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2025-08-03

150th Death Anniversary of Konrad Max Kunz

Konrad Max Kunz (Germany, 1812 - 1875) - Zwiefache. 12 der schönsten alten Oberpfälzer Bauern-Tänze (National-Melodien) zum ersten Male herausgegeben und für das Piano-Forte eingerichtet (Mainz: B. Schott's Söhnen, 1849); No. 11 in B flat major.

今日はドイツの作曲家・オルガン奏者・ピアノ奏者・歌手・指揮者・音楽教師、コンラート・マックス・クンツ没後150年の命日です。今回はクンツによりピアノ独奏用に編曲された「ツヴィーファッハー集、最も美しく古い12のオーバープファルツ農民舞曲」より第11番 変ロ長調を弾きました。ツヴィーファッハー (Zwiefacher) は南部ドイツとその周辺に伝わる輪舞 (Rundtanz) の一つで、繰り返されるフレーズの中で3拍子 (ワルツ Walzer) と2拍子 (ドレーアー Dreher) の部分が時に不規則に交替するのが特徴です。

コンラート・マックス・クンツは1812年4月29日にバイエルン王国オーバープファルツ地方シュヴァンドルフ (Schwandorf) で生まれました。管楽器奏者であり街の塔守を務めていた (古くからの塔守の家系であった) 父フランツ・ミヒャエル・クンツ (Franz Micharl Kunz, 1783 - 1828) から音楽の手ほどきを受け、幼少期から祝祭、教会、公的な催し物で演奏しました。ギムナジウムで学んだのち、アンベルクの哲学神学校 (Philosophisch-theologisches Seminar) に進学し、ヨハン・エヴァンゲリスト・ダイシャー (Johann Evangelist Deischer, 1802 - 1839) に師事しました。 ギムナジウムの学生だったころから、神学校付属教会のオルガン奏者、ギムナジウムの器楽教師、トルコ音楽を奏でる学校オーケストラの指揮者を務めていました。

1832年からミュンヒェン大学で神学を、翌年から法律を学びましたが、1837年に退学して音楽教師、聖歌隊指揮者となりました。1840年に合唱団ミュンヒェナー・リーダーターフェル (Münchener Liedertafel) を設立し、その指揮者に就任。1845年にミュンヒェン宮廷劇場(現在のバイエルン国立歌劇場)指揮者フランツ・ラハナー (Franz Paul Lachner, 1803 - 1890) の指名により同劇場の合唱と付随音楽の監督に就任。1860年に「バイエルン賛歌 Bayernhymne 」(ミヒャエル・エクスナー Michael Öchsner 詞、バイエルン王国国歌、歌詞を変え現在のバイエルン州歌となった) を初演しました。1875年8月3日にミュンヒェンで亡くなりました。

出典:

  • MGG Online. Retrieved 2025-08-03.
  • Timmermann, Johannes; Weiß, Dieter J.; Zech-Kleber, Bernhard von (2017-05-31). “Bayernhymne”. Historisches Lexikon Bayerns. Retrieved 2025-08-03.
  • Kunz, Konrad Max”. Bayerisches Musiker-Lexikon Online (BMLO). Retrieved 2025-08-03.