2025-08-09

150th Birth Anniversary of Albert Ketèlbey

Albert William Ketèlbey (England, 1875 - 1959) / Rolf Bender - Zigeuner-Walzer ; Valse tzigane ; Gipsy Waltz. Tempo di Valse moderato (A minor. Mainz: B. Schott's Söhne, 1928).

今日はイングランドの作曲家・オルガン奏者・指揮者、アルバート・ウィリアム・ケテルビー生誕150年の誕生日です。今回はケテルビー作曲、ヴァイオリンとピアノのための「ジプシー・ワルツ イ短調」の、ロルフ・ベンダーによるピアノ独奏編曲を弾きました。編曲者のベンダーについては詳細が分からなかったのですが、ショット社で編曲家として活動した人物のようです。

アルバート・ケテルビーは1875年8月9日に英国イングランドのバーミンガム (Birmingham) 近郊の街アストン (Aston. 現在はバーミンガム市内に含まれる) で生まれました。アルフレッド・ゴール (Alfred Robert Gaul, 1837 - 1913)、ハーバート・ウェアリング (Herbert Wareing, 1857 - 1918) に師事したのち、13歳のときにヴィクトリア女王奨学金 (作曲) を得て、ロンドンのトリニティ・カレッジ・オブ・ミュージックでジョージ・バンブリッジ (George Edmund Bambridge, 1842 - 1916)、ゴードン・ソーンダーズ (Gordon Saunders, 1837 - 1912)、フレデリック・コーダー (Frederick Corder, 1852 - 1932) に師事しました。

16歳でウィンブルドンの聖ジョン教会 (St. John's Church in Wimbledon) オルガン奏者に、22歳でヴォードヴィル劇場 (Vaudeville Theatre) 音楽監督に就任。作曲家としては「ファントム・メロディ The Phantom Melody 」(1912. 原曲はチェロとピアノのための作品)、「修道院の庭にて In a Monastery Garden 」(1915)、「ペルシャの市場にて In a Persian Market 」(1920)、「中国寺院の庭にて In a Chinese Temple Garden 」(1923)、「心の奥深く Sanctuary of the Heart 」(1924)、「エジプトの秘境にて In the Mystic Land of Egypt 」(1931) など、軽音楽の分野の管弦楽曲で人気を博したほか、コミック・オペラや室内楽曲などを書いています。晩年はワイト島で過ごし、1959年11月26日にワイト島北岸のカウズ (Cowes) で亡くなりました。

出典

2025-08-06

150th Birth Anniversary of Marcel Labey

Marcel Labey (France, 1875 - 1968) - 2 Pièces pour harmonium, Op. 14; No. 2. Élévation (D minor. Juillet 1913).

今日はフランスの作曲家・指揮者、マルセル・ラベ生誕150年の誕生日です。今回はラベ作曲「ハルモニウムのための2つの小品 Op. 14」より第2曲「エレヴァシオン (聖体奉挙) ニ短調」を弾きました。楽譜は「オルガンの同時代の大家、オルガンまたはハルモニウムのための未発表小品集 Maîtres contemporains de l’orgue. Pièces inédites pour orgue ou harmonium 」第4巻 (Paris: Maurice Senart & Cie., 1914) の162-168頁に収録されています。

マルセル・ラベは1875年8月6日にフランス共和国セーヌ=エ=オワーズ県ル・ヴェジネ (Le Vésinet) で弁護士の子として生まれました。当初、パリで法律を学んで1897年に法学博士を取得し、1901年まで弁護士として活動しました。学位取得後に音楽の道に転向してスコラ・カントルム (Schola Cantorum de Paris) に入学し、エリ=ミリアム・ドラボルド (Élie-Miriam Delaborde, 1839 - 1913)、ルイ・ブライトナー (Louis Breitner, b. 1851) にピアノを、ルネ・ルノルマン (René Lenormand, 1846 - 1932) に和声法を、ヴァンサン・ダンディ (Vincent d'Indy, 1851 - 1931) に作曲法を師事しました。1903年から1913年まで同校でダンディの管弦楽クラスの助手となり、ピアノ教授となりました。ダンディの死後の1931年から1935年までは同校の理事を務めました。1935年から1954年まで、共同設立者の一人となったエコール・セザール・フランク (École César Franck) でも理事を務めました。1968年11月25日にムルト=エ=モゼル県ナンシー (Nancy) で亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

