Franz Lehár (Hungary, 1870 - 1948) - Sonatine all'antica, Op. 27 (Leipzig: C. Hofbauer, 1895); II. Andante (B minor)
今日はオーストリア=ハンガリー帝国の作曲家・指揮者、フランツ・レハール生誕150年の誕生日です。今回はレハール作曲「古風なソナチネ ト長調 Op. 27」より第2楽章 ロ短調を弾きました。楽譜は Les grands maîtres de l'art musical (Paris: Librairie commerciale, 1907) を使用しました。
東ズデーテン地方シェーンヴァルト (現在のチェコのシュムヴァルド Šumvald) 出身の軍楽隊長で同名のフランツ・レハール (Franz Lehár, 1838 - 1898) と、ハンガリー人のクリスティーネ・ノイブラント (Christine Neubrandt) の子として、ハンガリー王国のコマーロム (現在のスロヴァキアのコマールノ) に生まれました。幼少期は父の転勤に伴いハンガリー王国内の各地の駐屯地を移り、1880年にドイツ語の学習のために父と離れモラヴィアのシュテルンベルク (Šternberk) に移りました。
1882年にプラハ音楽院に入学し、アントニーン・ベネヴィツ (Antonín Bennewitz, 1833 - 1926) にヴァイオリンを、アントン・フェルステル (Anton Foerster, 1837 - 1926) に音楽理論を師事しました。音楽院のほかにズデニェク・フィビヒ (Zdeněk Fibich, 1850 - 1900) から作曲のレッスンを受け、ヨハネス・ブラームス (Johannes Brahms, 1833 - 1897) とアントニーン・ドヴォジャーク (Antonín Dvořák, 1841 - 1904) の助言を受けました。1888年の秋にバルメン=エルバーフェルト (現在のヴッパータール) の劇場ヴァイオリン奏者となりました。兵役のためオーストリア=ハンガリー帝国歩兵第50連隊の軍楽隊に入り、1890年にロソンツ (現在のスロバキアのルチェネツ Lučenec) の歩兵第25連隊、1894年にポーラ (現在のクロアチアのプーラ) の海兵隊、1896年にトリエステの歩兵第87連隊、1898年にブダペストの共同統治国ボスニア・ヘルツェゴヴィナ歩兵第3連隊 (退役した父の後任)、1899年にヴィーンの歩兵第26連隊のそれぞれの軍楽隊長に就任しました。1902年にオペレッタ『ウィーンの女たち』や管弦楽のためのワルツ『金と銀』が成功し、同年に軍を退役しました。1905年には代表作となるオペレッタ『メリー・ウィドウ』を発表します。
出典:
- Harten-Flamm, Christa (1985). “Lehár, Franz”. Neue Deutsche Biographie 14. pages 66-68.
- Lamb, Andrew (2001). “Lehár, Franz (Christian)”. Grove Music Online. doi:10.1093/gmo/9781561592630.article.16318.