Pyotr Abramovich Khvoshchinsky (P. Khvostchinsky ; Пётр Абрамович Хвощинский, Russia, 1882 - 1920) -
3 Morceaux pour piano, Op. 8 (Moscow: P. Jurgenson, 1910); No. 3. Mazurka, e-Moll
6 Morceaux pour piano, Op. 10 (Moscow: P. Jurgenson, 1911); No. 5. Prélude, cis-Moll
2 Préludes pour piano, Op. 13 (Moscow: P. Jurgenson, 1912); No. 2. Prélude, C-Dur
ロシアの作曲家・軍人、ピョートル・アブラーモヴィチ・フヴォシチーンスキーのピアノ小品から「マズルカ ホ短調 Op. 8 No. 3」、「前奏曲 嬰ハ短調 Op. 10 No. 5」、「前奏曲 ハ長調 Op. 13 No. 2」を弾きました。
Энциклопедия Традиция (traditio.wiki) によると、サンクトペテルブルクに生まれたフヴォシチーンスキーは、1902年よりペテルブルク音楽院でニコライ・ソコローフ (Nikolay Sokolov, 1859 - 1922) に、1905年よりニコライ・チェレプニーン (Nikolay Tchelepnin, 1873 - 1945) に、1908年にニコライ・リムスキー=コルサコフ (Nikolay Rimsky-Korsakov, 1844 - 1908) に、その後アナトーリー・リャードフ (Anatoly Lyadov, 1855 - 1914) などに師事。軍人としては第一次世界大戦中に陸軍中佐 (Подполковник) に昇進したものの、ロシア内戦の最中の1919年にモスクワのブティールカ監獄に収容され、獄中で病死したということです。
ペテルブルク音楽院在学中に同院の学生だった音楽家というと、レオニード・クロイツァー (Leonid Kreutzer, 1883 - 1953)、アルトゥール・レンバ (Artur Lemba, 1885 - 1963)、エフレム・ジンバリスト (Efrem Zimbalist, 1889 - 1985)、ボリス・アサフィエフ (Boris Asafyev, 1884 - 1949)、セルゲイ・プロコフィエフ (Sergey Prokofiev, 1891 - 1953)、ニコライ・ミャスコフスキー (Nikolay Myaskovsky, 1881 - 1950)、マクシミリアン・シテインベルク (Maksimilian Steinberg, 1883 - 1946) などがいます。これらの音楽家の中にフヴォシチーンスキーと交友のあった人物がいるかもしれません。また作品の被献呈者を見ると、「小さなワルツ ト長調 Op. 10 No.4」がピアノ奏者のレオカディヤ・カシペロヴァ (Leokadiya Kashperova, 1872 - 1940) に献呈されています。
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