2021-03-30

50th Death Anniversary of Harold Craxton

Harold Craxton (England, 1885 - 1971) - Timothy's Pieces (London: The Anglo-French Music Co., 1921); No. 2. King of the Cradle, Sleep. Andante (E flat major)

今日はイングランドの作曲家・ピアノ奏者、ハロルド・クラクストン没後50年の命日です。今回はクラクストン作曲「ティモシーの小品集」より第2曲「ゆりかごの王よ、眠れ」を弾きました。楽譜には題辞としてノーマン・ゲイル (Norman Gale, 1862 - 1942) による同名の詩 King of the cradle, sleep! が書かれ、旋律に合わせて歌えるように作曲されています。

King of the cradle, sleep!
Bees are resting sugary thighs,
Stars are born as the daylight dies;
Timothy, Timothy, close your eyes!
King of the cradle, sleep!

Night is busy with birds, and spreads
Leafy coverlets over the heads,
Safe in a million starlit beds;
King of the cradle, sleep!

Father is tossing upon the sea,
Timothy rocks at home with me;
Weary of frolic on mother's knee,
King of the cradle, sleep!

God, who hast loved my son all day,
Love him this night, and keep away
Spirits not pure enough to stay
Close to a child asleep!
Norman Gale

ロンドンに生まれたハロルド・クラクストンは、トバイアス・マセイ・ピアノ学校 (Tobias Matthay Pianoforte School) でトバイアス・マセイ (Tobias Matthay, 1858 - 1945) とカスバート・ホワイトモア (Cuthbert Whitemore, 1877 - 1927) に師事し、1914年に同校の教授となりました。1919年から1961年まで王立音楽アカデミーでも教えました。ピアノ独奏者としてイングランドの古楽などをリサイタルで演奏したほか、ソプラノ歌手エマ・アルバーニ (Emma Albani, 1847 - 1930) の伴奏者を2年間、次いでコントラルト歌手クララ・バット (Clara Butt, 1872 - 1936) の伴奏者を12年間務めるなど、伴奏者としても高く評価されました。1960年には大英帝国勲章オフィサー (OBE) を受章しています。楽譜編集者としては、ドナルド・フランシス・トーヴィ (Donald Francis Tovey, 1875 - 1940) と共編の英国王立音楽検定協会 (Associated Board of the Royal Schools of Music, ABRSM) 版のベートーヴェンのピアノソナタ集 (London, 1931)、英国音楽などの古楽のトランスクリプション集を編集しています。1971年3月30日にロンドンで亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

出典: Grove Music Online. Retrieved 2021-03-25.


2021-03-24

100th Death Anniversary of Déodat de Séverac

Déodat de Séverac (France, 1872 - 1921) - Petite suite scholastique. 5 Pièces d'après un thème de carillon Languedocien; III. Prière-choral (ou Élévation). Adagio espressivo (D flat major).

今日はフランスの作曲家・オルガン奏者、デオダ・ド・セヴラック没後100年の命日です。今回はセヴラック作曲「スコラ的小組曲、ラングドックの鐘の主題による5つの小品」より第3曲「プリエール・コラール (または奉挙) 変ニ長調」を弾きました。

デオダ・ド・セヴラックは画家ジルベール・ド・セヴラック (Gilbert de Séverac, 1834 - 1897) の子としてオート=ガロンヌ県サン=フェリクス=ド=カラマン (Saint-Félix-de-Caraman) に生まれました。オルガン奏者のルイ・アミエル (Louis Amiel, 1825 - 1910) に師事し、父の意向によりトゥールーズ大学 (Université de Toulouse) で法学を学んでいましたが、3年在学ののちにトゥールーズ音楽院に移り、1896年から1907年までパリのスコラ・カントルムで学びました。スコラ・カントルムではアンドレ・ピロ (André Pirro, 1869 - 1943) とアレクサンドル・ギルマン (Alexandre Guilmant, 1837 - 1911) にオルガンを、シャルル・ボルド (Charles Bordes, 1863 - 1909) に合唱指揮を、アルベリク・マニャール (Albéric Magnard, 1865 - 1914) とヴァンサン・ダンディ (Vincent d'Indy, 1851 - 1931) に対位法と作曲を師事しました。1910年にピレネーゾリアンタル県セレ (Céret) に移り、1921年3月24日に同地で亡くなるまでサン=ピエール・ド・セレ教会 (Église Saint-Pierre de Céret) のオルガン奏者を務めました。

出典: Guillot, Pierre (2001). “Sévérac, (Marie Joseph Alexandre) Déodat de, Baron de Sévérac, Baron de Beauville”. Grove Music Online. Retrieved 2021-03-22.

2021-03-19

150th Birth Anniversary of Joseph Béesau

Joseph Béesau (Russia/France, 1871 - 1940) - Invocation à César Franck pour piano. Andantino (A flat major). À Monsieur H. Delalande.

