Władysław Żeleński (Poland, 1837 - 1921) - 6 Charakterstücke für Pianoforte, Op. 17 (Wien: J. P. Gotthard, 1872); No. 4. Canon. Lento e molto espressivo (A major)
今日はガリツィア出身のポーランドの作曲家・ピアノ奏者・指揮者・音楽教育者、ヴワディスワフ・ジェレニスキ没後100年の命日です。今回はジェレニスキ作曲「ピアノのための6つの性格的小品 Op. 17」より第4曲「カノン イ長調」を弾きました。
ジェレニスキ (ジェレンスキ) 家は雄牛の紋章 (Ciołek) を持つポーランドの貴族で、代々クラクフ周辺を拠点としていました。同家はカルヴァン主義を信仰していましたが、マルツィヤン・ジェレニスキ (Marcjan Żeleński, 1804 - 1846) の代の1828年にカトリックに改宗しました。マルツィヤンはポーランドの独立運動である11月蜂起 (1830-1831) に参加しましたが、農奴制に不満を持つ農民が武装して貴族を襲撃したガリツィアの虐殺 (Rzeź galicyjska) の犠牲者となり、領地であったグロトコヴィツェの荘園を襲われて1846年2月23日に殺されてしまいます。残された妻と子供たち (二男ヴワディスワフとその兄弟) はクラクフに移りました。
ヴワディスワフ・ジェレニスキはオーストリア帝国ガリツィア・ロドメリア王国のグロトコヴィツェ (Grodkowice) に生まれました。父マルツィヤンはアマチュアのピアノ奏者であり作曲も試みていました。グロトコヴィツェの地を相続した兄のスタニスワフ (Stanisław Żeleński, 1835 - 1909) は後に弁護士となりましたが、ピアノやチェロの演奏を嗜みました。父の死後に移ったクラクフ (オーストリア帝国クラクフ大公国) でカジミェシュ・ヴォイチェホフスキ (Kazimierz Wojciechowski) とヤン・ゲルマシュ (Jan Germasz) にピアノを、フランチシェク・ミレツキ (Franciszek Mirecki, 1791 - 1862) に和声法を師事したのち、1859年からプラハでアレクサンダー・ドライショク (Alexander Dreyschock, 1818 - 1869) にピアノを、ヨゼフ・クレイチー (Joseph Krejčí, 1821 - 1881) にオルガンと作曲を、1866年から1870年までパリでナポレオン・アンリ・ルベル (Napoléon Henri Reber, 1807 - 1880) とベルトルト・ダムケ (Berthold Damcke, 1812 - 1875) に作曲を師事しました。音楽を学ぶ傍ら1857年からクラクフのヤギェウォ大学で哲学を学び、1862年にはプラハのカレル大学で博士 (PhD) の学位を取得しました。
1871年にクラクフに戻ったのち、ワルシャワ (ロシア帝国沿ヴィスワ地方 Привислинский край) に移り、ワルシャワ音楽研究所 (Warszawski Instytut Muzyczny, 現在のフリデリク・ショパン音楽大学) の和声法と対位法の教授 (1872-1878. スタニスワフ・モニューシュコ (Stanisław Moniuszko, 1819 - 1872) の後任)、ワルシャワ音楽協会 (Warszawskie Towarzystwo Muzyczne) の芸術監督 (1878-1880) を務めました。1881年にクラクフに戻り、同地で音楽理論の教師を務めたのち、1888年に設立されたクラクフ音楽院 (Konserwatorium Muzyczne w Krakowie, 現在のクラクフ音楽アカデミー) の院長に就任しました。1921年1月23日にクラクフで亡くなりました。
1872年に結婚したワルシャワ出身の小説家・翻訳家のヴァンダ・グラボフスカ (Wanda Paulina Żeleńska z domu Grabowska, 1841 - 1904) との間の子に、建築家・ステンドグラス工房 Krakowski Zakład Witrażów S. G. Żeleński 創業者のスタニスワフ・ガブリエル・ジェレニスキ (Stanisław Gabriel Żeleński, 1873 - 1914)、著作家・翻訳家のタデウシュ・ボイ=ジェレニスキ (Tadeusz Kamil (pseud. Boy) Żeleński, 1874 - 1941) がいます。
教え子に以下の人物がいます。
- アレクサンデル・ポリニスキ (Aleksander Poliński, 1845 - 1916)
- ヴィトルト・チェチョット (Witold Czeczott, 1846 - 1929)
- アントニ・シギェティニスキ (Antoni Sygietyński, 1850 - 1923)
- ヤン・ドロズドフスキ (Jan Drozdowski, 1857 - 1918)
- エウゲニウシュ・パンキェヴィチ (Eugeniusz Pankiewicz, 1857 - 1898)
- セヴェリン・ベルソン (Seweryn Berson, 1858 - 1917)
- ヘンリク・パフルスキ (Henryk Pachulski, 1859 - 1921)
- アントニ・ルトコフスキ (Antoni Rutkowski, 1859 - 1886)
- ロマン・スタトコフスキ (Roman Statkowski, 1859 - 1925)
- フェリツィヤン・ショプスキ (Felicjan Szopski, 1865 - 1939)
- ヘレナ・ヴィンダキェヴィチョヴァ=ロガルスカ (Helena Windakiewiczowa-Rogalska, 1868-1956)
- ヘンリク・オピェニスキ (Henryk Opieński, 1870 - 1942)
- ジグムント・ストヨフスキ (Zygmunt Stojowski, 1870 - 1946)
- スタニスワフ・リプスキ (Stanisław Lipski, 1880-1937)
- ボレスワフ・ヴァレク=ヴァレフスキ (Bolesław Wallek-Walewski, 1885 - 1944)
出典:
- Grove Music Online.
- Chechlińska, Zofia (2001). “Czeczott [Czeczot; Danilewicz-Czeczot], Witold”.
- Dziębowska, Elżbieta (2001). “Drozdowski, Jan”.
- Chylińska, Teresa (2001). “Opieński, Henryk”.
- Chechlińska, Zofia (2001). “Pachulski, Henryk”.
- Morawska, Katarzyna (2001). “Pankiewicz, Eugeniusz”.
- Morawska, Katarzyna (2001). “Poliński, Aleksander”.
- Przybylski, Tadeusz (2001). “Rutkowski, Antoni”.
- Chylińska, Teresa (2001). “Statkowski, Roman”.
- Chylińska, Teresa (2001). “Stojowski, Zygmunt”.
- Jarociński, Stefan (2001). “Sygietyński, Antoni”.
- Hanuszewska, Mieczysława (2001). “Wallek-Walewski, Bolesław”.
- Chechlińska, Zofia (2001). “Żeleński, Władysław”.
- MGG Online.
- Dziadek, Magdalena (1999) 2016. “Berson, Seweryn”.
- Chrenkoff, Magdalena (2008) 2016. “Lipski, Stanisław Samuel”.
- Gmys, Marcin (2006) 2016. “Szopski, Felicjan”.
- Dahlig, Piotr (2007) 2016. “Windakiewiczowa-Rogalska, Helena”.
- Zieziula, Grzegorz (2007) 2016. “Żeleński, Wƚadysƚaw”.
- Kosińska, Małgorzata (2006). “Władysław Żeleński”. Polskie Centrum Informacji Muzycznej, Związek Kompozytorów Polskich. Culture.pl.
- Dziębowska, Elżbieta, ed. (2012). “Żeleński Władysław”. Encyklopedia Muzyczna PWM. 12. Kraków: Polskie Wydawnictwo Muzyczna.
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