2023-09-30

150th Birth Anniversary of Charles Grelinger

Charles Grelinger (Karel Grelinger, Netherlands/France, 1873 - 1942) - Curieuse histoire. Morceau de genre pour piano, Op. 206 (D major. Leipzig: Carl Rühle, 1908).

今日はオランダ出身のフランスの作曲家・指揮者、カレル・フレリンヘル (シャルル・グルランジェル) 生誕150年の誕生日です。今回はフレリンヘル作曲「不思議な物語、ピアノのためのジャンルの小品 ニ長調 Op. 206」を弾きました。

カレル・フレリンヘルは1873年9月30日にオランダ王国の首都アムステルダムで生まれました。デ・ヨンフ (De Jong) とカレル・フィスヘル (Karel Fischer) に学んだのち、フランスの首都パリでアレクサンドリーヌ・メナール (Mile Alexandrine Ménard) に学びました。10歳でパリ音楽院のピアノ科とソルフェージュ科に入学しましたが、両親の都合で帰国することになり、アムステルダム音楽院 (Amsterdamsch Conservatorium) で5年間学んで卒業しました。アムステルダムにあるネーデルラント歌劇場 (Nederlandsche Opera) のレペティトゥールを務め、ダニエル・デ・ランヘ (Daniël de Lange, 1841 - 1918) から対位法と作曲法のレッスンを受けました。 18歳のときにスイスで第二指揮者の職を得て、そこで最初のオペラ作品である4幕の「ソンブルヴァル Sombreval」を作曲。「ソンブルヴァル」は1897年にフランスのアミアン (Amiens) で初演され、好評を博しました。オペラ、バレエ、パントマイムなどの舞台作品のほか、室内楽曲やピアノ独奏曲を作曲しています。第二次世界大戦でのナチス・ドイツ占領下のフランスで、ユダヤ系であるフレリンヘルはナチスにより収容され、1942年9月にパリからオーバーシュレージエン大管区アウシュヴィッツに移送され虐殺されました。レジフランス (Légifrance) によると、フレリンヘルの死亡日は1942年10月5日とされています。

出典:

  • Letzer, J. H. (1911). “Grelinger (Karel genaamd Charles)”. Muzikaal Nederland 1850-1910. Utrecht: J. L. Beijers. page 60.
  • Arrêté du 22 juin 2016 portant apposition de la mention « Mort en déportation » sur les actes et jugements déclaratifs de décès”. Légifrance. Retrieved 2023-09-29.
  • CHARLES GRELINGER”. Holocaust Survivors and Victims Database. United States Holocaust Memorial Museum. Retrieved 2023-09-29.
  • 2023-09-14

    200th Birth Anniversary of Martín Sánchez Allú

    Martín Sánchez Allú (Spain, 1823 - 1858) - La isla de Cuba. 4 Danzas americanas para piano (Obra póstuma) (Madrid: Casimiro Martín). A la Señorita Dama Emilia Araúna; No. 1. El suspiro americano (B flat major).

    今日はスペインの作曲家・ピアノ奏者、マルティン・サンチェス・アリュ生誕200年の誕生日です。今回はサンチェス・アリュ作曲「キューバ島、ピアノのための4つのアメリカ舞曲 (遺作)」より第1曲「アメリカの嘆息 変ロ長調」を弾きました。姓はサンチェス・アリュという二重姓ですが、楽譜では "M. S. Allú" と書かれていて、父姓と思われる第一姓のサンチェスがイニシャルとなって省略されています。題名のキューバ島キューバ共和国の主島です。

    マルティン・サンチェス・アリュは1823年9月14日にスペイン王国の中西部にあるサラマンカで生まれました。幼少期に父を亡くし、6歳でサラマンカ大聖堂 (Catedral de Salamanca) 聖歌隊に入隊しました。聖歌隊の学校で哲学と文学を3年間学びましたが、音楽の道に専念することを決意。12歳のときに自作の14曲のピアノ小品をサラマンカの中等学校で発表しました。17歳で首都マドリードに移住し、イタリア語オペラ「メッシーナのビアンカ Bianca di Messina 」を作曲。1842年から1844年までサラマンカの中等学校の音楽教師を務めました。1845年にマドリードに戻り、いくつかのピアノ作品を出版。その後1848年までバリャドリードの中等学校の教師を務めました。再びマドリードに戻り、カシミロ・マルティン (Casimiro Martín, 1811 - 1888) の下で雑誌「音楽の気晴らし El pasatiempo musical 」の編集者としてサルスエラの歴史や自作のピアノ曲と歌曲についての記事などを執筆しました。1855年に依頼されたサラマンカ大聖堂オルガン奏者の職を辞退。1857年にマドリード音楽院ピアノ科の助教授に就任。1858年8月31日にマドリードで亡くなりました。

    出典:

    2023-09-10

    100th Death Anniversary of Carl Heins

    Carl Heins (Germany, 1859 - 1923) - Kinderball. 12 Leichte Tänze ohne Octavenspannung, Op. 124 (Leipzig: Gebrüder Hug & Co., 1893); No. 3. Schneewittchen. Polka (G major).

    今日はドイツの作曲家・ピアノ奏者・音楽教師・音楽出版者、カール・ハインス没後100年の命日です。今回はハインス作曲「子供の舞踏会、オクターヴの手の開きのない12の易しい舞曲 Op. 124」より第3曲「白雪姫、ポルカ ト長調」を弾きました。原題の Schneewittchen は、グリム童話に収載された「白雪姫」の原題と同じです。

    カール・ハインスは1859年6月8日にプロイセン王国ザクセン州タンガーミュンデ (Tangermünde) で生まれました。ヴァイオリンとコルネットを学んだのち、首都ベルリンシュテルン音楽院ルドルフ・ラーデケ (Rudolf Radecke, 1829 - 1893)、エルンスト・エドゥアルト・タウベルト (Ernst Eduard Taubert, 1838 - 1934)、オット・ドルン (Otto Dorn, 1848 - 1931) らに師事し、その後ユリウス・シュトックハウゼン (Julius Stockhausen, 1826 - 1906) に声楽を師事しました。ベルリンで声楽と器楽の教師となり、音楽出版業も手がけました。作曲家としては多くのピアノ曲のほか、室内楽曲、合唱曲、歌曲などの作品を残しています。1923年9月10日にベルリンで亡くなりました。

    出典:

    • Cooke, James Francis (1910). “Carl Heins”. Standard History of Music. Philadelphia, PA: Theodore Presser Company. page 217.
    • Wier, Albert Ernst (1938). “Heins, Carl”, “Heins, Karl”. The MacMillan Encyclopedia of Music and Musicians in One Volume. New York: The MacMillan Company. page 793.