2024-02-17

100th Death Anniversary of Oskar Merikanto

Oskar Merikanto (Finland, 1868 - 1924) - Nuorisolle. 8 Pientä pianokappaletta, Op. 92; No. 3. Tanssi. Allegro molto (D minor). / För ungdomen. 8 Små pianostycken, Op. 92; No. 3. Dans.

今日はフィンランドの作曲家・オルガン奏者・ピアノ奏者・指揮者・批評家・音楽教師、オスカル・メリカント没後100年の命日です。今回はメリカント作曲「若者のために、8つのピアノ小品 Op. 92」より第3曲「舞曲 ニ短調」を弾きました。

オスカル・メリカントは1868年8月5日にフィンランド大公国の首都ヘルシンキ (fi: Helsinki; sv: Helsingfors) で生まれました。ヘルシンキ古教会 (fi: Helsingin vanha kirkko; sv: Gamla kyrkan i Helsingfors) オルガン奏者で鐘撞オルガン奏者学校 (fi: Helsingin lukkari-urkurikoulu; sv: Helsingfors klockare-organistskola) 教師のラウリ・ハマライネン (Lauri Hämäläine, 1832 - 1888) から音楽の手ほどきを受け、17歳の頃には作曲をしていました。1887年にヘルシンキで自作を含むプログラムでピアノ奏者・オルガン奏者としてデビュー。フィンランド上院から奨学金を得て、慈善家のアウロラ・カラムジン (Aurora Karamzin, 1808 - 1902)、菓子職人・実業家のフレドリク・エークベリ (Fredrik Ekberg, 1825 - 1891) からの支援も受けました。1887年から1888年までライプツィヒ音楽院ローベルト・パペリッツ (Robert Papperitz, 1826 - 1903)、グスタフ・シュレック (Gustav Schreck, 1849 - 1918) に師事しました。師ハマライネンの死後、後任の古教会オルガン奏者の職を得ようとしましたが叶わず、1890年から1891年までベルリンでアルベルト・ベッカー (Albert Becker, 1834 - 1899) に師事しました。

ヘルシンキに戻り、1891年から1914年まで鐘撞オルガン奏者学校のオルガン教師を、1892年から亡くなるまでヘルシンキ新教会 (sv: Nya kyrkan i Helsingfors. 現在の聖ヨハネ教会 fi: Johanneksenkirkko; sv: Johanneskyrkan) オルガン奏者を、1904年から1920年までヘルシンキ音楽院 (fi: Helsingin musiikkiopisto; sv: Helsingfors musikinstitut. 現在のシベリウス音楽院) の教師を務めました。教え子にヘイッキ・クレメッティ (Heikki Klemetti, 1876 - 1953) がいます。演奏家としては、アイノ・アクテ (Aino Ackté, 1876 - 1944) の共演者としても知られ、ジャン・シベリウス (Jean Sibelius, 1865 - 1957) 作曲の数多くの歌曲の初演を果たしました。1911年には国立オペラ (sv: Inhemsk Opera; fi: Kotimainen Ooppera) を結成し、1922年まで同団の監督を務めました。1918年に心臓病を患い、1924年2月17日にオイッティ (Oitti) で亡くなりました。

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