2019-12-27

100th Death Anniversary of Akhilles Alferaki

Akhilles Alferaki (Ukraine/Russia, 1846 - 1919) - 3 Morceaux pour piano, Op. 27 (Dedicated to Felix Blumenfeld, 1863 - 1931); No. 2. Mazurka. Allegretto (G minor)

今日はウクライナ出身のロシアの作曲家・政治家、アヒレス・アルフェラキ没後100年の命日です。今回はアルフェラキ作曲「ピアノのための3つの小品 Op. 27」(フェリクス・ブルメンフェリトに献呈) より第2曲「マズルカ ト短調」を弾きました。

露土戦争 (1768 - 1774) の恩賞により地主となったギリシャ人将校の父ディミトリオスから土地を相続したニコライ・アルフェラキ (Nikolay Alferaki; ニコラオス・アルフェラキス, Νικόλαος Αλφεράκης, 1815 - 1860) は、裕福な商人となりました。ニコライの子としてハルキウに生まれたアヒレス・アルフェラキ (アキレアス・アルフェラキス, Αχιλλέας Αλφεράκης) は、1848年に家族とともにアゾフ海沿岸の都市タガンローク (タガンログ) に移ります。アンドレイ・シタケンシネイデル (Andrey Stackenschneider, 1802 - 1865) の設計によるタガンロークの邸宅は1927年以降に博物館となり、アルフェラキ宮殿 (Дворец Н. Д. Алфераки ; Alferaki Palace) と呼ばれています。アヒレスの弟のセルゲイ・アルフェラキ (Sergey Alferaki, 1850 - 1918) は鱗翅類学・昆虫学・鳥類学を専門とする動物学者に、もう一人の弟のミハイル・アルフェラキ (Sergey Alferaki, 1852 - 1915) はロシア帝国政府の検閲官になっています。

アヒレス・アルフェラキはモスクワ大学歴史・文献学部で学んだのちに家業のためにタガンロークに戻り、1880年にはタガンローク市長に選出されます。1888年に市長を辞するとペテルブルクに移り、1891年にロシア帝国内務省大臣室長 (правитель канцелярии министра внутренних дел) を務めます。

出典:

2019-12-26

150th Death Anniversary of Adolfo Zabala

Adolfo Zabala y Arambarri (Basque, Spain, 1841 - 1869) - Una lágrima. Danza habanera. Allegretto (C major)

スペイン・バスクの作曲家・ピアノ奏者、アドルフォ・サバラ没後150年ということで、サバラ作曲「一滴の涙、ハバネラ舞曲 ハ長調」を弾きました。サバラについて詳しいことは分からなかったのですが、スペイン国立図書館のページによると現在のバスク州の州都であるビルバオで生まれ亡くなっています。

出典: Zabala, Adolfo (1841-1869) | datos.bne.es (Biblioteca Nacional de España)

2019-12-25

50th Death Anniversary of Hilda Dederich

Hilda Dederich (England, 1901 - 1969) - The Old Fair for Pianoforte; No. 2. Lost. Sadly (G minor)

ロンドン生まれのイングランドの作曲家・ピアノ奏者、ヒルダ・ディードリヒ没後50年ということで、ディードリヒ作曲、ピアノのための「昔ながらのフェア」(全4曲) より第2曲 ト短調「道迷い」を弾きました。曲集にはほかに「操り人形 ハ長調 Marionettes 」「スイングボート ト長調 Swing Boats」「回り道 変ホ長調 The Roundabout 」が含まれています。

2019-12-22

150th Death Anniversary of Wilhelm Claussen

Wilhelm Claussen (Germany, 1844 - 1869) - 8 Charakterstücke für das Pianoforte, Op. 1 (Schwerin: Anton Trutschel, 1870); No. 6. Dahin! Sehr langsam und mit höchstem Ausdruck (B flat minor)

今日はドイツの作曲家ヴィルヘルム・クラウセン没後150年の命日です。今回はクラウセン作曲「ピアノのための8つの性格的小品 Op. 1」より第6曲 変ロ短調「そこへ!」を弾きました。

ヴィルヘルム・クラウセンは宮廷俳優・劇場書記の子としてメクレンブルク=シュヴェリーン大公国の首都シュヴェリーンに生まれました。12歳でピアノ三重奏曲を作曲し、1861年からシュテルン音楽院ハンス・フォン・ビューロー (Hans von Bülow, 1830 - 1894) に師事しました。1864年から音楽院の教師となり、1866年には演奏会用序曲「オテロ Othello 」、カンタータ「エフタの娘 Jephtas Tochter 」、二重フーガ「深き淵より、われ汝に呼ばわる Aus tiefer Not schrei ich zu dir 」でマイアベーア賞 (Meyerbeer-Preis) を受賞しました。そのほかの作品に序曲「ハムレット Hamlet 」、序曲「ロメオ Romeo 」、交響曲 ハ長調、「エウリピデスサテュロス劇キュクロープス』のための音楽 Musik zum Satyrspiel „Der Cyklop“ von Euripides 」、弦楽四重奏のための夜想曲などがあり、いくつかの作品をベルリンやシュヴェリーンで発表しました。1869年に生地のシュヴェリーンで25歳の若さで亡くなりました。生前に四重唱曲「春が山の上に昇るとき Wenn der Frühling auf die Berge steigt, Op. 4 No. 1」が出版されていますが、そのほかのピアノ曲 (性格的小品集 Op. 1) と歌曲 (独唱曲集 Opp. 2, 3; 四重唱曲集 Op. 4 Nos. 2-4) は死後に出版されています。

出典:

  • Grewolls, Grete (2011). “Claussen, Wilhelm”. Wer war wer in Mecklenburg und Vorpommern: Das Personenlexikon. Rostock: Hinstorff Verlag.
  • Baker, Theodore and Remy, Alfred, ed (1919). “Claussen, Wilhelm”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 163.
  • Musikalisch-literarischer Monatsbericht. Leipzig: Friedrich Hofmeister.

