op. 80; No. 4. Crossing the Bridge (Die Brücke hinüber). Allegretto (C major).

    今日はチェコ・ボヘミア出身の米国の作曲家・ピアノ奏者、ルドルフ・フリムル没後50年の命日です。今回はフリムル作曲「ピアノのための牧歌的情景 Op. 80」(全5曲) より第4曲「橋を渡って ハ長調」を弾きました。

    ルドルフ・フリムルは1879年12月7日にオーストリア=ハンガリー帝国ボヘミア王国プラハで生まれました。奨学金を得てプラハ音楽院に入学し、アントニーン・ドヴォジャーク (Antonín Dvořák, 1841 - 1904) に作曲を、ヨゼフ・イラーネク (Josef Jiránek, 1855 - 1940) にピアノを師事しました。音楽院で知り合ったヤン・クベリーク (Jan Kubelík, 1880 - 1940) のピアノ伴奏者として演奏旅行で欧米を巡り、その演奏旅行での1906年の2度目の米国訪問の際にそのまま米国に定住することに決めました。1912年にヴィクター・ハーバート (Victor Herbert, 1859 - 1924) の代役となる機会を得てオペレッタ「 The Firefly 」を作曲し、その後もオペレッタの作曲家として成功を収めます。1972年11月12日に92歳という高齢で、ロサンゼルスで亡くなりました。

    出典:

    • 寺田兼文「フリムル」『日本大百科全書 (ニッポニカ)』小学館. コトバンク. Retrieved 2022-11-11.
    • ルードルフ フリムル」『20世紀西洋人名事典』日外アソシエーツ. コトバンク. Retrieved 2022-11-11.
    • Bordman, Gerald; Everett, William A.; Root, Deane L. (2001). “Friml, (Charles) Rudolf”. Grove Music Online. Retrieved 2022-11-11.
    • Linhardt, Marion (2002) 2016. “Friml, Rudolf”. MGG Online. Retrieved 2022-11-11.

    2022-11-06

    100th Death Anniversary of William Baines

    William Baines (England, 1899 - 1922) - Milestones. 3 Pieces for Pianoforte (London: Elkin & Co., 1922); No. 2. Angelus. Andante sostenuto (D flat major).

    今日はイングランドの作曲家・ピアノ奏者、ウィリアム・ベインズ没後100年の命日です。今回はベインズ作曲「マイル標石、ピアノのための3つの小品」より第2曲「お告げの祈り 変ニ長調」を弾きました。

    ウィリアム・ベインズは1899年3月26日にヨークシャー地方ホアベリー (Horbury) で生まれました。リーズにあるヨークシャー音楽専門学校 (Yorkshire Training College of Music) での学習と、ピアノ奏者フレデリック・ドーソン (Frederick Dawson, 1868 - 1940) からの助言により、作曲法を習得しました。1917年には多くの楽曲を作曲して初めてのソロリサイタルを開催。第一次世界大戦における1918年の徴兵ののち、1919年にヨークに戻り、フォスゲイト映画館 (Fossgate Cinema) で父 (教会オルガン奏者・映画伴奏ピアノ奏者) の代行ピアノ奏者を務めるかたわら、地元でリサイタルを開催しました。1918年の兵役時に罹患したインフルエンザ (いわゆるスペイン風邪か) により健康を損ねており、1922年11月6日にヨークにおいて23歳の若さで亡くなりました。

    出典: Richards, Fiona (2001). “Baines, William”. Grove Music Online. Retrieved 2022-11-06.

    350th Death Anniversary of Heinrich Schütz

    Heinrich Schütz (Germany, 1585 - 1672) / Ernst Pauer (Austria/England, 1826 - 1905) - Hymn. Maestoso (E flat major).

    今日はドイツの作曲家・オルガン奏者、ハインリヒ・シュッツ没後350年の命日です。今回はシュッツ作曲とされる「賛美歌 変ホ長調」の、エルンスト・パウアーによるピアノ編曲を弾きました。楽譜はエルンスト・パウアー編纂「日曜日の音楽 Sonntags-Musik. Eine Sammlung von kurzen Stücken für das Pianoforte aus den berühmtesten Werken der Kirchen- und Instrumental-Musik gewahlt und theilweise bearbeitet 」(1878/1879) に第51曲として収録されていますが、原曲の題名は特定できていません。

    ハインリヒ・シュッツは1585年10月8日 (グレゴリオ暦10月18日) に、テューリンゲン地方ゲーラ近郊にあるケストリッツ (Köstritz. 現在のバート・ケストリッツ) に生まれました。ケストリッツの教会登録簿によると翌日の10月9日に洗礼を受けたという記録が残っていますが、シュッツの自伝では "am tage Burckhardi [10月14日]" を誕生日としています。1599年にカッセルヘッセン=カッセル方伯宮廷礼拝堂の少年聖歌隊歌手となり、1608年にマールブルク大学で法律を学び、1609年から1612年までヴェネツィアジョヴァンニ・ガブリエーリ (Giovanni Gabrieli, ca. 1554 - 1612) に師事しました。1613年にカッセルで宮廷第2オルガン奏者、1617年にドレスデンザクセン選帝侯宮廷楽長に就任。1628年にヴェネツィアを再訪し、1633年から1645年までコペンハーゲンなどで活動したのちドレスデンに戻り、1672年11月6日 (グレゴリオ暦11月16日) にドレスデンで、87歳の高齢で亡くなりました。

    出典:

    • シュッツ」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ブリタニカ・ジャパン. コトバンク.
    • 樋口隆一「シュッツ」『日本大百科全書 (ニッポニカ)』小学館. コトバンク.
    • Breig, Werner (2006/2021). “Schütz, Heinrich”, BIOGRAPHIE. MGG Online. Retrieved 2022-11-06.