2022-04-01

150th Birth Anniversary of Tadeusz Joteyko

Tadeusz Joteyko (Тадеуш Йотейко, Ukraine/Poland, 1872 - 1932) - Miniatures. 12 Petits morceaux pour piano, Op. 23; No. 6. Les regrets. Moderato assai (D minor).

今日はウクライナ出身のポーランドの作曲家・チェロ奏者・指揮者・音楽教師・批評家、タデウシュ・ヨテイコ (イオテイコ) 生誕150年の誕生日です。今回はヨテイコ作曲「細密画集、ピアノのための12の小品 Op. 23」より第6曲「後悔 ニ短調」を弾きました。

タデウシュ・ヨテイコは1872年4月1日にロシア帝国キエフ県ポチューイキ (現在のウクライナジトーミル州ジトーミル地区のポチューイクィ) で生まれました。姉に生理学者・心理学者のユゼファ・ヨテイコ (ヨセファ・イオテイコ, Józefa Joteyko, 1866 - 1928) がいます (DNB)。12歳のときにヴァイオリンを学びはじめ、1889年から1891年までブリュッセル王立音楽院フランソワ=オーギュスト・ヘヴァールト (François-Auguste Gevaert, 1828 - 1908) に作曲を、エドゥアール・ヤーコプス (Édouard Jacobs, 1851 - 1925) にチェロを師事。1891年から1895年までワルシャワ音楽研究所 (Warszawski Instytut Muzyczny. 第一次世界大戦後にワルシャワ音楽院に改称) でジグムント・ノスコフスキ (Zygmunt Noskowski, 1846 - 1909) に作曲を、アントニ・チンク (Antoni Cink, 1863 - 1933) にチェロを師事しました。

在学中から合唱指揮者として活動し、1895年に音楽研究所を卒業すると、ルブリンラドムウッチカリシュといったロシア帝国沿ヴィスワ地方 (Привислинский край. ロシア帝国領ポーランド) の各都市で指揮者や教師としても活動しはじめました。1897年からラドムのルトニア合唱団 (Towarzystwo Śpiewacze Lutnia w Radomiu) の監督、1900年から1902年までワルシャワ大劇場のチェロ奏者、1902年からウッチ音楽協会の監督、次いでカリシュ音楽協会の監督を務めました。1914年からワルシャワに定住し、ワルシャワフィルハーモニー管弦楽団の指揮者 (1918年まで)、ワルシャワ音楽院の教授を務めました。1932年にポーランド作曲家協会 (Stowarzyszenie Kompozytorów Polskich) の副会長兼会計に就任。1932年8月20日にポーランド共和国チェシンで亡くなりました。

出典:

  • Chylińska, Teresa (2001). “Joteyko, Tadeusz”. Grove Music Online. Retrieved 2022-03-30.
  • Gmys, Martin (2008) 2016. “Joteyko, Tadeusz”. MGG Online, edited by Laurenz Lütteken. Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016–. Retrieved 2022-03-30.
  • Dziębowska, Elżbieta, ed. (1993). “Joteyko, Tadeusz”. Encyklopedia Muzyczna PWM. 4. Kraków: Polskie Wydawnictwo Muzyczna. [Wikisource].
  • Joteyko, Tadeusz”. Katalog. Deutsche Nationalbibliothek (DNB). Retrieved 2022-03-30.

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