Tadeusz Joteyko (Тадеуш Йотейко, Ukraine/Poland, 1872 - 1932) - Miniatures. 12 Petits morceaux pour piano, Op. 23; No. 6. Les regrets. Moderato assai (D minor).
今日はウクライナ出身のポーランドの作曲家・チェロ奏者・指揮者・音楽教師・批評家、タデウシュ・ヨテイコ (イオテイコ) 生誕150年の誕生日です。今回はヨテイコ作曲「細密画集、ピアノのための12の小品 Op. 23」より第6曲「後悔 ニ短調」を弾きました。
タデウシュ・ヨテイコは1872年4月1日にロシア帝国キエフ県のポチューイキ (現在のウクライナ、ジトーミル州ジトーミル地区のポチューイクィ) で生まれました。姉に生理学者・心理学者のユゼファ・ヨテイコ (ヨセファ・イオテイコ, Józefa Joteyko, 1866 - 1928) がいます (DNB)。12歳のときにヴァイオリンを学びはじめ、1889年から1891年までブリュッセル王立音楽院でフランソワ=オーギュスト・ヘヴァールト (François-Auguste Gevaert, 1828 - 1908) に作曲を、エドゥアール・ヤーコプス (Édouard Jacobs, 1851 - 1925) にチェロを師事。1891年から1895年までワルシャワ音楽研究所 (Warszawski Instytut Muzyczny. 第一次世界大戦後にワルシャワ音楽院に改称) でジグムント・ノスコフスキ (Zygmunt Noskowski, 1846 - 1909) に作曲を、アントニ・チンク (Antoni Cink, 1863 - 1933) にチェロを師事しました。
在学中から合唱指揮者として活動し、1895年に音楽研究所を卒業すると、ルブリン、ラドム、ウッチ、カリシュといったロシア帝国沿ヴィスワ地方 (Привислинский край. ロシア帝国領ポーランド) の各都市で指揮者や教師としても活動しはじめました。1897年からラドムのルトニア合唱団 (Towarzystwo Śpiewacze Lutnia w Radomiu) の監督、1900年から1902年までワルシャワ大劇場のチェロ奏者、1902年からウッチ音楽協会の監督、次いでカリシュ音楽協会の監督を務めました。1914年からワルシャワに定住し、ワルシャワフィルハーモニー管弦楽団の指揮者 (1918年まで)、ワルシャワ音楽院の教授を務めました。1932年にポーランド作曲家協会 (Stowarzyszenie Kompozytorów Polskich) の副会長兼会計に就任。1932年8月20日にポーランド共和国のチェシンで亡くなりました。
出典:
- Chylińska, Teresa (2001). “Joteyko, Tadeusz”. Grove Music Online. Retrieved 2022-03-30.
- Gmys, Martin (2008) 2016. “Joteyko, Tadeusz”. MGG Online, edited by Laurenz Lütteken. Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016–. Retrieved 2022-03-30.
- Dziębowska, Elżbieta, ed. (1993). “Joteyko, Tadeusz”. Encyklopedia Muzyczna PWM. 4. Kraków: Polskie Wydawnictwo Muzyczna. [Wikisource].
- “Joteyko, Tadeusz”. Katalog. Deutsche Nationalbibliothek (DNB). Retrieved 2022-03-30.
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