今日はロシア出身のフランスの作曲家・オルガン奏者、ジョゼフ・ベゾ生誕150年の誕生日です。今回はベゾ作曲、ピアノのための「セザール・フランクへの祈り 変イ長調」を弾きました。

1871年3月19日 (ユリウス暦3月7日) にロシア帝国モスクワ (Moscow) で父ポール・マリー・アメデ・ベゾ (Paul Marie Amédée Béesau) と母マリー・ド・シャリオ (Marie de Chario) の間に生まれたジョゼフ・ベゾは、パリのスコラ・カントルムヴァンサン・ダンディ (Vincent d'Indy, 1851 - 1931) に作曲を師事し、1890年から1940年までサンテティエンヌ・ド・レンヌ教会 (Église Saint-Étienne de Rennes) の正オルガン奏者を務めました。母マリーはモスクワでのアントン・ルビンシテイン (Anton Rubinstein, 1829 - 1894) の教え子でした。1940年6月4日にレンヌで亡くなり、同月7日にサンテティエンヌ・ド・レンヌ教会で葬儀が行われました。墓所はレンヌの北墓地 (Cimetière du Nord) です。

出典: “Joseph Béesau”. Musique liturgique. Association Diocésaine de Rennes. 2018-12-09. Retrieved 2021-03-16.

2021-03-02

100th Death Anniversary of Henryk Pachulski

Henryk Pachulski (Гейнрих Альбертович Пахульский, Poland/Russia, 1859 - 1921) - 2 Pièces pour piano, Op. 11; No. 1. Moment musical ; Музыкальный момент. Andantino espressivo (B minor) (Moscow: P. Jurgenson, 1905)

Henryk Pachulski - Album pour la jeunesse pour piano, Op. 23 (Moscow: P. Jurgenson, 1906); Nos. 1-6, 8-10, 12-13, 15-16.

今年はポーランド出身のロシアの作曲家・ピアノ奏者、ヘンリク・パフルスキ没後100年です。命日についてはモスクワ音楽院が3月2日、グローヴ・ミュージック・オンラインが12月 (日付不明) としています。今回はパフルスキ作曲「ピアノのための2つの小品 Op. 11」より第1曲「楽興の時 ロ短調」を弾きました。以前に弾いた「子供のためのアルバム Op. 23」(全16曲) より13曲も併せて紹介します。

父のアルベルト・パフルスキは測量士で、リバーヴァ=ロームニ鉄道 (Либаво-Роменская железная дорога) 社長補佐とナジェージダ・フォン・メック (Nadezhda von Meck, 1831 - 1894) の領地の森林管理者を務めていました。兄のヴワディスワフ・パフルスキ (Władysław Pachulski, d. 1919) はモスクワ音楽院でヤン・フジーマリー (Jan Hřímalý, 1844 - 1915) にヴァイオリンを師事した音楽家で、フォン・メック夫人に雇われてその娘婿になりました (1889年に彼女の娘ユーリヤ Yuliya と結婚)。

ヘンリク・パフルスキはポーランド立憲王国ルブリン県ウクフ郡ワジ (Łazy) に生まれました。ワルシャワ音楽研究所 (Warszawski Instytut Muzyczny. 現在のショパン音楽大学 Uniwersytet Muzyczny Fryderyka Chopina) でルドルフ・ストロブル (Rudolf Strobl, 1831 - 1915) にピアノを、スタニスワフ・モニューシュコ (Stanisław Moniuszko, 1819 - 1872) とヴワディスワフ・ジェレニスキ (Władysław Żeleński, 1837 - 1921) に和声学と対位法を師事して1876年に卒業しました。1876年から1879年まで、ピアノ奏者としてワルシャワプスコフヴィリニュスで演奏し、教師としても活動しました。1879年にワルシャワでニコライ・ルビンシテイン (Nikolay Rubinstein, 1835 - 1881) の演奏を聴いてルビンシテインに師事することを決心し、同年夏にポドリスクにあるフォン・メック邸「プレシチェーエヴォ」に寄寓しました。当時、父のアルベルトはプレシチェーエヴォの管理者を、兄のウワディスワフはフォン・メック夫人の秘書を務めていました。

1880年1月にモスクワ音楽院のニコライ・ルビンシテインのクラスで科目等履修生 (вольнослушатель) となりましたが、同年3月にルビンシテインが亡くなると音楽院を休学してフォン・メック家の音楽教師となりました。休学中にフォン・メック夫人の家族とともにヴィーン、ミュンヘン、パリを巡りました。1882年1月にモスクワに戻り、音楽院に復学してパーヴェル・パプスト (Paul Pabst, 1854 - 1897) にピアノを、エドゥアルト・ランゲル (Eduard Langer, 1835 - 1905) に和声学を、アントン・アレンスキー (Anton Arensky, 1861 - 1906) に和声学と対位法と作曲を師事しました。1885年に大銀メダルと自由芸術家 (свободный художник) のディプロマを得て音楽院を卒業しました。1886年に母校のモスクワ音楽院でピアノ科クラスの教師となり、1916年から亡くなる年まで教授を務めました。

教え子に以下の人物がいます。

出典:

  • Chechlińska, Zofia (2001). “Pachulski, Henryk”. Grove Music Online. Retrieved 2021-02-23.
  • Пахульский Генрих Альбертовичk”. История - студенты. Московская государственная консерватория имени П. И. Чайковского. Retrieved 2021-02-23.
  • Келдыш, Юрий Всеволодович, ed. (1973-1982). “Пахульский”. Музыкальная энциклопедия. Retrieved 2021-02-23.