200th Birth Anniversary of Franz Abt

Franz Wilhelm Abt (Germany, 1819 - 1885) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - La fanciulla modesta (da un «Lied») (Biblioteca d'oro. Volume 3, No. 63. page 89)

今日はドイツの作曲家・指揮者、フランツ・アプト生誕200年の誕生日です。今回はアプト作曲の「慎ましい少女」(あるリートより) とされる楽曲のアレッサンドロ・ロンゴによるピアノ編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第3巻に第63曲として収録されています。原曲の題や作品番号を特定しようとしましたが、今のところ分かりません。

プロイセン王国ザクセン州アイレンブルク (Eilenburg) の説教家フランツ・ゴトハルト・アプト (Franz Gotthardt Abt, 1752 - 1838) の子として生まれたフランツ・ヴィルヘルム・アプトは、神学を学ぶためにザクセン王国ライプツィヒのトーマス学校 (Thomasschule zu Leipzig) に通っていましたが、父の死後は音楽の学習に専念するようになります。1841年にアンハルト=ベルンブルク侯国の首都ベルンブルク (Bernburg) で宮廷劇場の音楽監督を務め、同年にチューリヒの一般音楽協会 (Allgemeine Musik-Gesellschaft Zürich) 定期公演指揮者と株式劇場 (Aktientheater) の合唱指揮者となりました。1852年にはブラウンシュヴァイク公国の首都ブラウンシュヴァイクで第2宮廷楽長となり、1855年に第1宮廷楽長となりました。1882年に引退するとヴィースバーデンで余生を送りました。

出典:

  • Baker, Theodore and Remy, Alfred, ed (1919). “Abt, Franz”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 3.
  • Benedict, Carl (1953). “Abt, Franz”. Neue Deutsche Biographie. 1. Berlin: Duncker & Humblot. pages 25-26.

2019-12-08

50th Death Anniversary of Vincenzo Davico

Vincenzo Davico (Monaco/Italy, 1889 - 1969) - 6 Notturni pour piano; No. 2. Grave (D flat minor. A Luisa B...).

今日はモナコ出身のイタリアの作曲家・指揮者・批評家、ヴィンチェンツォ・ダヴィコ没後50年の命日です。今回はダヴィコ作曲「ピアノのための6つの夜想曲」より第2番 変ニ短調 を弾きました。調号で変ニ長調を表す5つのフラットが示されてはいますが、臨時記号が多用されていて、曲名の中で "Ré♭ mineur"(変ニ短調) と書かれています。この夜想曲集は各曲に異なる献辞と題辞がありますが、第2番は第5番 嬰ハ短調 と同じ “Luisa B...” に献呈されていて、シャルル・ゲラン (Charles Guérin, 1873 - 1907) 作の詩集「灰の種蒔き人 Le Semeur de cendres 」より第1編「闇の夜、悲劇的な夜、おお、絶望的な夜 Nuit d’ombre, nuit tragique, ô nuit désespérée 」の初行が題辞となっています。

モナコに生まれたヴィンチェンツォ・ダヴィコは、トリノでジョヴァンニ・クラヴェーロ (Giovanni Cravero) に、ライプツィヒ音楽院 (現在のフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学) でマックス・レーガー (Max Reger, 1873 - 1916) に師事し、1911年に同音楽院で学位を取得しました。ローマで指揮者として活動を開始し、1918年から1940年までパリを拠点としたのち、ローマに戻りました。

出典:

2019-11-26

200th Birth Anniversary of Ludwig Liebe

Eduard Ludwig Liebe (Germany, 1819 - 1900) - 6 Kleine Tondichtungen mit Überschriften deutscher Dichter, Op. 38 (Kassel: Luckhardt, 1862, 1867); No. 4. Allegretto (F major)

今日はドイツ出身の作曲家・ピアノ奏者・オルガン奏者、ルートヴィヒ・リーベ (ルイ・リーベ Louis Liebe) 生誕200年の誕生日です。今回はリーベ作曲「ドイツの詩人の表題つきの6つの小さな音詩 Op. 38」より第4曲 ヘ長調を弾きました。曲の題辞としてルートヴィヒ・ヴィール (Ludwig Wihl, 1807 - 1882) 作「春の祝い Frühlingsfeier 」(Hamburg, im Frühling 1839) 第34聯からの引用が以下のように楽譜に書かれています。

Alles zeigt ein froh Gesicht,
Trägt ein lustig grünes Kleid...
Welch ein göttlich-schön Gedicht
Ist die liebe Frühlingszeit.
Ludwig Wihl.

楽譜は1881年に「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されたものを使いました。

プロイセン王国ザクセン県 (Provinz Sachsen) マクデブルクに生まれたルートヴィヒ・リーベは、カッセルルイ・シュポーア (Louis Spohr, 1784 - 1859) とヨハン・クリスティアン・バルデヴァイン (Johann Christian Baldewein, 1784 - 1848) に師事しました。コブレンツマインツヴォルムスで音楽監督を務め、ストラスブールロンドンで教師となりました。ヴォルムスでの教え子に、幼少期のフリードリヒ・ゲルンスハイム (Friedrich Gernsheim, 1839 - 1916) がいます。

出典: Baker's Biographical Dictionary of Musicians. 3rd edition, 1919. page 534

2019-11-20

150th Birth Anniversary of Arthur Hinton

Arthur Hinton (England, 1869 - 1941) - A Summer Pilgrimage (in the White Mountains). 6 Pieces for Pianoforte (New York: J. Fischer & Bro., 1916); No. 4. Rêverie. “At Sunset Hill”. Andante (G major. To Miss Grace Denio Litchfield)

