2020-04-30

150th Birth Anniversary of Franz Lehár

Franz Lehár (Hungary, 1870 - 1948) - Sonatine all'antica, Op. 27 (Leipzig: C. Hofbauer, 1895); II. Andante (B minor)

今日はオーストリア=ハンガリー帝国の作曲家・指揮者、フランツ・レハール生誕150年の誕生日です。今回はレハール作曲「古風なソナチネ ト長調 Op. 27」より第2楽章 ロ短調を弾きました。楽譜は Les grands maîtres de l'art musical (Paris: Librairie commerciale, 1907) を使用しました。

東ズデーテン地方シェーンヴァルト (現在のチェコのシュムヴァルド Šumvald) 出身の軍楽隊長で同名のフランツ・レハール (Franz Lehár, 1838 - 1898) と、ハンガリー人のクリスティーネ・ノイブラント (Christine Neubrandt) の子として、ハンガリー王国のコマーロム (現在のスロヴァキアのコマールノ) に生まれました。幼少期は父の転勤に伴いハンガリー王国内の各地の駐屯地を移り、1880年にドイツ語の学習のために父と離れモラヴィアのシュテルンベルク (Šternberk) に移りました。

1882年にプラハ音楽院に入学し、アントニーン・ベネヴィツ (Antonín Bennewitz, 1833 - 1926) にヴァイオリンを、アントン・フェルステル (Anton Foerster, 1837 - 1926) に音楽理論を師事しました。音楽院のほかにズデニェク・フィビヒ (Zdeněk Fibich, 1850 - 1900) から作曲のレッスンを受け、ヨハネス・ブラームス (Johannes Brahms, 1833 - 1897) とアントニーン・ドヴォジャーク (Antonín Dvořák, 1841 - 1904) の助言を受けました。1888年の秋にバルメン=エルバーフェルト (現在のヴッパータール) の劇場ヴァイオリン奏者となりました。兵役のためオーストリア=ハンガリー帝国歩兵第50連隊の軍楽隊に入り、1890年にロソンツ (現在のスロバキアのルチェネツ Lučenec) の歩兵第25連隊、1894年にポーラ (現在のクロアチアのプーラ) の海兵隊、1896年にトリエステの歩兵第87連隊、1898年にブダペストの共同統治国ボスニア・ヘルツェゴヴィナ歩兵第3連隊 (退役した父の後任)、1899年にヴィーンの歩兵第26連隊のそれぞれの軍楽隊長に就任しました。1902年にオペレッタ『ウィーンの女たち』や管弦楽のためのワルツ『金と銀』が成功し、同年に軍を退役しました。1905年には代表作となるオペレッタ『メリー・ウィドウ』を発表します。

出典:



2020-04-21

150th Birth Anniversary of Óscar da Silva

Óscar Courrège da Silva‏ Araújo (Portugal, 1870 - 1958) - Bagatelles pour piano (OS I/40) (Lisbon: Sassetti & Ca., ca. 1923-1924); No. 4. Valse (B major)

今日はポルトガルの作曲家・ピアノ奏者、オスカル・ダ・シルヴァ生誕150年の誕生日です。今回はシルヴァ作曲「ピアノのためのバガテル集」(全6曲) より第4曲「ワルツ ロ長調」を弾きました。曲集のうちこのワルツについてはピアノ曲集 Piano: Op. I a XII; Óscar da Silva (Volume I) (Porto: Litografia Nacional, ca. 1915-1919) に含まれる「小ワルツ集 Les Petites valses, Op. 12 (OS I/37)」の第2番 Ad libitum と同じ曲です (Campinho 2015, pp. 123-126)。

ポルトのパラーニョスで生まれたオスカル・ダ・シルヴァは、母ルイーザ・アウグシュタ (Luísa Augusta Delage Courrège Araújo, 1838 - 1910) に音楽の手ほどきを受けたのち、フェリクス・モレイラ・デ・サー (Félix Moreira de Sá, b. 1855) にピアノを習いました。1882年にモレイラ・デ・サーがブラジルに渡るとミゲル・アンジェロ・ペレイラ (Miguel Ângelo Pereira, 1843 - 1901) が設立した音楽学校クルソ・ムジカル Curso Musical でペレイラとアルトゥール・フェレイラ・デ・ソウザ (Arthur Ferreira de Sousa, 1858 - 1926) にピアノを師事しました。ペレイラは母ルイーザ・アウグシュタのピアノの師でもありました。

