2024-09-20

150th Birth Anniversary of Noble Kreider

Noble Wickham Kreider (USA, 1874 - 1959) - 6 Preludes for Pianoforte, Op. 7 (To Mrs. Mary Layman Forsyth. Newton Center, Massachusetts: The Wa-Wan Press, 1910); No. 3. Moderately (B flat major).

今日は米国の作曲家・ピアノ奏者・音楽教師、ノーブル・ウィッカム・クライダー生誕150年の誕生日です。今回はクライダー作曲「ピアノのための6つの前奏曲 Op. 7」より第3番 変ロ長調を弾きました。曲集はインディアナポリスの音楽家クラレンス・フォーサイス (Clarence Forsyth, 1859 - 1912) の妻であるメアリー・レイマン・フォーサイス (Mary Layman Forsyth, 1865 - 1945) に献呈されています。

ノーブル・クライダーは1874年9月20日にインディアナ州ゴーシェン (Goshen) で、医師のウィリアム・B・クライダー (William B. Kreider, 1849 - 1934) とヘンリエッタ (ネッティー)・C・クライダー、旧姓ウィッカム (Henrietta C. Kreider, née Wickham, 1853 - 1936) の子として生まれました。生地ゴーシェンなどでピアノと音楽理論の教師として活動。第一次世界大戦に従軍しています。1959年12月20日にゴーシェン総合病院 (Goshen General Hospital) で亡くなり (85歳)、ゴーシェンのヴァイオレット墓地 (Violett Cemetery) に埋葬されました。

出典:

2024-09-11

100th Death Anniversary of Mieczysław Surzyński

Mieczysław Surzyński (Gemany/Poland, 1866 - 1924) - Improvisation pour orgue ou harmonium, Op. 46a. Andante con moto (D flat major).

今日はプロイセン王国ポーゼン州出身のポーランドの作曲家・オルガン奏者・音楽教師、ミェチスワフ・スジニスキ没後100年の命日です。今回はスジニスキ作曲「即興曲 変ニ長調 Op. 46a」を弾きました。楽譜は「オルガンの同時代の大家、オルガンまたはハルモニウムのための未発表小品集 Maîtres contemporains de l’orgue. Pièces inédites pour orgue ou harmonium 」第3巻 (Paris: Maurice Senart & Cie., 1912) の183-184頁に収録されています。

ミェチスワフ・スジニスキは1866年12月20日にプロイセン王国ポーゼン州シュロダ (ポーランド語: Środa, ドイツ語: Schroda) で、オルガン奏者・指揮者・音楽教師であるフランチシェク・スジニスキ (Franciszek Surzyński, 1826 - 1878) の子として生まれました。 誕生日の12月20日というのはシュロダの洗礼簿によるもので、スジニスキ本人は自身の誕生日を12月22日と認識していたようです (Winowicz 2006/2016)。1885年から1887年まベルリンでオットー・ディーネル (Otto Dienel, 1839 - 1905)、ルートヴィヒ・ブスラー (Ludwig Bussler, 1838 - 1900)、ローベルト・ラーデケ (Robert Radecke, 1830 - 1911) に師事して音楽理論と作曲法とオルガンを学びました。1887年から1890年までライプツィヒ音楽院パウル・ホーマイヤー (Paul Homeyer, 1853 - 1908)、ザーロモン・ヤーダスゾーン (Salomon Jadassohn, 1831 - 1902) に、1891年にレーゲンスブルクの教会音楽学校でミヒャエル・ハラー (Michael Haller, 1840 - 1915)、フランツ・クサーヴァー・ハーベルル (Franz Xaver Haberl, 1840 - 1910) に師事しました。

ポズナニ、リエパーヤ (1831)、サンクトペテルブルク (1893-ca.1903)、サラトフ、キーウ (1903/1904) でオルガン奏者・音楽教師として活動し、各地で聖歌隊を組織しました。1904年からワルシャワに移って合唱指揮者となり、1905年から1915年までワルシャワ音楽院のオルガンクラスの教授、1909年から対位法クラスの教授となりました。また、1909年から聖ヤン大聖堂オルガン奏者も務めました。1924年9月11日にワルシャワで亡くなりました。

作品に合唱曲、ミサ曲、ピアノ小品、オルガンのための練習曲や小品があります。

兄に神学者・作曲家のユゼフ・スジニスキ (Józef Surzyński, 1851 - 1919)、オルガン奏者・指揮者・作曲家のステファン・スジニスキ (Stefan Surzyński, 1855 - 1919)、オルガン奏者のピョトル・スジニスキ (Piotr Surzyński, 1859 - 1935) がいます。

教え子に以下の人物がいます。

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150th Birth Anniversary of Heinrich Kaspar Schmid

Heinrich Kaspar Schmid (Germany, 1874 - 1953) - Das Kleine Klavierbuch. 6 Übungsstücke und 14 Charakterstücke für Klavier zu zwei Händen, Op. 53 (Mainz: Schott, 1927); Charakterstück No. 10. Der Greis. Langsam, mit Ausdruck (A minor).

今日はドイツの作曲家・音楽教師、ハインリヒ・カスパー・シュミット生誕150年の誕生日です。今回はシュミット作曲「小さなピアノの本、ピアノ2手のための6つの訓練課題と14の性格的小品 Op. 53」より第2部第10曲「老夫 イ短調」を弾きました。

ハインリヒ・カスパー・シュミットは、ドイツ帝国バイエルン王国ランダウ (Landau) で、学校の教師で合唱指揮者の子として生まれました。父より音楽の手ほどきを受けたのち、レーゲンスブルク聖ペトロ大聖堂の少年聖歌隊員となり、 そこでJ・ミテラー (J. Mitterer) の指導を受けました。

ミュンヒェン王立音楽アカデミー (Königliche Akademie der Tonkunst) でルートヴィヒ・トゥイレ (Ludwig Thuille, 1861 - 1907) とハンス・ブースマイヤー (Hans Bußmeyer, 1853 - 1930) に師事。1903年にギリシャのアテネに移り、同地のオデオン (音楽堂) で音楽教師となりました。1905年にミュンヒェンに戻って母校の音楽アカデミーの教師となり、1919年から1921年まで同校の教授を務めました。第一次世界大戦後には、オーストリア、スカンジナビア、ロシアをツアーで巡り、作曲家・演奏家としても成功を収めました。1921年から1924年までカールスルーエバーデン音楽院院長、1924年から1932年までアウクスブルク音楽学校校長を歴任し、音楽教育者としては1932年に引退しました。1933年以降は教育省でさまざまな役職を務め、1933年にミュンヒェン音楽家協会会長、1934年に国民社会主義党 (ナチス) 音楽教育部長に就任しました。晩年には視力の衰えが進み全盲となりました。1953年1月8日にミュンヒェン近郊のガイゼルブラッハ (Geiselbullach) で亡くなりました。親族に教え子でもあるアルトゥール・ピーヒラー (Arthur Piechler, 1896 - 1974) がいます。

作曲家としては、ミサ曲、歌曲、交響曲、室内楽曲、ピアノ曲などを書いています。

教え子に以下の人物がいます。

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