今日はイングランドの作曲家・ヴァイオリン奏者・指揮者、アーサー・ヒントン生誕150年の誕生日です。今回はヒントン作曲「夏の巡礼 (ホワイト山地にて)、ピアノのための6つの小品」より第4曲 ト長調「夢想、日の入りの丘で」を弾きました。各曲の題は以下の通りで、第1曲の題にある「アモヌースク」(Ammonoosuc River) から、米国ニューハンプシャー州ホワイト山地を舞台とする作品だと分かります。

  1. ロマンス、アモヌースク川のほとりで Romance “By the Ammonoosuc”
  2. 牧歌、丘に囲まれたところで (ウィッティア) Idyll “Among the Hills” (Whittier)
  3. スケルツォ、蛍 Scherzo “Fireflies”
  4. 夢想、日の入りの丘で Rêverie “At Sunset Hill”
  5. カントリー・ダンス、皮むき寄り合いで Country Dance “At the Husking”
  6. 夏の終わり The Passing of Summer

ベックナム (ケント州、現在はグレーター・ロンドンブロムリー区) に生まれたアーサー・ヒントンは、3年在学したロンドンの王立音楽アカデミーでプロスパー・セイントン (Prosper Sainton, 1813 - 1890) とエミール・ソーレ (Émile Sauret, 1852 - 1920) にヴァイオリンを、フランシス・ウィリアム・ダヴェンポート (Francis William Davenport, 1847 - 1925) に作曲を師事し、それから王立音楽アカデミーでヴァイオリンの助教を3年間務めました。さらにミュンヘンヨーゼフ・ガブリエル・ラインベルガー (Josef Gabriel Rheinberger, 1839 - 1901) に作曲を師事し、ヴィーン、ローマ、アルバーノを経て1896年にロンドンに戻りました。1903年にイングランドのピアノ奏者キャサリン・グッドソン (Katharine Goodson, 1872 - 1958) と結婚しています。

出典: Baker's Biographical Dictionary of Musicians. 3rd edition, 1919. page 403

2019-10-20

200th Birth Anniversary of Carl Mikuli

Carl Mikuli (Austrian Poland, 1819 - 1897) - 48 Airs nationaux roumains. Ballades, chants des bergers, airs de danse etc.; Cahier 2 (à Madame la Baronne Angelique de Muslazza). No. 7. Bujorŭ [Bujor]. Moderato (B minor)

今日はブコヴィナ出身のオーストリアの作曲家・ピアノ奏者、カール・ミクリ生誕200年の誕生日です。今回はミクリにより収集・編曲された「48のルーマニア民謡」より第2巻第7曲「シャクヤク ロ短調」を弾きました。

オーストリア帝国ブコヴィナ公爵領のチェルノヴィツ (現ウクライナのチェルニウツィー) に生まれたカール・ミクリは、1839年にヴィーンで医学を学んでいましたが、1844年から1847年までパリでフレデリック・ショパン (Frédéric Chopin, 1810 - 1849) にピアノを、アントニーン・レイハ (Anton Reicha, 1770 - 1836) に作曲を師事しました。1848年革命を契機にオーストリアに戻り、ポーランドとルーマニアの民謡を収集したほか、ピアノ奏者としてフランス、イタリア、ロシア、ルーマニア、ガリツィアを演奏旅行しました。1858年から1888年までレンベルク (現ウクライナのリヴィウ) でガリツィア音楽協会 (Gesellschaft zur Beförderung der Musik in Galizien) 芸術監督と音楽院 (Konservatorium) 院長を務めたのち、同地で自身の音楽学校を創設しました。1879年には17巻からなる「フレデリック・ショパンのピアノ作品 Fr. Chopin's Pianoforte-Werke 」(Leipzig: Fr. Kistner) の校訂譜を出版しています。

教え子にはアレクサンデル・ミハウォフスキ (Aleksander Michałowski, 1851 - 1938), チプリアン・ポルムベスク (Ciprian Porumbescu, 1853 - 1883), モーリツ・ローゼンタール (Moriz Rosenthal, 1862 - 1946), パウル・チュントゥ (Paul Ciuntu, 1866 - 1918), ラウル・コチャルスキ (Raoul Koczalski, 1884 - 1948) などがいます。

出典

2019-10-14

Carlo Caproli / Alessandro Longo - Tu mancavi a tormentarmi

Carlo Caproli (Italy, before 1620 – after 1675?) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - Tu mancavi a tormentarmi

イタリアの作曲家・ヴァイオリン奏者・オルガン奏者であるカルロ・カプローリ作曲の歌曲「お前は私を苦しめていなかったのに」のアレッサンドロ・ロンゴによるピアノ編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第1巻に第97曲 Melodia: Tu mancavi a tormentarmi (M. A. Cesti) として収録されています。アントニオ・チェスティ (Antonio Cesti, 1623 - 1669) の没後350年の記念に弾いたのですが、作曲者の名前や通称を記した同時代の手稿譜の発見によって、現在ではカプローリの作品とされています。

フランソワ=オーギュスト・ジュヴァール (François-Auguste Gevaert, 1828 - 1908) が編集した歌曲集「イタリアの栄光 第1巻 Les Gloires de l ' Italie . Chefs-d'oeuvre de la musique vocale italienne aux XVIIe et XVIIIe siècles. Collection de morceaux de théatre, de concert et de chambre, recueillis et publiés avec accompagnement de piano. Premier Volume 」(Paris: Heugel et fils, 1868) で第24曲にこの Tu mancavi a tormentarmi が「マルカントニオ・チェスティのアリア Aria di Marcantonio Cesti. (verso il 1660)」として収録されたのが、チェスティを作曲者とする誤った情報の由来ということです。