1886年に一家はリスボンに移りました。同1886年から1887年まで王立リスボン音楽院 (Real Conservatório de Música de Lisboa) で学び、ティモテオ・ダ・シルヴェイラ (Timóteo da Silveira, 1854 - 1929) にピアノを、王立音楽愛好者アカデミー (Real Academia de Amadores de Música) の指揮者・教師でもあったヴァイオリン奏者ヴィクトル・フスラ (Victor Hussla, 1857 - 1899) に和声法と作曲を師事しました。1890年から音楽愛好者アカデミーなどで演奏会に出演し、自作もプログラムに入れています。1892年から1893年までライプツィヒ音楽院で、アドルフ・ルートハルト (Adolf Ruthardt, 1849 - 1934) にピアノを、カール・ライネッケ (Carl Reinecke, 1824 - 1910) に演奏解釈を、ザーロモン・ヤーダスゾーン (Salomon Jadassohn, 1831 - 1902) に対位法とフーガを、オスカー・パウル (Oscar Paul, 1836 - 1898) に音楽史と音楽美学を師事しました。1893年にはフランクフルト・アム・マインでクララ・シューマン (Clara Schumann, 1819 - 1896) から、1895年にはベルリンでカール・ハインリヒ・バルト (Karl Heinrich Barth, 1847 - 1922) からレッスンを受けています。1896年にリスボンに戻り、1905年にレサ・ダ・パルメイラ (Leça da Palmeira) に移住します。

1919年から1930年にかけてブラジル、米国、ポルトガル領アゾレス諸島、スペイン領カナリア諸島、エジプト、イタリア、アルゼンチン、ウルグアイ、スペインを、1938年から1939年にかけてポルトガル領東アフリカ (モザンビーク)、マデイラ諸島、アゾレス諸島、イギリス領南ローデシア (ジンバブエ)、ベルギー領コンゴ (コンゴ民主共和国)、フランス領コンゴ (コンゴ共和国) といったアフリカ各地を断続的に演奏旅行で巡りました。1932年以降はブラジルのリオデジャネイロを拠点に活動していましたが、1951年9月17日にリスボンに戻りました。

出典:

  • Slonimsky, Nicolas, ed. (1958). “Silva, Oscar da”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (5th edition). New York: G. Schirmer. page 1517.
  • Campinho, Miguel Audaciano (2015). Óscar da Silva (1870–1958) Life and Solo Piano Works (Doctor of Musical Arts thesis). The Hartt School, University of Hartford, ProQuest Dissertations Publishing.


2020-04-19

150th Death Anniversary of Camille Stamaty

Camille Stamaty (1811 - 1870) - Chant et mécanisme; Deuxième livre. 20 Études de moyenne difficulté, Op. 38; No. 17. Confidence. Andantino (B flat major)

今日はフランスの作曲家・ピアノ奏者・ピアノ教師、カミーユ・スタマティ没後150年の命日です。今回はスタマティ作曲「歌とメカニスム」第2巻「中難度の20の練習曲 Op. 38」より第17曲「打ち明け話 変ロ長調」を弾きました。

カミーユ・スタマティはチヴィタヴェッキアに勤めるフランス領事の父コンスタンタン・スタマティ (Constantin Stamaty) とアマチュア歌手の母ナニーヌ (Nanine Surdun) の子として、フランス帝国領となっていたローマに生まれました。父はギリシャ系であり、ギリシャ語での父の名はコンスタンティノス・スタマティス (Κωνσταντίνος Σταμάτης) となります。1818年に父が亡くなると母子はフランスに戻りました。スタマティはパリでアレクサンドル・フェシ (Alexandre Fessy, 1804 - 1856) にピアノを師事する一方で文学を学び、1828年にセーヌ県の職員となりました。1830年頃にフリードリヒ・カルクブレンナー (Friedrich Kalkbrenner, 1785 - 1849) に演奏を認められて彼に師事すると、ほどなく作曲家を志すようになりました。1832年から1833年までパリ音楽院でアントニーン・レイハ (Anton Reicha, 1770 - 1836) に対位法を学びました。1835年3月15日にサル・プレイエル (Salle Pleyel) でピアノ奏者として初めて公開演奏をしました。このときに自作のピアノ協奏曲 (おそらくOp. 2) と変奏曲 (おそらく自作主題による Op. 3)、カルクブレンナー作曲「2台のピアノのための大二重奏曲 ニ長調 Op. 128」(カルクブレンナーとの共演) を演奏しています。1836年9月にライプツィヒで短期間フェーリクス・メンデルスゾーン (Felix Mendelssohn, 1809 - 1847) に作曲を師事し、1837年の初めにパリに戻りました。1862年にレジオンドヌール勲章 (シュヴァリエ Chevalier) を受章しました。ピアノの教え子にルイス・モロー・ゴットシャルク (Louis Moreau Gottschalk, 1829 - 1869)、カミーユ・サン=サーンス (Camille Saint-Saëns, 1835 - 1921)、ルイーズ・ヘーネル・デ・クローネンタール (Louise Haenel de Cronenthall, 1835 - 1896) がいます。

出典:



