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2016-11-03

Issay Dobrowen - Valse in E minor, Op. 6 No. 2

Issay Dobrowen (Russia, 1891 - 1953) - 2 Valses, Op. 6; No. 2. Valse in E minor

ロシア出身の作曲家・指揮者、イサイ・ドブロヴェン作曲の「2つのワルツ Op. 6」より第2番「ワルツ ホ短調」を弾きました。

ドブロヴェンの曲は「練習曲 嬰ハ短調 Op. 13 No. 6」以来2曲目です。ドブロヴェンの経歴については前回のページも参照してください。

留学先のヴィーンから一年間ほど滞在したパリを経てロシアに戻ったドブロヴェンは、1917年に母校のモスクワ音楽院の教授となります。「2つのワルツ Op. 6」は教授となる前年の1916年に出版され、第1番は同年結婚したマリー・ルペルティ (Marie Ruperti, b. 1896) に、第2番は前年の1915年までモスクワに滞在していた音楽学者・指揮者のオスカル・フォン・リーゼマン (Oskar von Riesemann, 1880 - 1934) に献呈されています。

2015-09-13

Issay Dobrowen - Etude in C sharp minor, Op. 13 No. 6

Issay Dobrowen (Russia, 1891 - 1953) - 7 Pièces pour piano à deux mains, Op. 13; No. 6. Etude cis-moll. Allegro molto

イサイ・ドブロヴェン作曲の「ピアノ2手のための7つの小品 Op. 13」より第6曲「練習曲 嬰ハ短調」を弾きました。

表記については英語読みを基にしたと思われるドブロウェンやドブローウェンといったものも見られます。ロシア語名ではイサーイ・アレクサーンドロヴィチ・ドブロヴェーイン (イサイ・アレクサンドロヴィチ・ドブロヴェイン ; Иса́й Алекса́ндрович Доброве́йн ; Isay Aleksandrovich Dobroveyn) となります。出生名での姓はバラベーイチク (バラベイチク ; Барабе́йчик ; Barabeychik) でした。

ロシア帝国ニジニ・ノヴゴロドに生まれたドブロヴェンは、1901年から1911年にかけてモスクワ音楽院でセルゲイ・タネーエフに作曲を、アドーリフ・ヤロシェーフスキー (Адольф Адольфович Ярошевский ; Adolf Adolfovich Yaroshevsky, 1863-1911) とコンスタンチン・イグームノフにピアノを師事し、金メダルを得て卒業。1911年から1912年にかけて留学先のヴィーンではレオポルト・ゴドフスキにピアノを師事しました。ロシア革命後の1923年にドイツに、のちにノルウェーのオスロに移住。以後は同地を拠点に指揮者・作曲家として活動し、1929年には市民権を得てノルウェーに帰化しました。

「7つの小品 Op. 13」はソ連を離れる前後に書かれた作品のようで、第6曲までは Muzgiz から、全7曲まとめてはヴィーンの Universal-Edition からのものが初版のようです。7曲の内訳は、スケルツォ、前奏曲、夜想曲 (即興曲と間奏曲)、練習曲 変ホ短調、パストラル、練習曲 嬰ハ短調、マズルカ・カプリスです。

1991年のフーズム城音楽祭でコーリャ・レッシング (Kolja Lessing, b. 1961) のピアノにより、「7つの小品 Op. 13」から前奏曲、マズルカ・カプリス、練習曲 (第4曲と第6曲のどちらかは不明) が8月20日に演奏されていて、そのうち前奏曲とマズルカ・カプリスについては録音が入手できます (Rarities of Piano Music at »Schloss vor Husum«, vol. 3, from the 1991 Festival. Danacord Records - DACOCD 389)。