出典: 中巻寛子「『イタリア古典歌曲』研究序論」 (愛知県立芸術大学紀要 (32), 17-26, 2002)

2019-07-10

100th Death Anniversary of Hugo Riemann

Hugo Riemann (Germany, 1849 - 1919) - Valse et Valsette, Op. 25 (Köln: P. J. Tonger, 1877); No. 2. Valsette. Sehr zart und flüchtig (C major)

今日はドイツの作曲家・音楽理論家、フーゴ・リーマン没後100年の命日です。今回はリーマン作曲「円舞曲と小円舞曲 Op. 25」より第2曲「小円舞曲 ハ長調」を弾きました。楽譜は1882年に出版された「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されているものを用いました。

ドイツ連邦シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯国のグロスメールラ (Großmehlra)に生まれたフーゴ・リーマンは、 ゾンダースハウゼン (Sondershausen) でハインリヒ・フランケンベルガー (Heinrich Frankenberger, 1824 - 1885) に理論を、アウグスト・バルテル (August Barthel) とテオドール・ラッツェンベルガー (Theodor Ratzenberger, 1840 - 1879) にピアノを師事しました。ラッツェンベルガーはピアノをフランツ・リストに師事しているので、リーマンはピアノ奏者としてはリストの孫弟子ということになります。

1865年から1868年までベルリンとテュービンゲンで法学、哲学、史学を学んでいましたが、普仏戦争 (1870-1871) に出征。その後はライプツィヒ音楽院 (Conservatorium der Musik, 現在のフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプツィヒ) に入学し、1873年にゲッティンゲン大学で博士となりました。

ビーレフェルト (1878年まで)、ブロムベルク (1880-1881)、ハンブルク音楽院 (Hamburger Konservatorium, 1890年まで)、ゾンダースハウゼン音楽院 (Konservatorium der Musik in Sondershausen, 短期)、ヴィースバーデン音楽院 (Wiesbadener Konservatorium, 1895年まで) を経てライプツィヒ大学の教員となりました。1901年に員外教授、1905年に正教授、1914年に新設された音楽学研究所 (Forschungsinstitut für Musikwissenschaft) 所長に就任します。

出典:



2019-06-30

Zygmunt Stojowski - Zwielicht, Op. 29 No. 3

Zygmunt Stojowski (Poland/USA, 1870 - 1946) - Aus Sturm und Stille. 6 Klavierstücke, Op. 29 (Leipzig: Edition Peters, 1907); No. 3. Zwielicht ; Crépuscule ; Twilight. Moderato (C minor, dedicated to Miss Ethel Parrish)

ポーランド出身の作曲家・ピアノ奏者、ジグムント・ストヨフスキ作曲「嵐と静けさより、6つのピアノ小品 Op. 29」より第3曲「薄明 ハ短調」を弾きました。「バラード」「飛翔」「薄明」「奇想曲」「セレナード」「即興円舞曲」からなる曲集です。生誕150年の記念として演奏したものですが、 culture.pl では生年月日について

"born most probably on 27 March 1870 (OS) [8 April 1870 (NS) - some sources quote also 2 and 14 May, and the following years: 1863, 1869, 1871 and 1876]"
とあり、諸説あるものの1870年4月8日 (ユリウス暦同年3月27日) 説を有力としています。

ロシア帝国領ポーランドのキェルツェ近郊のスチェルツェ (Strzelce) に生まれたジグムント・ストヨフスキは、母にピアノの手ほどきを受けたのちにクラクフヴワディスワフ・ジェレンスキ (Władysław Żeleński, 1837 - 1921) にピアノと作曲を師事しました。ギムナジウムを卒業すると渡仏し、パリ音楽院でルイ・ディエメール (Louis Diémer, 1843 - 1919) のクラスでピアノを学び、テオドール・デュボワ (Théodore Dubois, 1837 - 1924) に和声を、レオ・ドリーブ (Léo Delibes, 1836 - 1891) に作曲を師事しました。1891年にはイグナツィ・ヤン・パデレフスキ (Ignacy Jan Paderewski, 1860 - 1941) にも師事しています。音楽院卒業後は欧州各地を演奏旅行しました。

1905年10月には米国に移住し、ニューヨークの音楽芸術研究所 (Institute of Musical Art in New York, ジュリアード音楽院の前身校の一つ)、次いでフォン・エンデ音楽学校 (Von Ende School of Music) の教員となりました。

出典: Zygmunt Stojowski (Sigismond Stojowski) - Biography | Artist | Culture.pl

2019-06-27

200th Birth Anniversary of Albert Loeschhorn

Albert Loeschhorn (Germany, 1819 - 1905) - 4 Morceaux élégants, Op. 109; No. 1. Chant de printemps [Frühlingslied ; Spring Song]. Allegretto (G major)

今日はドイツの作曲家・ピアノ奏者、アルベルト・レシュホルン生誕200年の誕生日です。今回はレシュホルン作曲「4つの優雅な小品 Op. 109」より第1曲「春の歌 ト長調」を弾きました。楽譜は Loeschhorn-Album. Auswahl beliebter Clavierstücke von A. Loeschhorn (Braunschweig: Henry Litolff's Verlag, 1885) を用いました。

ベルリンに生まれたアルベルト・レシュホルンは、1837年にルートヴィヒ・ベルガー (Ludwig Berger, 1777 - 1839) に学び、 1839年にベルガーが亡くなるとベルリンの王立教会音楽大学 (Königlichen Institut für Kirchenmusik) でエドゥアルト・グレル (Eduard Grell, 1800 - 1886) とアウグスト・ヴィルヘルム・バッハ (August Wilhelm Bach, 1796 - 1869) に和声と作曲を、ルドルフ・キリチギー (Rudolph Killitschgy, ca. 1797 - 1851) にピアノを師事しました。1851年にキリチギーが亡くなると、彼の後任として教会音楽大学のピアノ教師となり、1858年には教授に就任しました。

