2022-06-30

300th Birth Anniversary of Georg Benda

Georg Anton Benda (Jiří Antonín Benda, Czech/Germany, 1722 - 1795) - Sonate pour clavecin en sol majeur; III. Allegro assai.

今日はチェコ・ボヘミア出身のドイツの作曲家・チェンバロ奏者、ゲオルク・アントン・ベンダ (イジー・アントニーン・ベンダ) 生誕300年の受洗日です。今回はベンダ作曲「チェンバロのためのソナタ ト長調」(全3楽章) より第3楽章を弾きました。楽譜は「アルファベット順に配列された最も著名な作曲家たちによる6つのクラヴサンのためのソナタからなる作品集 第6巻 Oeuvres melées contenant VI. Sonates pour le clavessin d'autant de plus celebres compositeurs, rangés en ordre alphabetique, Partie VI 」(Nürnberg: Jean Ulric Haffner) にソナタ第2番として収録されています。

ゲオルク・ベンダは神聖ローマ帝国ボヘミア王国スタレー・ベナートキ (Staré Benátky) でハンス・ゲオルク・ベンダ (ヤン・イジー・ベンダ1世, Hans Georg Benda, 1686 - 1757) の子として生まれ、1722年6月30日に洗礼を受けました。音楽家となった兄弟姉妹にフランツ・ベンダ (フランチシェク・ベンダ, Franz Benda, 1709 - 1786. 作曲家・ヴァイオリン奏者)、ヨハン・ベンダ (ヤン・イジー・ベンダ2世, Johann Benda, 1713 - 1752. ヴィオラ奏者・ヴァイオリン奏者)、ヨゼフ・ベンダ (Joseph Benda, 1724 - 1804. ヴァイオリン奏者)、アンナ・フランツィスカ・ベンダ (Anna Franziska Benda, 1728 - 1781. ソプラノ歌手) がいます。ベンダ家は彼らの子孫からも音楽家を輩出しました。

ゲオルクは1735年からコスモノシ (Kosmonosy) のピアリステンコレギウム (Piaristenkollegium) で、1739年から1742年までイチーン (Jičín) のイェズイーテンコレギウム (Jesuitenkollegium) で学び、音楽のレッスンを受けました。1742年3月に、家族 (両親、弟妹たち) でプロイセン王国ポツダムに移り、弟のヨゼフとともに、兄フランツから指導を受けて宮廷楽団のヴァイオリン奏者として雇われました。1750年5月にザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ3世 (Friedrich III. von Sachsen-Gotha-Altenburg, 1699 - 1772) の下で宮廷楽長に任命されました。1765年10月から6ヶ月の有給休暇を与えられてイタリアに留学し、ヴェネツィアボローニャフィレンツェローマを訪れ、バルダッサーレ・ガルッピ (Baldassare Galuppi, 1706 - 1785)、クリストフ・ヴィリバルト・グルック (Christoph Willibald Gluck, 1714 - 1787)、トンマーゾ・トラエッタ (Tommaso Traetta, 1727 - 1779)、ニコロ・ピッチンニ (Niccolò Piccinni, 1728 - 1800)、ジョヴァンニ・パイジエッロ (Giovanni Paisiello, 1740 - 1816) のオペラについて研究を深めました。1770年8月から1778年3月20日まで宮廷礼拝堂監督 (Kapelldirector) を務めました。劇場での職を得るためにハンブルクヴィーンを訪れたのちゴータに戻り、その後は引退して年金を得て生活しました。1781年にパリを、1787年にマンハイムを訪れ、自作の公演で指揮をしました。1795年11月6日にロイス=ゲーラ伯領ケストリッツ (Köstritz) で亡くなりました。

彼の子供のうち、フリードリヒ・ルートヴィヒ・ベンダ (Friedrich Ludwig Benda, 1752 - 1792. 作曲家・ヴァイオリン奏者)、ハインリヒ・ベンダ (Heinrich Benda, b. 1754. ヴァイオリン奏者)、カテリーナ・ユスティナ・ベンダ (Catherina Justina Benda, b. 1757. 歌手)、ヘルマン・クリスティアン (Hermann Christian Benda, 1759 - 1805. 歌手)、カール・エルンスト・エーベルハルト・ベンダ (Carl Ernst Eberhard Benda, 1764 - 1824. 歌手) の5人が音楽家となりました。

出典:

  • Drake, John D.; Pilková, Zdeňka; Lee, Douglas A.; Bauman, Thomas; Reich, Nancy B. (2001). “Benda family”. Retrieved 2022-06-30.
  • Allihn, Ingeborg; Pilková, Zdeňka (1999) 2016 “Benda”. In: MGG Online, edited by Laurenz Lütteken. Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016–. Retrieved 2022-06-30.

2022-06-22

150th Birth Anniversary of Clara Faisst

Clara Mathilda Faisst (Germany, 1872 - 1948) - 2 Klavierstücke, Op. 25 (Selbstverlag Karlsruhe in Baden); No. 2. „Ein Ton“. Zart und leicht bewegt (E flat major).

