2025-06-03

150th Death Anniversary of Georges Bizet

Georges Bizet (France, 1838 - 1875) / Paul Blumenthal (Germany, 1843 - 1930) - Carmen. Opéra-comique en 4 actes; Act IV, No. 26. Si tu m'aimes, Carmen.

今日はフランスの作曲家ジョルジュ・ビゼー没後150年の命日です。今回はビゼー作曲「カルメン」より第4幕第26曲「もしお前が俺を好きなら、カルメン」の、パウル・ブルーメンタールによるハルモニウム独奏編曲を弾きました。楽譜はパウル・ブルーメンタール編纂の楽譜集「ハルモニウム・アルブム Harmonium-Album 」第3巻 (Frankfurt an der Oder: Georg Bratfisch, No. 38, 1923) の15頁に第11曲 Lied „Liebst du mich“ aus der Oper: Carmen. Andantino (D major) として収録されています。

ジョルジュ・ビゼーは1838年10月25日にフランス王国の首都パリで、いずれも声楽教師のアドルフ=アルマン・ビゼー (Adolphe-Armand Bizet, 1810 - 1886)、エメ・ビゼー (Aimée Bizet née Delsarte, 1815 - 1861) の子として生まれました。母から音楽の手ほどきを受け、その兄である伯父の音楽家フランソワ・デルサルト (François Delsarte, 1811 -1871) からも大きな影響を受けました。幼くして楽才を示し、10歳の誕生日を迎える手前の1848年10月9日にパリ音楽院に入学しました。アントワーヌ・マルモンテル (Antoine-François Marmontel, 1816 - 1898) のピアノのクラスで学び始め、入学から半年も経たないうちにソルフェージュで一等賞を獲得。マルモンテルの前任者であるピエール=ジョゼフ・ジメルマン (Pierre-Joseph-Guillaume Zimmerman, 1785 - 1853)、ジメルマンの娘婿であるシャルル・グノー (Charles Gounod, 1818 - 1893) からもピアノとソルフェージュの個人レッスンを受け、1852年にピアノで一等賞を獲得。また、1852年からフランソワ・ブノワ (François Benoist, 1794 - 1878) にオルガンを、1853年からフロマンタル・アレヴィ (Jacques-Fromental Halévy, 1799 - 1862) に作曲法を師事し、1855年にオルガンと作曲法で一等賞を獲得しました。ローマ賞では1856年に第二等首席を、1857年に第一等首席を受賞し、同年12月からローマに留学しました。

1860年9月に友人で同じくローマ賞第一等受賞者 (1859年) のエルネスト・ギロー (Ernest Guiraud, 1837 - 1892) との北イタリア旅行中のヴェネツィアで母の病を知り、単身パリに帰還。帰国後は主にオペラの作曲家として活動しました。1862年に家政婦のマリ・レテール (Marie Reiter) との間に私生児であるジャン・レテール (Jean Reiter) を儲けました。1869年に師アレヴィの遺子であるジュヌヴィエーヴ (Geneviève Halévy-Bizet-Straus, 1849 - 1926) と結婚し、1872年に息子のジャック・ビゼー (Jacques Bizet, 1872 - 1922) が生まれます。1872年に付随音楽「アルルの女 L'Arlésienne 」を完成・上演。1874年に4幕のオペラ=コミック「カルメン」を完成し、1875年3月3日に初演しました。同年5月末にパリ近郊のブージヴァル (Bougival) に移住。セーヌ川に泳ぎに行ったのち、5月30日に重度のリウマチ発作に、その後2度の心臓発作に襲われ、6月3日にブージヴァルにおいて36歳で亡くなりました。6月5日にサントトリニテ教会 (Église de la Sainte-Trinité de Paris) で葬儀が執り行われ、ペール・ラシェーズ墓地 (Cimetière du Père-Lachaise) に埋葬されました。

出典: Grove Music Online. Retrieved 2025-06-03.

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