出典:



2019-06-26

100th Death Anniversary of Michel Zurluth

Michel Zurluth (France, 1861 - 1919) - Albumblatt. Andante, Op. 18 No. 3 (A flat major)

今日はアルザス出身のフランスの作曲家ミシェル・ズュルリュト (ミヒャエル・ツルルト) 没後100年の命日です。今回はズュルリュト作曲「アルバムの綴り 変イ長調 Op. 18 No. 3」を弾きました。楽譜は1899年に出版された「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されています。

ミシェル・ズュルリュトはサン=ジャン=サヴェルヌ (Saint-Jean-Saverne) に生まれ、メス (Metz) で亡くなりました。

2019-06-20

150th Death Anniversary of Joseph Ascher

Joseph Ascher (Netherlands, 1829 - 1869) - La plainte indienne [The Indian's Lament]. Episode. Larghetto (G minor)

今日はオランダ出身の作曲家・ピアノ奏者、ヨーゼフ・アッシャー (ジョゼフ・アシェル) 没後150年の命日です。今回はアッシャー作曲「インド人の嘆き、挿話 ト短調」を弾きました。

オランダのフローニンゲンに生まれたヨーゼフ・アッシャーは、ロンドンでイグナツ・モシェレス (Ignaz Moscheles, 1794 - 1870) に師事し、1846年にモシェレスがライプツィヒ音楽院 (現在のフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプツィヒ) の講師になると、ライプツィヒで引き続き彼に師事しました。1849年にはパリでフランス皇后ウジェニー・ド・モンティジョ (Eugénie de Montijo, 1826 - 1920) のもとで宮廷ピアノ奏者になっています。

出典: Baker's Biographical Dictionary of Musicians. 3rd edition, 1919. page 31

2019-06-13

150th Birth Anniversary of Ede Poldini

Ede Poldini (Hungary, 1869 - 1957) - Fleurettes, Op. 46; No. 5. Sostenuto (D major)

今日はハンガリー出身の作曲家・ピアノ奏者、エデ・ポルディーニ (エドゥアルト・ポルディーニ) 生誕150年の誕生日です。今回はポルディーニ作曲「小さな花 Op. 46」(全9曲) より第5曲 ニ長調を弾きました。

オーストリア=ハンガリー帝国ハンガリー王国ペシュトに生まれたエデ・ポルディーニは、ブダペストの国立音楽学校 (Nemzeti Zenede, 現在のバルトーク・ベーラ音楽院 Bartók Béla Zeneművészeti és Hangszerészképző Gyakorló Szakgimnázium) でイシュトヴァーン・トムカ (István Tomka, 1855 - 1923) に師事したのち、ヴィーンでオイゼビウス・マンディチェフスキ (Eusebius Mandyczewski, 1857 - 1929) に音楽理論を、ユリウス・エプシュタイン (Julius Epstein, 1832 - 1926) にピアノを師事しました。1908年にスイスに移住しています。

作品には多くのピアノ曲 (2手、4手) のほかに歌劇、合唱曲、歌曲などがあり、ピアノ曲集「マリオネット Marionettes 」の第2曲「踊る人形 La Poupée valsante 」がよく知られています。

出典:



2019-04-18

200th Birth Anniversary of Oscar Comettant

Oscar Comettant (France, 1819 - 1898) - Heures d'harmonie. Petites pièces pour piano; No. 9. Chanson. Allegretto in C major (à Monsieur Adolphe Méliot)

今日はフランスの作曲家・ピアノ奏者・音楽学者、オスカル・コメタン (コムタン) 生誕200年の誕生日です。今回はコメタン作曲「調和の時間、ピアノのための小品集」より第8曲「シャンソン (歌曲) ハ長調」を弾きました。

ボルドーに生まれたオスカル・コメタンは、1839年から1843年までパリ音楽院でアントワーヌ・エルヴァール (Antoine Elwart, 1808 - 1877) に和声を、ミケーレ・カラファ (Michele Carafa, 1787 - 1872) に作曲を師事しました。その後はピアノ奏者・作曲家として知られるようになり、1852年から1855年まで米国で過ごしたのち、パリに戻ってからは主に音楽に関する著作を数多く書き、著作家としてもよく知られるようになりました。

出典:

2019-04-14

夏目漱石『野分』のパアージヤル作「アダジョ」

夏目漱石 (1867 - 1916) が1907 (明治40) 年に発表した小説『野分』の演奏会の情景には、漱石が実演を聴いた演奏会の曲目が素材として使われている。

演奏会は数千の人を集めて、数千の人はことごとく双手を挙げながらこの二人を歓迎している。同じ数千の人はことごとく五指しを弾いて、われ一人を排斥している。高柳君はこんな所へ来なければよかったと思った。友はそんな事を知りようがない。

「もう時間だ、始まるよ」と活版に刷った曲目を見ながら云う。

「そうか」と高柳君は器械的に眼を活版の上に落した。

一、バイオリン、セロ、ピヤノ合奏とある。高柳君はセロの何物たるを知らぬ。二、ソナタ……ベートーベン作とある。名前だけは心得ている。三、アダジョ……パァージャル作とある。これも知らぬ。四、と読みかけた時拍手の音が急に梁を動かして起った。演奏者はすでに台上に現われている。(中略)

途端に休憩後の演奏は始まる。「四葉の苜蓿花」とか云うものである。曲の続く間は高柳君はうつらうつらと聴いている。ぱちぱちと手が鳴ると熱病の人が夢から醒さめたように我に帰る。この過程を二三度繰り返して、最後の幻覚から喚び醒まされた時は、タンホイゼルのマーチで銅鑼を敲き大喇叭を吹くところであった。
(『野分』第四章より)

