Karel Komzák starší ; Karl Komzák I ; Karl Komsak I (Czech, 1823 - 1893) - Concordia. Polka-Mazurka für das Pianoforte (A major. Praha: Christoph & Kuhé, 1858).
今日はチェコの作曲家・オルガン奏者・指揮者・バンドマスター、カレル・コムザーク1世 生誕200年の誕生日です。今回はコムザーク作曲「コンコルディア、ポルカ・マズルカ イ長調」を弾きました。楽曲はプラハ民間射撃兵団指揮官のヴィンツェンツ・ホリー (Vincenz Holly) に献呈されています。
カレル・コムザーク1世は1823年11月4日にオーストリア帝国ボヘミア王国南部の村ネチェホヴィツェ (Netěchovice) で生まれました。コロジェイェ・ナド・ルジュニツィー (Koloděje nad Lužnicí)、下オーストリア大公国のヴァイケルトシュラーク・アン・デア・ターヤ (Weikertschlag an der Thaya)、チェスキー・クルムロフ (Český Krumlov) で学んだのち、1839年から1840年までプラハ・オルガン学校 (Varhanická škola v Praze) で学び、1841年から1842年までプラハの聖インドジフ学校の師範科 (Pedagogický kurz u Sv. Jindřicha v Praze) を修了しました。学生時代にはヴァーツラフ・ヤン・トマーシェク (Václav Jan Tomášek, 1774 - 1850) の支援を受けていました。
1842年から1847年までコロジェイェで教師・オルガン奏者として活動。1847年から1866年までプラハの精神医学研究所 (現在のカレル大学第一医学部附属精神科診療所 Psychiatrická klinika 1. LF UK a VFN) の事務員兼オルガン奏者、アレクサンドリアの聖カテジナ教会 (Kostel svaté Kateřiny Alexandrijské) オルガン奏者を務め、同時期の1847年から1865年までプラハ民間射撃兵楽隊の楽隊長を務めました。また、1854年には自身の楽団を設立し、1865年までこの楽団を率いました。このコムザーク楽団では若き日のヤン・オンドジーチェク (Jan Ondříček, 1832 - 1900)、アントニーン・ドヴォジャーク (Antonín Dvořák, 1841 - 1904) も団員として参加していました。コムザーク楽団は1862年にプラハの仮劇場で演奏するようになり、1865年には公式の劇場管弦楽団となりました。1865年にコムザークはオーストリア帝国陸軍歩兵連隊の軍楽隊長に就任し、帝国全土で演奏会を行うようになりました。作曲では舞曲、行進曲、組曲、幻想曲などを書き、チェコの民族音楽を好んで使用するなど民族主義的であり、曲名にもそれが表れています。1893年3月19日に生地のネチェホヴィツェで亡くなりました。
子にカレル・コムザーク2世 (Karel Komzák mladší ; Karl Komzák II, 1850 - 1905)、孫 (カレル2世の子) にカレル・コムザーク3世 (Karl Komzák III, 1878 - 1924) がおり、いずれも作曲家・指揮者として活動しました。
出典:
- Grove Music Online. Retrieved 2023-10-30.
- Döge, Klaus (2001). “Dvořák, Antonín”.
- Christiansen, Paul (2001). “Komzák, Karel (i)”.
- Vysloužil, Jiří (2001). “Ondříček family”.
- Pflegerová, Štěpánka (2020-11-04).“Karel Komzák”. Encyklopedie dějin města Plzeň. Retrieved 2023-10-30.
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