2026-03-31

250th Birth Anniversary of Joseph Küffner

Joseph Küffner (Germany, 1776 - 1856) - 12 Pièces faciles à l'usage des commençants pour piano-forte, composées et dédiées à son Altesse Royale le Prince Otto de Bavière, Op. 131 (Mainz: B. Schott's Söhne); No. 4. Andante (F major).

今日はドイツの作曲家・ヴァイオリン奏者、ヨーゼフ・キュフナー生誕250年の誕生日です。今回はキュフナー作曲「ピアノのための初学者のための易しい12の小品 Op. 131」より第4曲 ヘ長調を弾きました。曲集はバイエルン王子オットー、のちの初代ギリシャ国王オソン1世 (Otto of Greece, 1815 - 1867) に献呈されました。

母方の祖父はヴュルツブルク司教領宮廷音楽監督のヨハン・ゲオルク・フランツ・ヴァスムート (Johann Georg Franz Waßmuth, 1707 - 1766)、父方の祖父はレーゲンスブルク近郊の街の笛奏者のヨハン・キュフナー (Johann Küffner)、父は1768年からヴュルツブルク司教領宮廷作曲家を務めていた作曲家のヴィルヘルム・キュフナー (Wilhelm Küffner, 1727 - 1797) でした。

ヨーゼフ・キュフナーは1776年3月31日にヴュルツブルク司教領の首都ヴュルツブルク (Würzburg) で生まれました。ヴュルツブルク司教領宮廷コンツェルトマイスターのヨーゼフ・ローレンツ・シュミット (Joseph Lorenz Schmitt, 1731 - 1796) にヴァイオリンを師事し、1800年または1801年に宮廷楽団のヴァイオリン奏者に就任しました。1801年のリュネヴィルの和約により1803年にヴュルツブルク司教領がバイエルン選帝侯領に併合されると、キュフナーは宮廷音楽家の職を解かれましたが、バイエルン陸軍軍楽隊において音楽教師となり、やがて軍楽監督 (Militärmusik-Direktor) に就任しました。この頃にフランツ・ヨーゼフ・フレーリヒ (Franz Joseph Fröhlich, 1780 - 1862) から作曲法を学び、作曲家としての活動も始めました。1805年のプレスブルクの和約により旧司教領がヴュルツブルク選帝侯領(1806年8月6日の神聖ローマ帝国解体後にヴュルツブルク大公国に改称)としてバイエルン選帝侯領から独立すると、キュフナーは新たな君主の下で引き続き軍楽監督を務め、宮廷音楽家の地位を得ました。1810年頃からオッフェンバッハ・アム・マインのアンドレ社 (Offenbach am Main: Johann André) とマインツのショット社 (Mainz: B. Schott's Söhne) と契約し、以後はこの2社から自作を出版するようになります。1814年にヴュルツブルク大公国がバイエルン王国に併合されると再び宮廷音楽家の地位を失い、収入の減少を補うために作曲家としていっそう熱心に活動しました。1827年にアンドレ社主のヨハン・アントン・アンドレ (Johann Anton André, 1775 - 1842) と金銭関係の発言をめぐって仲違いし、以後はショット社からのみ出版するようになりました。1856年9月9日にヴュルツブルクで、満80歳で亡くなりました。

出典:

  • Beer, Axel (2023-06-05).“Joseph Küffner”. Musik und Musiker am Mittelrhein 2 Online. Retrieved 2026-03-31.
  • Bernsdorf, Eduard, ed. (1857).“Küffner, Joseph”. Neues Universal-Lexikon der Tonkunst : für Künstler, Kunstfreunde und alle Gebildeten. Volume 2. Dresden: Robert Schäfer. pages 672-673.
  • Henke, Matthias (2003/2016). “Küffner, Joseph”. MGG Online. Retrieved 2026-03-31.

2026-03-19

150th Death Anniversary of Józef Stefani

Józef Stefani (Poland, 1800 - 1876) - 2 Walce na piano-forte (Warsaw: Klukowski, [1827]); Valse No. 2 (G major).

今日はポーランドの作曲家・ヴァイオリン奏者・指揮者・音楽教師、ユゼフ・ステファニ没後150年の命日です。今回はステファニ作曲「ピアノのための2つのワルツ」より第2番 ト長調を弾きました。

ユゼフ・ステファニは、チェコ・ボヘミア出身の作曲家・ヴァイオリン奏者・指揮者のヤン・ステファニ (Jan Stefani, 1746 - 1829) とフリデリカ・デ・モンテル (Fryderyka de Monter) の子として、1800年にプロイセン王国南プロイセン州ワルシャワ(現在のポーランドの首都)で生まれ、4月16日に洗礼を受けました。父から音楽の手ほどきを受けたのち、ワルシャワの音楽演劇学校とワルシャワ大学美的芸術学部音楽朗唱院 (1821年から1824年まで、現在のショパン音楽アカデミー) でユゼフ・エルスネル (Józef Elsner, 1769 - 1854) に師事しました。

1813年からワルシャワ国立劇場 (1833年以降はワルシャワ大劇場) の合唱団員となり、次いで劇場の管弦楽団でティンパニ奏者、コントラバス奏者、ヴィオラ奏者、ヴァイオリン奏者を務めました。1824年10月24年に、歌手で師エルスネルの二番目の妻カロリナ (Karolina Elsner, née Drozdowska, 1785 - 1852) の姉妹であるピアノ奏者・歌手のマリアンナ・ドロズドフスカ (Marianna (Maria) Stefani, née Drozdowska, d. 1865) と結婚。1827年から1858年までバレエ公演において劇場管弦楽団の指揮者を務め、声楽の指導をしました。また、1827年から1830年までワルシャワ大学付属演劇歌唱学校(現在のショパン音楽アカデミー)でカルロ・エヴァージオ・ソリーヴァ (Carlo Evasio Soliva, 1791 - 1853) の助手を務め、1835年から1841年までワルシャワ大劇場の歌唱学校で声楽を指導し、いくつかの総合高等学校で音楽や教会歌唱の教師となりました。ワルシャワ高等学校 (Liceum Warszawskie) での声楽の教え子にユゼフ・シコルスキ (Józef Sikorski, 1815 - 1896) がいます。1860年から1861年までワルシャワ音楽院(現在のショパン音楽アカデミー)の視学官を務めました。1876年3月19日にワルシャワで亡くなり、ワルシャワのポヴォンスキ墓地 (Cmentarz Powązkowski w Warszawie) に埋葬されました。

出典:

  • Przybyszewska-Jarmińska, Barbara (2023-05-12). “Stefani, Józef”. Polska Biblioteka Muzyczna. Retrieved 2026-03-18.
  • Grove Music Online. Retrieved 2026-03-18.