1906 (明治39) 年10月28日、東京音楽学校を会場とする明治音楽会の演奏曲目は以下の通りである (『音楽新報』明治39年12月号; 『日本の洋楽百年史』, 第一法規出版, 1966, p.154)。寺田寅彦 (1878 - 1935) の日記によると、漱石は寺田と一緒にこの演奏会に行っている。また、津田左右吉 (1873 - 1961) も日記にこの演奏会の感想を書き残している (中西裕 (2012)「音楽を聴く津田左右吉」『學苑/GAKUEN』865号, pp. 43-55)。

  1. バイヲリン、セロ、ピアノ合奏 (マツキー令嬢、ドブラウイチ、サリンガー) 三部合奏曲 ゲーデ作 [Novelletten, Op. 29, or Piano Trio, Op. 42, by Niels Gade]
  2. 独唱歌 (ロンゲーカー令嬢) 歌劇バーベット中の舞歌美しき花の咲けるところ ビクトバート作
  3. ピアノ独奏 (マツキー嬢) ロンドン、カプリチオン メンデルソン作 [Rondo capriccioso, Op. 14, by Felix Mendelssohn]
  4. ピアノ、バイヲリン合奏 (ドブラウイチ、マツキー) ソナタ ビートーベン作 [Violin Sonata, by Ludwig van Beethoven]
  5. 独唱歌、バイヲリン、セロ、ピアノ伴奏 (ロンゲーカー、マツキー、ドブラウイチ、サリンガー) 四葉の苜蓿花 フアーザードミユツク作
  6. セロ独奏 (サリンガー) アダージヨ パアージアル作
  7. 四部合奏曲 (マツキー、ドブラウイチ、多忠基、サリンガー) 甲乙丙 モザルト作 [Piano Quartet, Movements 1-3 by Wolfgang Amadeus Mozart]
  8. レシテーシヨン (ロンゲーカー) 小児と老人に擬す [Recitation]

『野分』の演奏会の5曲のうち最後の「タンホイゼルのマーチ」(March [Einzug der Gäste auf der Wartburg] from Tannhäuser, by Richard Wagner) 以外の4曲は「明治音楽会」の演奏曲目1, 4, 6, 5に対応する。アダージヨの作曲者パアージアルは『野分』の註釈や英訳などで Richard von Perger とされていて、瀧井敬子の著書『夏目漱石とクラシック音楽』(毎日新聞出版, 2018) でもそれに倣っている。

「明治音楽会」の第六番目の曲目「パアージアル作曲」の「アダージヨ」が、『野分』の第三番目の曲目「アダジヨ……パージヤル作」として活版に印刷されているのは、実に面白い。しかし、リヒャルト・ペルゲル (ペルガー) Richard Perger (1854-1911) の作品に、無伴奏チェロ曲「アダージョ」があるかどうかは、不明。 (『夏目漱石とクラシック音楽』, pp.103-104)

ここにあるとおり、チェロの独奏で演奏されるアダージョという曲の存在を確認できないままでは、パアージアルがリヒャルト・ペルガーであるというのは根拠に乏しい。ペルガーの作品からチェロ独奏の作品を探してみると、「チェロとピアノのための4つの小品 Vier Stücke f. Vcello m. Pfte., Op. 5 」と「チェロと弦楽合奏またはピアノのためのセレナーデ 変ロ長調 Serenade (B) f. Vcello m. Streich-Orch./Pfte., Op. 21 」が Hofmeister's Musikalisch-literarischer Monatsbericht に掲載されている。小品集 Op. 5 のほうは、それぞれにカヴァティーヌ、インテルメッツォ、エレジー、フモレスケと固有の題があるのに、それらの題ではなく「アダージヨ」とプログラムに載せるのは不自然に思う。セレナーデ Op. 21 の緩徐楽章なら (そしてそれが Adagio であるなら) ありうるだろうか。

「パアージアル」は「バアージアル」の誤植または誤読とも考えられる。実際に『日本の洋楽百年史』の該当部は「アダジヨーバアージアル作」と書かれている。ヴォルデマール・バルギール Woldemar Bargiel (1828 - 1897) 作曲の「チェロと管弦楽のためのアダージョ Adagio für Violoncello und Orchester, Op. 38 」は、管弦楽またはピアノによる伴奏が必要な曲であるものの、チェロ独奏のアダージョとして広く知られるものであり、一つの可能性として考えられるだろう。

「明治音楽会」の演奏曲目2、ビクトバート (『日本の洋楽百年史』では「ビクトーバート」と表記) 作曲「歌劇バーベット中の舞歌美しき花の咲けるところ」について瀧井は以下のように書き、楽曲も作曲者も不明としている。

第二曲目の歌劇《バーベツト》より舞歌「美しき花の咲けるところ」は不明。作曲者ビクトバートも不明。(「夏目漱石とクラシック音楽」, p.98)
これはおそらくヴィクター・ハーバート Victor Herbert (1859 - 1924) 作曲、ハリー・ベイチ・スミス Harry Bache Smith (1860 - 1936) の台本による3幕のロマンティック・コミック・オペラ「バベット Babette 」(1903年初演) より第3幕第22曲 "Where the Fairest Flow'rs are Blooming" で、作曲者「ビクトー・ハーバート」、「ビクトル・ハーバート」と書くべきところを脱字したのであろう。

「明治音楽会」の演奏曲目5、「四葉の苜蓿花(うまごやし)」は四つ葉のクローバーのことであるが、作曲者フアーザードミユツクについては瀧井は同様に不明と書いている (「夏目漱石とクラシック音楽」, p.98)。 Hofmeister's Musikalisch-literarischer Monatsbericht ほかによると、1906年以前に出版された「四つ葉のクローバー」を題とする歌曲としては以下のものなどがあるが、フアーザードミユツクと表記されそうな作曲者は見つからない。ルドルフ・エルネスト・ロイテル Rudolph Ernest Reuter (b. 1888) 作曲の「四つ葉のクローバー」は1907年3月に作曲されている (「夏目漱石とクラシック音楽」, p.104) が、これは『野分』の出版後のことである。