今日はドイツの作曲家・ピアノ奏者・詩人、クララ・ファイスト生誕150年の誕生日です。今回はファイスト作曲「2つのピアノ小品 Op. 25」より第2曲「一つの音 変ホ長調」を弾きました。4分の4拍子で書かれた31小節の全曲を通して、8分音符の属音変ロ (B♭3) がオスティナートとして途切れることなく反復されます。

クララ・ファイストは、上級教会参事官 (Oberkirchenrat) であるグスタフ・アウグスト・ファイスト (Gustav August Faisst, 1834 - 1837) とスイスのリュトリー出身のエマ・ファイスト (Emma Faisst, geb. Valloton) の6人の子供の末子として1872年6月22日にドイツ帝国バーデン大公国の首都カールスルーエで生まれました。1879年から1881年までカール・ヴィル (Carl Will. 大公国宮廷劇場コンサートマスター) に和声法を学び、1881年から1888年までカールスルーエの高等女学校 (Höhere Mädchenschule in Karlsruhe) に通い、女学校在学中の1885年から1890年までカールスルーエの大公立音楽院 (Großherzogliche Konservatorium in Karlsruhe) の創設者であるハインリヒ・オルデンシュタイン (Heinrich Ordenstein, 1856 - 1921) にピアノを師事しました。1890年にドイツ帝国の首都ベルリンに移り、フェーリクス・モットル (Felix Mottl, 1856 - 1911) の推薦で王立高等音楽学校に入学し、同校でエルンスト・ルードルフ (Ernst Rudorff, 1840 - 1916) にピアノを、ローベルト・カーン (Robert Kahn, 1865 - 1951) にピアノと音楽理論を、ヴォルデマール・バルギール (Woldemar Bargiel, 1828 - 1897) に対位法と作曲を師事したほか、マックス・ブルッフ (Max Bruch, 1838 - 1920) の作曲マイスターシューレで学びました。1896年の卒業後、自作を含むプログラムでドイツとスイスを巡る長期間の演奏旅行を行いました。市住所録によると遅くとも1901年までにカールスルーエに戻り、以後は1948年11月22日に亡くなるまで同地で活動しました。

出典:

  • Rebmann, Martina (2004-05-26/2018-11-27). „Clara Faisst“. In: MUGI. Musikvermittlung und Genderforschung: Lexikon und multimediale Präsentationen, hg. von Beatrix Borchard und Nina Noeske, Hochschule für Musik und Theater Hamburg. Retrieved 2022-06-22.
  • Förster, Katja (2012). „Clara Mathilde Faisst“. In: Stadtlexikon Karlsruhe. Retrieved 2022-06-22.

2022-06-17

350th Death Anniversary of Orazio Benevoli

Orazio Benevoli (Italy, 1605 - 1672) - Prelude in E major.

今日はイタリアの作曲家・オルガン奏者、オラツィオ・ベネヴォリ没後350年の命日です。今回はベネヴォリ作曲「オルガンのための前奏曲 ホ長調」を弾きました。楽譜は IMSLP にある Laudate II : Collection de morceaux pour orgue sans pédales (Brussels: A. Ledent-Malay, 1919) とされる曲集に第190曲として収録されているものを使用しました。調号にはシャープが3箇所 (F, C, G) に書かれているためか IMSLP のページ名は "Prelude in E mixolydian" となっています。

オラツィオ・ベネヴォリは、ロレーヌ出身の菓子職人であるロベール・ヴェヌオ (Robert Venouot) の子として、1605年4月19日に教皇領国家の首都ローマで生まれました。1617年から1623年までサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会 (Chiesa di San Luigi dei Francesi) の少年聖歌隊員となり、ヴィンチェンツォ・ウゴリーニ (Vincenzo Ugolini, d. 1638) に音楽を学びました。

1624年からサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂 (Basilica di Santa Maria in Trastevere) の教会楽長 (maestro di cappella) を、1630年からサント・スピリト・イン・サッシア教会 (Chiesa di Santo Spirito in Sassia) の教会楽長 (グレゴリオ・アレグリ Gregorio Allegri の後任) を、1638年から1644年までサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会 (Chiesa di San Luigi dei Francesi) の教会楽長 (師ウゴリーニの後任) を務めました。神聖ローマ帝国の首都ヴィーンに赴きオーストリア大公レオポルト・ヴィルヘルム (Leopold Wilhelm von Österreich, 1614 - 1662) の下でカペルマイスターを務めたのちにローマに戻り、1646年2月からサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 (Basilica di Santa Maria Maggiore) の教会楽長を、同年10月から亡くなるまでサン・ピエトロ大聖堂ジュリア礼拝堂合唱団 (Cappella musicale Giulia della basilica papale di San Pietro in Vaticano) の教会楽長を務めました。1672年6月17日にローマで亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

出典: Gürtelschmied, Walter; Gmeinwieser, Siegfried (2001). “Benevoli, Orazio”. Grove Music Online. Retrieved 2022-06-17.

2022-06-16

150th Death Anniversary of Gustav Zogbaum

Gustav Zogbaum (Germany, 1814 - 1872) - Mazurka in F major.

今日はドイツの作曲家・音楽教師、グスタフ・ツォークバウム没後150年の命日です。今回はツォークバウム作曲「マズルカ ヘ長調」を弾きました。楽譜は「ピアノ奏者のためのプフェニヒ・マガツィーン Pfennig-Magazin für Pianofortespieler 」第1巻第12、13号 (1835) の24頁に第2曲として収録されています。

1814年にプロイセン王国の首都ベルリンで生まれたグスタフ・ツォークバウムは、生地でピアノと声楽の教師となり、いくつかのピアノ教則本を著しています。1872年6月16日にベルリンで亡くなりました。

出典:

  • Schuberth, Julius (1860). “Zogbaum, Gustav”. Musikalisches Hand-Buch : Eine Encyclopädie für Tonkünstler und Musikfreunde. Leipzig (Hamburg) & New York: Verlag von Jul. Schuberth & Comp. S. 299.
  • Gestorben”. Musikalisches Wochenblatt : Organ für Musiker und Musikfreunde. 3. Jg. Nr. 27. 1872-06-28. Leipzig: E. W. Fritzsch. S. 430.