2016-10-30

100th Death Anniversary of Paul Höfle

Paul Höfle (Germany, 1852 - 1916) - Mazurka No. 1 in C major (1895). Frau N. W. v. Wlassieff gewidmet.

今日はドイツの作曲家・ツィター奏者、パウル・ヘフレ没後100年の命日です。今回はヘフレ作曲「マズルカ 第1番 ハ長調」を弾きました。この曲は1895年に「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に「マズルカ 第2番 変イ長調」とともに掲載されたようです。ヘフレはドイツのパーゼヴァルク (Pasewalk) に生まれ、ロシアのヴォーログダで亡くなりました。

100th Death Anniversary of Silas Gamaliel Pratt

Silas Gamaliel Pratt (America, 1846 - 1916) - Meditation religieuse, Op. 42 (A major)

今日は米国の作曲家サイラス・ガマリエル・プラット没後100年の命日です。今回はプラット作曲「宗教的瞑想曲 イ長調 Op. 42」を弾きました。

バーモント州アディソンに生まれたサイラス・ガマリエル・プラットは、1866年から1868年までシカゴで音楽を学び、1868年から1871年までベルリンでフランツ・ベンデル (Franz Bendel, 1833 - 1874) とテオドル・クラク (Theodor Kullak, 1818 - 1882) にピアノを、ハインリヒ・ドルン (Heinrich Dorn, 1804 - 1892) とフリードリヒ・キール (Friedrich Kiel, 1821 - 1885) に作曲を師事します。その後は主にシカゴ、ニューヨーク、ピッツバーグを拠点に指揮者・ピアノ教師としても活動しました。

出典:

  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Pratt, Silas Gamalielm”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 721.
  • 2016-10-25

    150th Birth Anniversary of Georg Schumann

    Georg Schumann (Germany, 1866 - 1952) - Durch Dur und Moll. 24 Stücke für Klavier, Op. 61; No. 13. Süßes Erinnern. Duett. Ruhug bewegt und sehr zart. Allegretto (F sharp major)

    今日はドイツの作曲家・ピアノ奏者・音楽教師、ゲオルク・シューマン生誕150年の誕生日です。今回はシューマン作曲「長調と短調をめぐって、ピアノのための24の小品 Op. 61」より第13曲「甘い思い出、デュエット」を弾きました。

    ゲオルク・シューマンは1877年から1881年までドレスデンでカール・アウグスト・フィッシャー (Carl August Fischer, 1828-1892)、ベルンハルト・ロルフス (Bernhard Rollfuss, 1837-1904)、フリードリヒ・バウムフェルダー (Friedrich Baumfelder, 1836-1916) に、次いで1888年までライプツィヒ音楽院でカール・ライネッケ (Carl Reinecke, 1824-1910)、ザーロモン・ヤーダスゾーン (Salomon Jadassohn, 1831-1902)、ブルーノ・ツヴィンチャー (Bruno Zwintscher, 1838-1905) に師事しました。1907年からベルリンのプロイセン芸術アカデミー (Preußische Akademie der Künste) の音楽教師として、パンチョ・ヴラディゲロフ (Pancho Vladigerov, 1899-1978)、信時潔 (Nobutoki Kiyoshi, 1887-1965)、箕作秋吉 (1895-1971) といった音楽家を指導しました。日本では信時や箕作の師としてゲオルク・シューマンの名を知っている人も多いでしょう。

    出典: Baker, Theodore and Remy, Alfred, ed. (1919). “Schumann, Georg (Alfred)”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 850.

    2016-10-23

    150th Birth Anniversary of Leonid Lisovsky

    Leonid Leonidovich Lisovsky (Russia, 1866 - 1934) - Album de pièces pour piano; No. 1. Feuille d'album (F minor)

    今日はロシア出身のウクライナの作曲家レオニート・リソーフスキー生誕150年の誕生日です。今回はリソーフスキー作曲「小品のアルバム」より第1曲「アルバムの綴り ヘ短調」を弾きました。

    ペテルブルクに生まれたレオニート・リソーフスキーは、ハルキウ大学で歴史言語学を専攻しながらイリヤー・スラチーン (Ilya Slatin, 1845 - 1931) にピアノを師事しました。ハルキウ大学を卒業後、1907年までペテルブルク音楽院でニコライ・ソロヴョーフ (Nikolay Solovyov, 1846 - 1916) に作曲を、フランツ・チェルニー (Franz Czerny, 1830 - 1900) にピアノを師事し、音楽院卒業後はポルタヴァ、ティフリス (トビリシ)、ハルキウなどで音楽教師をしています。

