2024-09-11

150th Birth Anniversary of Heinrich Kaspar Schmid

Heinrich Kaspar Schmid (Germany, 1874 - 1953) - Das Kleine Klavierbuch. 6 Übungsstücke und 14 Charakterstücke für Klavier zu zwei Händen, Op. 53 (Mainz: Schott, 1927); Charakterstück No. 10. Der Greis. Langsam, mit Ausdruck (A minor).

今日はドイツの作曲家・音楽教師、ハインリヒ・カスパー・シュミット生誕150年の誕生日です。今回はシュミット作曲「小さなピアノの本、ピアノ2手のための6つの訓練課題と14の性格的小品 Op. 53」より第2部第10曲「老夫 イ短調」を弾きました。

ハインリヒ・カスパー・シュミットは、ドイツ帝国バイエルン王国ランダウ (Landau) で、学校の教師で合唱指揮者の子として生まれました。父より音楽の手ほどきを受けたのち、レーゲンスブルク聖ペトロ大聖堂の少年聖歌隊員となり、 そこでJ・ミテラー (J. Mitterer) の指導を受けました。

ミュンヒェン王立音楽アカデミー (Königliche Akademie der Tonkunst) でルートヴィヒ・トゥイレ (Ludwig Thuille, 1861 - 1907) とハンス・ブースマイヤー (Hans Bußmeyer, 1853 - 1930) に師事。1903年にギリシャのアテネに移り、同地のオデオン (音楽堂) で音楽教師となりました。1905年にミュンヒェンに戻って母校の音楽アカデミーの教師となり、1919年から1921年まで同校の教授を務めました。第一次世界大戦後には、オーストリア、スカンジナビア、ロシアをツアーで巡り、作曲家・演奏家としても成功を収めました。1921年から1924年までカールスルーエバーデン音楽院院長、1924年から1932年までアウクスブルク音楽学校校長を歴任し、音楽教育者としては1932年に引退しました。1933年以降は教育省でさまざまな役職を務め、1933年にミュンヒェン音楽家協会会長、1934年に国民社会主義党 (ナチス) 音楽教育部長に就任しました。晩年には視力の衰えが進み全盲となりました。1953年1月8日にミュンヒェン近郊のガイゼルブラッハ (Geiselbullach) で亡くなりました。親族に教え子でもあるアルトゥール・ピーヒラー (Arthur Piechler, 1896 - 1974) がいます。

作曲家としては、ミサ曲、歌曲、交響曲、室内楽曲、ピアノ曲などを書いています。

教え子に以下の人物がいます。

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