出典

  • Grove Music Online. Retrieved 2025-08-06.
  • Argoeuves, Michel Gorguette d' (1940). “Marcel LABEY”. Musica et Memoria. Retrieved 2025-08-06.

2025-08-03

150th Death Anniversary of Konrad Max Kunz

Konrad Max Kunz (Germany, 1812 - 1875) - Zwiefache. 12 der schönsten alten Oberpfälzer Bauern-Tänze (National-Melodien) zum ersten Male herausgegeben und für das Piano-Forte eingerichtet (Mainz: B. Schott's Söhnen, 1849); No. 11 in B flat major.

今日はドイツの作曲家・オルガン奏者・ピアノ奏者・歌手・指揮者・音楽教師、コンラート・マックス・クンツ没後150年の命日です。今回はクンツによりピアノ独奏用に編曲された「ツヴィーファッハー集、最も美しく古い12のオーバープファルツ農民舞曲」より第11番 変ロ長調を弾きました。ツヴィーファッハー (Zwiefacher) は南部ドイツとその周辺に伝わる輪舞 (Rundtanz) の一つで、繰り返されるフレーズの中で3拍子 (ワルツ Walzer) と2拍子 (ドレーアー Dreher) の部分が時に不規則に交替するのが特徴です。

コンラート・マックス・クンツは1812年4月29日にバイエルン王国オーバープファルツ地方シュヴァンドルフ (Schwandorf) で生まれました。管楽器奏者であり街の塔守を務めていた (古くからの塔守の家系であった) 父フランツ・ミヒャエル・クンツ (Franz Micharl Kunz, 1783 - 1828) から音楽の手ほどきを受け、幼少期から祝祭、教会、公的な催し物で演奏しました。ギムナジウムで学んだのち、アンベルクの哲学神学校 (Philosophisch-theologisches Seminar) に進学し、ヨハン・エヴァンゲリスト・ダイシャー (Johann Evangelist Deischer, 1802 - 1839) に師事しました。 ギムナジウムの学生だったころから、神学校付属教会のオルガン奏者、ギムナジウムの器楽教師、トルコ音楽を奏でる学校オーケストラの指揮者を務めていました。

1832年からミュンヒェン大学で神学を、翌年から法律を学びましたが、1837年に退学して音楽教師、聖歌隊指揮者となりました。1840年に合唱団ミュンヒェナー・リーダーターフェル (Münchener Liedertafel) を設立し、その指揮者に就任。1845年にミュンヒェン宮廷劇場(現在のバイエルン国立歌劇場)指揮者フランツ・ラハナー (Franz Paul Lachner, 1803 - 1890) の指名により同劇場の合唱と付随音楽の監督に就任。1860年に「バイエルン賛歌 Bayernhymne 」(ミヒャエル・エクスナー Michael Öchsner 詞、バイエルン王国国歌、歌詞を変え現在のバイエルン州歌となった) を初演しました。1875年8月3日にミュンヒェンで亡くなりました。

出典:

  • MGG Online. Retrieved 2025-08-03.
  • Timmermann, Johannes; Weiß, Dieter J.; Zech-Kleber, Bernhard von (2017-05-31). “Bayernhymne”. Historisches Lexikon Bayerns. Retrieved 2025-08-03.
  • Kunz, Konrad Max”. Bayerisches Musiker-Lexikon Online (BMLO). Retrieved 2025-08-03.