  • Vierblättriger Klee: „Gefunden, gefunden! An’s Herz ich dich drück“ (No. 2) from 6 Lyrische Gedichte, Op. 40 (Köln: Tonger, 1892), by Fritz Lorleberg
  • Vierblätt’riger Klee: „Gefunden, gefunden! An’s Herz ich dich drück’“, Op. 78 (Bayreuth: Giessel jun., 1897), by Karl Seitz (1844 - 1905)
  • Four Leaf Clover: „I know a place where the sun is like gold“ (Cincinnati: The John Church Company, 1905), by Charles Willeby (1865 - 1955)
  • Vierblättriger Klee: „Ein vierblättriges Kleeblatt, das sucht man im Klee“ (Leipzig: Bosworth, 1905), by Carl Bohm (1844 - 1920)
  • „Vierblättriger Klee, wenn ich dich seh“ aus der Operette „Bruder Straubinger“ (Leipzig: Weinberger, 1905), by Edmund Eysler (1874 - 1949)


2019-04-11

200th Birth Anniversary of Charles Hallé

Charles Hallé (Germany, 1819 - 1895) - Dämmerungs-Gedanken. 4 Stücke für das Pianoforte, Op. 7; 1. Allegretto molto semplice (G major)

今日はドイツ出身の作曲家・ピアノ奏者・指揮者、チャールズ・ハレ (カール・ハレ) 生誕200年の誕生日です。今回はハレ作曲「薄明の思考、ピアノのための4つの小品 Op. 7」より第1曲 ト長調を弾きました。

プロイセン王国ハーゲンに生まれたカール・ハレは、1835年にダルムシュタットでクリスティアン・ハインリヒ・リンク (Christian Heinrich Rinck, 1770 - 1846) に師事したのち、1836年からパリ、1848年からロンドン、1853年からマンチェスターを拠点に活動しました。1857年にマンチェスターでハレが設立し常任指揮者を務めたオーケストラは、現在ではハレ管弦楽団 (The Hallé) の名で活動しています。

出典: Baker's Biographical Dictionary of Musicians. 3rd edition, 1919. page 355

2019-04-01

150th Birth Anniversary of Georg Capellen

Georg Capellen (Germany, 1869 - 1934) - Shogaku Shoka [小学唱歌]. Japanische Volksmelodien des Isawa Shuji. Als Charakterstücke für Klavier bearbeitet, Op. 26; No. 7. Koi yo (Karpfen) [鯉よ] (E minor). The original title of "Koi yo" is "Kodomo, Kodomo" [子供々々].

今日はドイツの音楽著述家・音楽批評家・作曲家、ゲオルク・カペレン生誕150年の誕生日です。今回はカペレンがピアノ独奏のために編曲した伊澤修二 (Isawa Shūji, Japan, 1851 - 1917) 編集「小学唱歌」(大日本図書, 1892-1893) より第1巻第10曲 伊澤修二作詞作曲「子供々々」を弾きました。カペレンの曲集「小学唱歌、ピアノのための性格的小品として編曲された伊澤修二の日本民謡旋律集 Op. 26」(1904年出版) では第7曲に置かれ、「子供子供」ではなく2番の歌詞より「鯉よ」の題が付けられています。

北ドイツ連邦リッペ=デトモルト侯国バート・ザルツウフレンに生まれたゲオルク・カペレンは、テュービンゲンゲッティンゲンベルリンで哲学と法学を学びました。オスナブリュック (1900-1906)、ケルン (1906)、ミュンヘン (1907-1914)、ハノーファー (1914年以降) で活動し、ハノーファーで亡くなりました。

追記: カペレンの曲集で第7曲であることなどを加筆しました (2019-05-20)。

出典:



2019-03-23

150th Death Anniversary of Albert Methfessel

Albert Gottlieb Methfessel (Germany, 1786 - 1869) - Weihnachtsabend. Andantino cantabile (D flat major)

今日はドイツの作曲家・歌手、アルベルト・ゴトリープ・メトフェッセル没後150年の命日です。今回はメトフェッセル作曲「クリスマスの夕べ 変ニ長調」を弾きました。楽譜は1881年に出版された「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されています。

テューリンゲンのシュタットイルム (Stadtilm) に生まれたアルベルト・メトフェッセルは、ドレスデンでカストラート歌手のフランチェスコ・チェッカレッリ (Francesco Ceccarelli, 1752-1814) に師事しました。1810年から1822年までシュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯国で宮廷歌手を、1832年から1842年までブラウンシュヴァイク公国で宮廷楽長を務めました。兄に作曲家のフリードリヒ・メトフェッセル (Friedrich Methfessel, 1771 - 1807) がいます。

出典: Brusniak, Friedhelm, "Methfessel, Albert" in: Neue Deutsche Biographie 17 (1994), S. 230 f.

