Nikolay Nikolayevich Tcherepnin (Николай Николаевич Черепнин, Russia, 1873 - 1945) - Pièces sentimentales (London: J. & W. Chester, 1929. À Alexandre Tchérepnine); No. 2. Con moto piacevole (E flat minor).
今日はロシアの作曲家・指揮者・音楽教師、ニコライ・チェレプニンの生誕150年の誕生日です。 今回はチェレプニン作曲「感傷的小品集」(全10曲) より第2曲を弾きました。曲集は子のアレクサンドル・チェレプニン (Aleksandr Tcherepnin, 1899 - 1977) に献呈されました。
ニコライ・ニコラーエヴィチ・チェレプニンは1873年5月15日 (ユリウス暦5月3日) に、音楽を好む医者ニコライ・ペトローヴィチ・チェレプニンの子として、ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクで生まれました。父方のおばにピアノの手ほどきを受けたのち、ニコライ・シーシキン (Nikolay Shishkin, 1857 - 1918)、ヴラディーミル・デミャンスキー (Vladimir Demyansky, 1846 - 1915)、カール・ジケ (Karl Sicke, 1850 - 1890) に師事しました。1883年から1891年までペテルブルク第6ギムナジウム (Шестая Санкт-Петербургская гимназия) で学び、1895年にペテルブルク大学法学部を卒業しました。大学卒業前からペテルブルク音楽院でも学び、カルル・ファン=アルク (Karl van Ark, 1839 - 1902) にピアノを、ニコライ・ソロヴィヨーフ (Nikolay Solovyov, 1846 - 1916)とニコライ・リムスキー=コルサコフ (Nikolay Rimsky-Korsakov, 1844 - 1908) に作曲を師事して、1898年に音楽院を卒業しました。 1897年に、画家アリベールト・ベヌアー (Albert Benois, 1852 - 1936) の娘である歌手のマリーヤ・ベヌアー (Mariya Tcherepnina, née Benois, 1876 - 1958) と結婚し、1899年には後に作曲家・ピアノ奏者・指揮者となる子のアレクサンドル・チェレプニン (Aleksandr Tcherepnin) が生まれました。
1905年から1918年まで母校のペテルブルク音楽院の教師となり、1906年には指揮科クラスを開設し、1909年に教授に、1915年にオペラクラスの音楽監督に就任しました。指揮者としては1902年にロシア交響楽演奏会 (Русские симфонические концерты) 常任指揮者に就任したほか、ロシア音楽協会、モスクワフィルハーモニー協会、アレクサンドル・ジローティ (Aleksandr Siloti, 1863 - 1945) の演奏会、セルゲイ・ヴァシレンコ (Sergey Vasilenko, 1872 - 1956) の歴史的演奏会などに客演し、1906年から1909年にかけてマリインスキー劇場の指揮者を務めました。興業主セルゲイ・ディアギレフ (Sergey Dyagilev, 1872 - 1929) が主宰するバレエにおいては、1909年にパリでのセゾン・リュス (Saison russe) の公演に、1909年から1914年にかけてベルリン、ロンドン、モンテカルロ、パリ、ローマでのバレエ・リュスの公演に出演しました。また、ペテルブルク時代にはミトロファン・ベリャーエフ (Mitrofan Belyayev, 1836 - 1904) の音楽サークルや「現代音楽の夕べ Вечера современной музыки 」に参加しています。
1918年から1921年までチフリス (現在のジョージアの首都トビリシ) に移り、チフリス音楽院院長とチフリス帝国歌劇場指揮者を務めました。1921年にフランス共和国の首都パリに移住。1922年から1924年にかけてアンナ・パヴロヴァ (Anna Pavlova, 1881 - 1931) のバレエ団の作曲家兼指揮者として欧米を演奏旅行。1925年にはパリにロシア音楽院 (Парижская русская консерватория / Conservatoire russe de Paris. 現在のラフマニノフ音楽院) を設立し、院長 (1925-1929, 1938-1945) を務めました。1926年に音楽出版社ベリャーエフ (Musikverlag M. P. Belaieff) の理事となり、1937年には同社の理事長に就任しました。聴覚の悪化のため1933年に演奏活動を停止。1945年6月26日にパリ近郊のイシー=レ=ムリノー (Issy-les-Moulineaux) で亡くなりました。
教え子に以下の人物がいます。
- ヴラディーミル・ツィービン (Vladimir Tsybin, 1877 - 1949)
- ミハイル・ビフテル (Mikhail Bikhter, 1881 - 1947)
- ミハイル・クリーモフ (Mikhail Klimov, 1881 - 1937)
- ニコライ・マリコー (Nikolay Malko, 1883 - 1961)
- ボリス・アサフィエフ (Boris Asafyev, 1884 - 1949)
- モイセイ・ミーリネル (Moisey Milner, 1886 - 1953)
- ローレンス・コリングウッド (Lawrance Collingwood, 1887 - 1982)
- ユーリー・シャポーリン (Yury Shaporin, 1887 - 1966)
- ヴラディーミル・シチェルバチョーフ (Vladimir Shcherbachyov, 1889 - 1952)
- セルゲイ・プロコフィエフ (Sergey Prokofiev, 1891 - 1953)
- マテウシュ・グリニスキ (Mateusz Gliński, 1892 - 1976)
- ニコライ・オブーホフ (Nikolay Obukhov, 1892 - 1954)
- ヴラディーミル・ドラニーシニコフ (Vladimir Dranishnikov, 1893 - 1939)
- アレクサンドル・ガーウク (Aleksandr Gauk, 1893 - 1963)
- ユーリー・チューリン (Yury Tyulin, 1893 - 1978)
- ジョゼフ・シリンガー (Joseph Schillinger, 1895 - 1943)
- ハコボ・フィシェル (Jacobo Ficher, 1896 - 1978)
- マリーヤ・ユーディナ (Mariya, Yudina, 1899 - 1970)
- エフレム・クルツ (Efrem Kurtz, 1900 - 1995)
- アレクサンドル・メーリク=パシャーエフ (Aleksandr Melik-Pashayev, 1905 - 1964)
出典:
- Grove Music Online. Retrieved 2023-05-13.
- Jacobs, Arthur (2002). “Collingwood, Lawrance”.
- Salgado, Susana (2001). “Ficher, Jacobo”.
- Szweykowski, Zygmunt M. (2001). “Gliński [Hercenstein], Mateusz”.
- Goodwin, Noël (2001). “Kurtz, Efrem”.
- Yampol′sky, I. M. (2001). “Melik-Pashayev, Aleksandr Shamil′yevich”.
- Kopïtova, G. V. (2001). “Mil′ner, Moisey Arnol′dovich”.
- Powell, Jonathan (2001). “Obouhow, Nicolas”.
- Orlov, Genrikh; Kovnatskaya, Lyudmila (2001). “Shcherbachyov, Vladimir Vladimirovich”.
- Savenko, Svetlana (2001). “Tcherepnin, Nikolay”.
- Klimovitsky, Abraham I. (2001). “Tyulin, Yury Nikolayevich”.
- Алейников, М. И.; Селиверстова, Н. Б.; Махова, Л. П. (2014). “ЧЕРЕПНИН, НИКОЛАЙ НИКОЛАЕВИЧ (1873–1945)”. St.Petersburg State Conservatory. Retrieved 2023-05-13.
0 件のコメント:
コメントを投稿