Joseph Küffner (Germany, 1776 - 1856) - 12 Pièces faciles à l'usage des commençants pour piano-forte, composées et dédiées à son Altesse Royale le Prince Otto de Bavière, Op. 131 (Mainz: B. Schott's Söhne); No. 4. Andante (F major).
今日はドイツの作曲家・ヴァイオリン奏者、ヨーゼフ・キュフナー生誕250年の誕生日です。今回はキュフナー作曲「ピアノのための初学者のための易しい12の小品 Op. 131」より第4曲 ヘ長調を弾きました。曲集はバイエルン王子オットー、のちの初代ギリシャ国王オソン1世 (Otto of Greece, 1815 - 1867) に献呈されました。
母方の祖父はヴュルツブルク司教領宮廷音楽監督のヨハン・ゲオルク・フランツ・ヴァスムート (Johann Georg Franz Waßmuth, 1707 - 1766)、父方の祖父はレーゲンスブルク近郊の街の笛奏者のヨハン・キュフナー (Johann Küffner)、父は1768年からヴュルツブルク司教領宮廷作曲家を務めていた作曲家のヴィルヘルム・キュフナー (Wilhelm Küffner, 1727 - 1797) でした。
ヨーゼフ・キュフナーは1776年3月31日にヴュルツブルク司教領の首都ヴュルツブルク (Würzburg) で生まれました。ヴュルツブルク司教領宮廷コンツェルトマイスターのヨーゼフ・ローレンツ・シュミット (Joseph Lorenz Schmitt, 1731 - 1796) にヴァイオリンを師事し、1800年または1801年に宮廷楽団のヴァイオリン奏者に就任しました。1801年のリュネヴィルの和約により1803年にヴュルツブルク司教領がバイエルン選帝侯領に併合されると、キュフナーは宮廷音楽家の職を解かれましたが、バイエルン陸軍軍楽隊において音楽教師となり、やがて軍楽監督 (Militärmusik-Direktor) に就任しました。この頃にフランツ・ヨーゼフ・フレーリヒ (Franz Joseph Fröhlich, 1780 - 1862) から作曲法を学び、作曲家としての活動も始めました。1805年のプレスブルクの和約により旧司教領がヴュルツブルク選帝侯領(1806年8月6日の神聖ローマ帝国解体後にヴュルツブルク大公国に改称)としてバイエルン選帝侯領から独立すると、キュフナーは新たな君主の下で引き続き軍楽監督を務め、宮廷音楽家の地位を得ました。1810年頃からオッフェンバッハ・アム・マインのアンドレ社 (Offenbach am Main: Johann André) とマインツのショット社 (Mainz: B. Schott's Söhne) と契約し、以後はこの2社から自作を出版するようになります。1814年にヴュルツブルク大公国がバイエルン王国に併合されると再び宮廷音楽家の地位を失い、収入の減少を補うために作曲家としていっそう熱心に活動しました。1827年にアンドレ社主のヨハン・アントン・アンドレ (Johann Anton André, 1775 - 1842) と金銭関係の発言をめぐって仲違いし、以後はショット社からのみ出版するようになりました。1856年9月9日にヴュルツブルクで、満80歳で亡くなりました。
出典:
- Beer, Axel (2023-06-05).“Joseph Küffner”. Musik und Musiker am Mittelrhein 2 Online. Retrieved 2026-03-31.
- Bernsdorf, Eduard, ed. (1857).“Küffner, Joseph”. Neues Universal-Lexikon der Tonkunst : für Künstler, Kunstfreunde und alle Gebildeten. Volume 2. Dresden: Robert Schäfer. pages 672-673.
- Henke, Matthias (2003/2016). “Küffner, Joseph”. MGG Online. Retrieved 2026-03-31.
0 件のコメント:
コメントを投稿