2019-03-21

100th Death Anniversary of Waldemar Sommerfelt

Waldemar Ebbessen Sommerfelt (Norway, 1885 - 1919) - Norwegian Album for Piano; No. 5. Gjæterguttens Sang (Gjeterguttens Sang) ; The Shepherd's Song ; Chanson du berger ; Hirtenweise. Lento tranquillo (G major)

今日はノルウェーの作曲家ヴァルデマル・エベセン・ソンメルフェルト没後100年の命日です。今回はソンメルフェルト作曲「ピアノのためのノルウェーのアルバム」より第5曲「牧童の歌 ト長調」を弾きました。残りの5曲は順に「谷にて I dalen 」、「ノルウェーの婚礼の行列 Norsk brudeferd 」、「山の夕べ Aften paa fjeldet 」、「狼狩り Ulvejegeren 」、「フィドルは踊りをさそう Dans, ropte felen! (ノルウェー舞曲)」となっています。作曲家・ピアノ奏者のエイステイン・ソンメルフェルト (Øistein Sommerfeldt, 1919 - 1994) は遠縁にあたるようです。

ラルヴィク (Larvik) に生まれたヴァルデマル・ソンメルフェルトは、ドレスデンヘルマン・ショルツ (Herrmann Scholtz, 1845 - 1918) とゲルハルド・シェルデルプ (Gerhard Schjelderup, 1859 - 1933) にピアノと作曲を師事しました。コペンハーゲンでは自作のみをプログラムとする演奏会を催しました。作品にはオペラ、交響曲、管弦楽組曲、ヴァイオリンソナタ、そのほかにヴァイオリン曲、ピアノ曲、歌曲があります。以上の経歴は使用した楽譜 (London: Ascherberg, Hopwood & Crew, 1910) の表紙に書かれています。

2019-03-03

150th Birth Anniversary of Frederick A. Williams

Frederick Arthur Williams (USA, 1869 - 1942) - A Trip to Fairyland. 4 Characteristic Pieces for the Pianoforte, Op. 95; No. 1. The Merry Elf. Joyful and bold (C major)

今日は米国の作曲家・ピアノ奏者、フレデリック・アーサー・ウィリアムズ生誕150年の誕生日です。今回はウィリアムズ作曲「妖精の国への旅、ピアノのための4つの性格的小品 Op. 95」より第1曲「陽気なエルフ ハ長調」を弾きました。この曲集は「妖精の谷で」、「ノームの踊り」、「ホブゴブリン」と続きます。

オハイオ州オウバリン (Oberlin) に生まれたフレデリック・アーサー・ウィリアムズは、クリーヴランドでジェイムズ・ホチキス・ロジャーズ (James Hotchkiss Rogers, 1857 - 1940) にピアノとオルガンを、ウィルソン・ジョージ・スミス (Wilson George Smith, 1855 - 1929) にピアノと作曲を、チャールズ・エドウィン・クレメンス (Charles Edwin Clemens, 1858 - 1923) にオルガンを、ウィリアム・ホール・シャーウッド (William Hall Sherwood, 1854 - 1911) にピアノを師事しました。その後はクリーヴランドのほか、オハイオ州各地で教師を務めました。

作品には250曲ほどのピアノ曲といくつかの歌曲があり、「三度・六度・オクターヴによる手首と前腕の練習曲 Wrist and Forearm Studies in thirds, sixths and octaves, for pianoforte, Op. 43」と「オクターヴと和音の練習曲 Octave- and chord-studies for pianoforte, Op. 56」が知られています。

出典: Baker's Biographical Dictionary of Musicians.

2019-02-10

150th Birth Anniversary of Vasily Kalafati

Vasily Pavlovich Kalafati (Василий Павлович Калафати, Ukraine/Russia, 1869 - 1942) - 5 Préludes pour piano, Op. 7 (Leipzig: M. P. Belaieff, 1902); No. 5. Lento - Poco Allegro (B flat minor, dedicated to Aleksandr Glazunov)

今日はクリミア出身のロシアの作曲家・指揮者・音楽教師、ヴァシーリー・カラファーティ生誕150年の誕生日です。今回はカラファーティ作曲「5つの前奏曲 Op. 7」(1901年作曲、1902年出版) より第5番 変ロ短調を弾きました。曲集のうち第4番 イ長調とこの第5番はアレクサンドル・グラズノフ (Aleksandr Glazunov, 1865 - 1936) に献呈されています。楽譜はミトロファン・ベリャーエフ (Mitrofan Belyayev, 1836 - 1904) が創業したベリャーエフ社から出版されていて、カラファーティ自身もベリャーエフ・サークルに参加していました。

ヴァシーリー・カラファーティは、ギリシャ人の貿易商パウロス・カラファティス (Παύλος Καλαφάτης ; Paulos Kalafatis) の子としてタヴリダ県のエフパトリア (イェウパトーリヤ) に生まれました。ギリシャ語名ではヴァシリス・カラファティス (Βασίλης Καλαφάτης ; Vasilis Kalafatis) となります。エフパトリアでライプツィヒ音楽院出身のグスタフ・レオ (Густав Карлович Лео ; Gustav Karlovich Leo) にピアノと作曲を師事したのち、1892年に入学したペテルブルク音楽院ニコライ・リムスキー=コルサコフ (Nikolay Rimsky-Korsakov, 1844 - 1908) のクラスで作曲を学び、ニコライ・ガールキン (Nikolay Galkin, 1850 - 1906) に指揮を師事しました。1899年に音楽院を卒業したのちに同音楽院で音楽理論の教師となり、1913年から1929年まで作曲法の教授を務めました。

カラファーティの著名な教え子として、ヴラディーミル・ツィービンイーゴリ・ストラヴィンスキーボリス・アサフィエフウゼイル・ハジベヨフサルキス・バルフダリアンヘイノ・エッレルヴラディーミル・デシェヴォフキリルス・クレークヴラディーミル・シチェルバチョフセミョーン・ボガティリョフフリストフォル・クシナリョフヴラディーミル・ドラニシニコフアレクサンドル・ガウクミハイル・ユーディンアルセニー・グラトコフスキーニコラス・スロニムスキーハコボ・フィシェルハロ・ステパニアンマリヤ・ユーディナゴトフリト・ハサノフアレクサンドル・カメンスキーボリス・アニシモフなどがいます。詳しくは以下の一覧を参照してください。

出典: