2015-01-30

150th Birth Anniversary of Fritz Zierau

Fritz Zierau (1865-1931) - Hochlandsrosen (1906)

今日はドイツの作曲家・オルガン奏者、フリッツ・ツィーラウ生誕150年の誕生日です。今回はツィーラウ作曲のイ短調とト短調の2曲の小品からなる「高地の薔薇」を弾きました。

デムカー (現在のドイツ、ザクセン=アンハルト州タンガーヒュッテの一地区) に生まれたツィーラウは、マクデブルクと、ベルリンの王立音楽研究所 (ベルリン芸術大学教会音楽研究所の前身機関) で学び、1902年には王室音楽監督 (Königlicher Musikdirektor) の称号を得ています。前任者フランツ・ヴァーグナーがベルリンに去って空位となっていた、グーベン主教会のカントル・オルガン奏者、ギムナジウムの声楽教師の職を得て、1904年にグーベンに移住しました。以後1931年に亡くなるまで、グーベンの音楽文化の発展に貢献したということです。

作曲家としては、主教会で演奏するための自作のオラトリオ「弁護者キリスト Christus der Tröster」、「ヤイロ Jairos」のほか、「プロイセン教員新聞 Preußische Lehrerzeitung」、「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung」で作品を発表しています。 IMSLP には新音楽新聞に収録された室内楽やピアノのための小品がいくつかあり、この「高地の薔薇」も1906年発行の同紙に収録された楽譜です。

Fritz Zierau - Moment musical in E minor (1903)

以前にツィーラウ作曲の「楽興の時 ホ短調」を弾いていたので併せてここで紹介します。これは1903年発行の新音楽新聞に収録された曲です。

追記: 略歴を掲載しました。ツィーラウに関する新聞記事の情報を提供して下さったらいのっとさんに感謝します。 (2015-02-11)

参照: Männer, die Guben entscheidend prägten, 2006-11-08 | Lausitzer Rundschau

2015-01-02

100th Death Anniversary of Carl Goldmark

Carl Goldmark - Thème in E major (Album du Gaulois, No. 6)

今日はハンガリーの作曲家カール・ゴルトマルク没後100年の命日です。今回は様々な作曲家のピアノ曲、室内楽曲、歌曲からなる曲集 Album du Gaulois (1885年出版) に収録されているゴルトマルク作曲の「主題 ホ長調」を弾きました。この曲集ではゴルトマルクについて以下のように書かれています。

M. Goldmark est, après M. Brahms, le compositeur le plus en vue de l'École austro-allemande. Son rare talent s'est affirmé par des ouvrages très divers: ouvertures, symphonies, pièces d'orchestre, concertos pour violon, quatuors et drames lyriques. Son opéra de la Reine de Saba, créé à Vienne, en 1874, a obtenu un succès retentissant. M. Goldmark doit donner, l'an prochain (1885), une nouvelle partition dramatique: Merlin, sur laquelle on compte beaucoup. Ce maître autrichien est aujourd'hui dans toute la force de sa production.

150th Birth Anniversary of Alfred Tofft

Alfred Tofft (1865-1931) - Airs mélancoliques, 4 pièces pour piano, Op. 36 (1902); No. 4. Chanson oubliée (C major)

今日はデンマークの作曲家アルフレズ・トフト生誕150年の誕生日です。今回はトフト作曲の「憂鬱な歌、4つのピアノ小品 Op. 36」より第4曲「忘れられた歌」を弾きました。

デンマークの首都コペンハーゲンに生まれたトフトは商学を学びながらも、ヨハン・ヘンレク・ニーベロング (Johan Henrik Nebelong) にオルガンを、ギーオウ・カール・ボールマン (Georg Karl Bohlmann) に作曲を師事し、1887年よりコペンハーゲン聖ヨハネ教会のオルガン奏者に、1903年よりコペンハーゲンの新聞 Berlingske Tidende の批評家になりました。作曲家としてはピアノ曲、声楽曲、2つの歌劇 Vifikanda (1896), Anathema (1925) が知られています。1913年創立のデンマーク作曲家協会では初代会長を務め、音楽出版社との契約交渉に商学の知識を生かしました。