    2016-10-20

    150th Birth Anniversary of George Aitken

    George Benjamin Johnston Aitken (1866 - 1942) - Memories, Op. 22; No. 1. Canzonet. Allegretto (A flat major)

    今日はイングランドの作曲家・オルガン奏者・ピアノ奏者、ジョージ・エイトケン生誕150年の誕生日です。今回はエイトケン作曲「思い出 Op. 22」より第1曲「カンツォネット 変イ長調」を弾きました。

    「思い出」は3曲からなりそれぞれに題辞が置かれています。カンツォネットの題辞はシェイクスピアの戯曲「冬物語」第4幕第4場の道化 (Clown) の台詞です。

    What hast here? ballads?
    I love a ballad but even too well;
    if it be doleful matter, merrily set down,
    or a very pleasant thing indeed, and sung lamentably.
    "Winter's Tale"

    2016-10-16

    150th Birth Anniversary of Elise Wiel

    Elise Wiel (Norway, 1866 - 1926) - 5 Små Klaverstykker, Op. 2; 3. Romance. Moderato (E flat major)

    今日はノルウェーの作曲家エリース・ヴィール生誕150年の誕生日です。今回はヴィール作曲「5つのピアノ小品 Op. 2」より第3曲「ロマンス 変ホ長調」を弾きました。

    2016-10-10

    150th Birth Anniversary of Karl von Kaskel

    Karl Simon Emil Israel von Kaskel (Germany, 1866 - 1943) - 4 Klavierstücke, Op. 5; No. 3. Andantino in D flat major

    今日はドイツの作曲家カール・フォン・カスケル生誕150年の誕生日です。今回はカスケル作曲「4つのピアノ小品 Op. 5」より第3曲 変ニ長調を弾きました。

    カスケル家はユダヤ人の一族で、バンクハウス・カスケル設立者の高祖父から父までのヤーコプ (1742-1788)、ミヒャエル (1775-1845)、カール (1797-1874)、フェーリクス (1833-1894) は代々個人銀行家でした。祖父のカール・フォン・カスケル (Michael Ernst Karl von Kaskel) は音楽を嗜み、ジャコモ・マイアベーアやカール・マリア・フォン・ヴェーバーといった同時代の音楽家との親交も知られています。バンクハウス・カスケルは1872年にドレスナー銀行となりました。

    カール・フォン・カスケルは初めライプツィヒで法律を学んでいましたが、音楽の道に転向してライプツィヒ音楽院でザーロモン・ヤーダスゾーン (Salomon Jadassohn) とカール・ライネッケ (Carl Reinecke) に、次いでケルンでフランツ・ヴュルナー (Franz Wüllner) に師事しました。生地のドレスデンで活動したあと1930年代にミュンヘンに移りましたが、ユダヤ人迫害が激しくなるとベルリンで隠れ住むようになり、そのまま同地で亡くなりました。

    2016-10-04

    100th Death Anniversary of Max Battke

    Max Battke (Germany, 1863 - 1916) - Märchen in E minor, Op. 11 No. 3

    今日はドイツの作曲家・音楽教師、マックス・バトケ没後100年の命日です。今回はバトケ作曲「メルヘン ホ短調 Op. 11 No. 3」を弾きました。この曲は1902年に「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されています。

    東プロイセンのシフス (Schiffuß, 現ポーランド領シヴォシェヴォ Siwoszewo) に生まれたマックス・バトケは、ケーニヒスベルクで、マックス・エステン (Max Oesten, 1843 - 1917) に師事し、次いで、ベルリンの王立高等音楽学校で学びます。シュテルン音楽院などのベルリンの音楽学校で教師として活動し、1900年には音楽ゼミナール (Seminar für Musik, 1910年に学校歌唱ゼミナール Seminar für Schulgesang と改称) の設立にも関わります。1897年に著作家のアーダ・ツィンメルマン (Ada Battke, geb. Zimmermann, b. 1879) と結婚し、二男のハインツ (Heinz Battke, 1900 - 1966) はのちに画家となっています。1916年10月4日にマックス・バトケはベルリンで亡くなりましたが、翌1917年には長男のフリッツ (Fritz Battke, 1898 - 1917) も第一次世界大戦のために亡くなりました。

    生地のシヴォシェヴォはロシア・カリーニングラード州との国境の街であり、プロイセン時代のシフスが含まれていたヴァントラケン郡 (Amtsbezirk Wandlacken) の中心都市ヴァントラケンは、現在ではロシア領のズヴェーレヴォ (Зверево) となりました。

    出典: Baker, Theodore, Baker's Biographical Dictionary of Musicians, 4th edition, 1940, page 68.