2023-09-14

200th Birth Anniversary of Martín Sánchez Allú

Martín Sánchez Allú (Spain, 1823 - 1858) - La isla de Cuba. 4 Danzas americanas para piano (Obra póstuma) (Madrid: Casimiro Martín). A la Señorita Dama Emilia Araúna; No. 1. El suspiro americano (B flat major).

今日はスペインの作曲家・ピアノ奏者、マルティン・サンチェス・アリュ生誕200年の誕生日です。今回はサンチェス・アリュ作曲「キューバ島、ピアノのための4つのアメリカ舞曲 (遺作)」より第1曲「アメリカの嘆息 変ロ長調」を弾きました。姓はサンチェス・アリュという二重姓ですが、楽譜では "M. S. Allú" と書かれていて、父姓と思われる第一姓のサンチェスがイニシャルとなって省略されています。題名のキューバ島キューバ共和国の主島です。

マルティン・サンチェス・アリュは1823年9月14日にスペイン王国の中西部にあるサラマンカで生まれました。幼少期に父を亡くし、6歳でサラマンカ大聖堂 (Catedral de Salamanca) 聖歌隊に入隊しました。聖歌隊の学校で哲学と文学を3年間学びましたが、音楽の道に専念することを決意。12歳のときに自作の14曲のピアノ小品をサラマンカの中等学校で発表しました。17歳で首都マドリードに移住し、イタリア語オペラ「メッシーナのビアンカ Bianca di Messina 」を作曲。1842年から1844年までサラマンカの中等学校の音楽教師を務めました。1845年にマドリードに戻り、いくつかのピアノ作品を出版。その後1848年までバリャドリードの中等学校の教師を務めました。再びマドリードに戻り、カシミロ・マルティン (Casimiro Martín, 1811 - 1888) の下で雑誌「音楽の気晴らし El pasatiempo musical 」の編集者としてサルスエラの歴史や自作のピアノ曲と歌曲についての記事などを執筆しました。1855年に依頼されたサラマンカ大聖堂オルガン奏者の職を辞退。1857年にマドリード音楽院ピアノ科の助教授に就任。1858年8月31日にマドリードで亡くなりました。

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