2024-12-13

250th Birth Anniversary of Václav Jan Tomášek

Václav Jan Křtitel Tomášek (Czech, 1774 - 1850) - 6 Rapsodies [Rhapsodies] pour le pianoforte composées et dédiées à son ami François Charles Fritsch, Op. 40 (1810); No. 4. Allegro ma non troppo (E minor).

今年の4月17日はチェコの作曲家・ピアノ奏者・音楽教師、ヴァーツラフ・ヤン・クシュチテル・トマーシェク生誕250年の誕生日でした。今回はトマーシェク作曲「6つの狂詩曲 Op. 40」より第4番 ホ短調を弾きました。

ヴァーツラフ・ヤン・トマーシェクは、1774年4月17日に神聖ローマ帝国ボヘミア王国スクテチ (Skuteč) で、亜麻織物商人ヤクプ・トマーシェク (Jakub Tomášek, 1722 - 1793) とカテジナ・トマーシェク (Kateřina Tomášek, geb. Habalová, 1728 - 1786) の13人の子供たちの末息子として生まれました。1783年から1785年までフルディムで、カントルのパヴェル・ヨゼフ・ヴォルフ (Pavel Josef Wolf) にヴァイオリンと声楽を学びました。1787年から1790年までイフラヴァにあるフランシスコ会修道院の奨学生となり、聖歌隊員としてドーナト・シューベルト (Donat Schuberth) から指導を受けました。

1790年に兄の援助の下でプラハに移り、同地でヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart, 1856 - 1891) の「ドン・ジョヴァンニ」の公演を観て魅了され、その音楽に強い影響を受けることになりました。ギムナジウムで学んだのち、1794年から1799年までカレル大学で法学のほか、哲学、数学、美学、歴史学、解剖学、外科学を学びました。プラハではピアノと音楽理論を独学で習得。大学在学中に鍵盤楽器のための舞曲や歌曲の作曲を始め、貴族や中産階級の音楽サロンでピアノ奏者を務め、優れたピアノ教師として知られるようになりました。

大学での勉学を終えると音楽家の道へ進むことを決意し、1801年にゲオルク・ヨーゼフ・フォーグラー (Georg Joseph Vogler, 1749 - 1814)、ヨハン・ニコラウス・フォルケル (Johann Nikolaus Forkel, 1749 - 1818) に音楽理論を師事しました。この頃、ピアノ伴奏歌曲「レノーレ Lenore, Op. 12」が評判となり、作曲家としての名声を得ました。「レノーレ」の成功を契機に、1806年から18年間、イジー・ブクヴォイ伯爵 (Jiří František August Buquoy, 1781 - 1851) の音楽家庭教師兼作曲家を務めました。ブクヴォイ家での職務には多くの休暇を取る余裕があったため、作曲や旅行のための時間を十分に得ました。この時期に歌曲、ピアノのためのエクローグ集、狂詩曲集の多くを作曲しています。また、ドレスデングラーツヴィーンを訪れ、ヴィーンでは1801年にヨーゼフ・ハイドン (Joseph Haydn, 1732 - 1809) に、1814年にルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven, 1770 - 1827) に会っています。1824年に、詩人・官吏のカール・エーゴン・エーベルト (Karl Egon Ebert, 1801 - 1882) の姉であるヴィルヘルミーナ・エーベルト (Wilhelmina Ebert, 1797 - 1836) と結婚。結婚を機にブクヴォイ家での職を辞し、自身の音楽学校を設立しました。結婚生活の破綻のためにしばらくプラハでの音楽活動から離れていましたが、1836年に妻ヴィルヘルミーナが亡くなると活動を再開しました。主宰する月曜夜のサロン音楽会には著名な芸術家や著作家が集い、プラハ音楽界を代表する人物と見なされました。1850年4月3日にプラハで亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

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