2020-04-08

100th Death Anniversary of Charles Tomlinson Griffes

Charles Tomlinson Griffes (USA, 1884 - 1920) - 6 Short Pieces, A. 136 (New York: G. Schirmer, 1918); No. 1. Dance Song. Tempo di Valzer (C major)

今日は米国の作曲家・ピアノ奏者、チャールズ・トムリンソン・グリフィス没後100年の命日です。今回はグリフィス作曲「踊り歌 ハ長調」(ワルツのテンポで) を弾きました。この作品は当初アーサー・トムリンソン (Arthur Tomlinson) の変名で出版されました。

ニューヨーク州エルマイラに生まれたチャールズ・トムリンソン・グリフィスは、姉のキャサリン (Katharine) にピアノの手ほどきを受けたのち、エルマイラ大学 (Elmira College) の教師メアリー・セリーナ・ブロートン (Mary Selena Broughton) にピアノを師事します。ブロートンの勧めと資金援助により1903年にベルリンに留学し、シュテルン音楽院に入学しました。音楽院でエルンスト・イェドリチカ (Ernst Jedliczka, 1855 - 1904) とゴトフリート・ガルストン (Gottfried Galston, 1879 - 1950) にピアノを、フィーリプ・リューファー (Philipp Rüfer, 1844 - 1919) に作曲を、マックス・レーヴェンガルト (Max Loewengard, 1860 - 1915) とヴィルヘルム・クラテ (Wilhelm Klatte, 1870 - 1930) に対位法を師事しました。1905年10月から翌1906年4月の間にエンゲルベルト・フンパーディンク (Engelbert Humperdinck, 1854 - 1921) から十数回の作曲のレッスンを受けました。ベルリンにいる間、作曲家としての活動のほかにピアノや和声法の教師を務め、ピアノ独奏者として公開演奏をする機会もありました。1907年7月に米国ニューヨーク州に戻り、同年9月から1920年までタリータウン (Tarrytown) にあるハックリー・スクール (Hackley School) の音楽科長を務めました。1918年に始まったインフルエンザ・パンデミック (スペインかぜ) が続く中で肺炎となり、35歳で亡くなりました。

出典:

  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1940). “Griffes, Charles Tomlinson”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (4th edition). New York: G. Schirmer. page 436.
  • Anderson, Donna K. (2001). “Griffes, Charles T(omlinson)”. Grove Music Online.
  • Harrington, John P. (2007). The Life of the Neighborhood Playhouse on Grand Street. Syracuse University Press. p. 148.


100th Death Anniversary of Alois Francis Lejeal

Alois Francis Lejeal (Alsace, France, 1840 - 1920) - 3 Morceaux pour piano (Dedicated to Joseph Trenkle. San Francisco: M. Gray, 1876); No. 2. Gavotte. Un poco animato (A major)

今日はフランス・アルザス出身の米国の作曲家・ピアノ奏者、アロイス・フランシス・ルジャル没後100年の命日です。今回はルジャル作曲「ピアノのための3つの小品」より第2曲「ガヴォット イ長調」を弾きました。曲集にはほかに「無言歌 ホ長調 Chanson sans paroles 」と「即興スケルツォ ニ長調 Scherzo impromptu 」が含まれます。

アグノーに生まれたアロイス・フランシス・ルジャルは、おじのイグナティウス・ガルナー (Ignatius Garner) に学び、 ミュンヘンメルヒオール・エルンスト・ザックス (Melchior Ernst Sachs, 1843 - 1917) に作曲を師事しました。米国に渡り1862年にニューヨークに移住します。同地でニューヨーク音楽院 (New York Conservatory of Music) を設立しました。1870年にヨーロッパに戻り、1875年にサンフランシスコに移住します。 作品に数曲のミサ曲 (ニ長調、イ長調、変ホ長調ほか)、テ・デウム ニ長調、レクイエム、アヴェ・マリア (ソプラノとテノールのための二重唱曲)、ヴァイオリンとピアノのための婚礼音楽組曲 (Suite of Wedding Music) のほか、結婚行進曲 Op. 27、薄明 (Twilight)、献身 (Devotion, Romance) Op. 34、幽霊 (Fantasma)、スケルツォ、カスカリラ (Cascarilla, Waltz) といったピアノ曲があります。著書にピアノ教本 The Modern School of Piano Technics, Op. 25; Preparatory Piano Method があります。

出典:

  • Champlin, John Denison; Apthorp, William Foster, eds. (1889). “Lejeal, Alois Francis”. Cyclopedia of Music and Musicians. 2. New York: Charles Scribner’s Sons. page 444.
  • Alois F. Lejeal”. Pacific Coast Music Review. Vol. 38 no. 7. San Francisco. 1920-05-15. page 7.
  • Northern California Composers”. San Francisco Public Library.