2022-12-31

100th Death Anniversary of Richard Zeckwer

Richard Zeckwer (Germany/USA, 1850 - 1922) - Notturno and Album Leaf (To Miss Marie d'Invilliers. Philadelphia: Louis Meyer, 1873); No. 2. Album Leaf. Andante (D major).

今日はドイツ出身の米国の作曲家・オルガン奏者・音楽教師、リヒャルト・ツェクヴァー (リチャード・ゼクワー) 没後100年の命日です。今回はツェクヴァー作曲「夜想曲とアルバムの綴り」より第2曲「アルバムの綴り ニ長調」を弾きました。2曲とも、のちに彼の妻となるマリー・ダンヴィリエ (Marie d'Invilliers, 1850 - 1918) に献呈されています。

リヒャルト・ツェクヴァーは1850年4月30日にプロイセン王国ザクセン州シュテンダール (Stendal) で、カール・ツェクヴァー (Carl Zeckwer) とエミーリエ・ツェクヴァー (旧姓シュトレーマー. Emilie Zeckwer geb. Ströhmer) の子として生まれました。シュテンダールのギムナジウム、ライプツィヒ大学ライプツィヒ音楽院で学び、イグナーツ・モシェレス (Ignaz Moscheles, 1794 - 1870)、モーリツ・ハウプトマン (Moritz Hauptmann, 1792 - 1868)、エルンスト・フリードリヒ・リヒター (Ernst Friedrich Richter, 1808 - 1879)、ローベルト・パペリツ (Robert Papperitz, 1826 - 1903)、カール・ライネッケ (Carl Reinecke, 1824 - 1910) に師事しました。1869年に米国に渡り、ペンシルベニア州フィラデルフィアに移住。フィラデルフィア音楽アカデミー (Philadelphia Musical Academy. 芸術大学 Academy of Music の前身校の一つ) で教師となり、1876年から1917年の引退まで学長を務めました。1874年にフィラデルフィアでマリー・ダンヴィリエと結婚。1871年から1878年までジャーマンタウンの聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ教会 (Church of St. Vincent de Paul) オルガン奏者、1879年から1880年までフィラデルフィアの聖ペトロ・パウロ大聖堂 (Cathedral Basilica of Saints Peter and Paul) オルガン奏者を務め、1880年にカトリック教徒となりました。1922年12月31日にフィラデルフィアで亡くなりました。

ツェクヴァーの子供たちには著名な音楽家、画家、医学者になったものがいます。息子のカミル・ゼクワー (Camille Zeckwer, 1875 - 1924) は作曲家・音楽教師となり、1917年にはリヒャルトの後任としてフィラデルフィア音楽アカデミーの学長となりました。娘のエミリー・ゼクワー・ドゥーナー (Emilie Zeckwer Dooner, 1877 - 1973) はペンシルベニア美術アカデミー (Pennsylvania Academy of Fine Arts) で学んだのち奨学金を得てパリ、スペイン、ブルターニュ、イタリアに留学し、画家となりました。娘のマリー・アデレイド・ゼクワー=ホルト (Marie Adelaide Zeckwer-Holt, b. 1883) はフィラデルフィア音楽アカデミーで学んだのち、パリでマティルデ・マルケージ (Mathilde Marchesi, 1821 - 1913)、フランク・キング・クラーク (Frank King Clark)、ヴァルテル・ストララム (Walther Straram, 1876 - 1933) に師事し、ソプラノのオペラ歌手となりました。娘のイゾルダ・テリーズ・ゼクワー (Isolde T. Zeckwer, 1892 - 1980) はブリンマー大学 (Bryn Mawr College) で学士 (A. B., 1915) を、ペンシルベニア女子医科大学 (Woman's Medical College of Pennsylvania) で医学士 (M. D., 1919) を取得して病理学者となり、ペンシルベニア大学医学部病理学科の教授などを務めました。

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