Sergey Mikhaylovich Lyapunov (Сергей Михайлович Ляпунов, Russia, 1859 - 1924) - 6 Little Pieces for Piano (1918-1919. published in 1931 in Moscow); No. 1. C major.
VIDEO
今日はロシアの作曲家・ピアノ奏者・指揮者・音楽教師、セルゲイ・リャプノフ 没後100年の命日です。今回はリャプノフ作曲「6つのピアノ小品 6 Маленьких пьес для начинающих играть на фортепиано 」より第1曲 ハ長調を弾きました。この曲は変奏曲の形式で書かれているのですが、タチタチ (Тати-тати) とも呼ばれるこの主題は、ツェーザリ・キュイ 、アナトーリー・リャードフ 、ニコライ・リムスキー=コルサコフ 、アレクサンドル・ボロディン らによる合作のピアノ連弾作品「パラフレーズ集 Paraphrases 」(Hamburg: D. Rahter, 1879) の各曲で主題に使われたことでよく知られています。
セルゲーイ・ミハーイロヴィチ・リャプノーフは1859年11月30日 (ユリウス暦18日) にヤロスラーヴリ (Ярославль) で、数学者・天文学者のミハイル・リャプノフ (Mikhail Lyapunov, 1820 - 1868) の子として生まれました。兄に数学者のアレクサンドル・リャプノフ (Aleksandr Lyapunov, 1857 - 1918)、弟に言語学者のボリス・リャプノフ (Boris Lyapunov, 1862 - 1943) がいます。
1868年にヤロスラーヴリ近郊の天文台に勤めていた父が亡くなると、その翌々年の1870年にセルゲイは母ソフィヤ (Sofya Lyapunova, 1825 - 1879) に連れられニジニ・ノヴゴロド に移りました。ニジニ・ノヴゴロドではギムナージヤ に通いつつ、ヴァシーリー・ヴィルアーン (Vasily Villoing , 1850 - 1922) が支部長を務めるロシア音楽協会 ニジニ・ノヴゴロド支部の音楽講座で、1873年の支部設立時より学びました。ピアノの名手だった母に幼い頃よりピアノの手ほどきを受け、ニコライ・ルビンシテイン (Nikolay Rubinstein , 1835 - 1881) の推薦を受けて1878年にモスクワ音楽院 に入学しました。音楽院ではカール・クリントヴォルト (Karl Klindworth , 1830 - 1916) にピアノを、ピョートル・チャイコフスキー (Potr Tchaikovsky , 1840 - 1893)、ニコライ・グーベルト (Nikolay Gubert, 1840 - 1888)、セルゲイ・タネーエフ (Sergey Taneyev , 1856 - 1915) に作曲法を師事し、1883年にピアノ科と作曲科を卒業しました。同年の末に知り合ったミリー・バラキレフ (Mily Balakirev , 1837 - 1910) とは彼の晩年に至るまで親しく交友しました。
1885年からサンクトペテルブルク に定住。1890年に「ピアノ協奏曲第1番 変ホ短調 Op. 4」(1904年ベリャーエフ・グリンカ賞受賞) を作曲。1893年に帝室ロシア地理学会 より依頼があり、モスクワの北東方向にあるヴォログダ 、ヴィヤトカ (キーロフ の旧称)、コストロマ 周辺の地域でのロシア民謡収集をフョードル・イストーミン (Fyodor Istomin, 1856 - 1919/1920) とともに行いました。収集した民謡265曲のうち165曲を音楽協会より出版したほか、ピアノ伴奏付きの編曲も出版しました。1894年から1902年まで帝室礼拝堂 の音楽助監督を、1902年から1910年までエレーナ学院 (Петербургский институт Святой Елены) 視学官を務め、1905年にバラキレフの無料音楽学校 の理事に就任し、1908年から1911年まで同校の校長を務めました。バラキレフの死後、ペテルブルク音楽院 で音楽理論とピアノの教師となりました。第一次世界大戦の前に、ピアノ奏者・指揮者としてドイツとオーストリアで数度の演奏旅行を行いました。1922年、教会閉鎖のために来たソビエト当局に音楽院内の教会の鍵を渡すのを拒否したために執行猶予付きの有罪判決 (禁固6ヶ月) を受けました。1923年にフランス のパリ に移住し、ロシア人亡命者のための音楽学校を組織したものの、翌年の1924年11月8日にパリで心臓発作のために亡くなりました。
3人いる娘のうち二女のアナスタシーヤ・リャプノヴァ (Anastasiya Lyapunova, 1903 - 1973) は、レニングラード音楽院 でピアノと音楽学を学んだのち、音楽理論の教師を経てペテルブルクのロシア公共図書館 (現在のロシア国立図書館 ) の司書となりました。
教え子に以下の人物がいます。
出典:
Grove Music Online . Retrieved 2024-11-08.
Gojowy, Detlef (2001). “Rimsky-Korsakov, Georgy Mikhaylovich ”.
Levaya, Tamara Nikolayevna (2001). “Kas′yanov, Aleksandr Aleksandrovich ”.
Butir, L. M.; Kovnatskaya, Lyudmila (2001). “Bogdanov-Berezovsky, Valerian Mikhaylovich ”.
Garden, Edward; Saratovsky, Sergei (2001/2021). “Lyapunov [Liapunov], Sergey Mikhaylovich ”.
Рамазанова, Наталья Васильевна. “Ляпунова Анастасия Сергеевна ”. Российская национальная библиотека. Retrieved 2024-11-08.