2016-12-31

100th Death Anniversary of Ernst Rudorff

Ernst Rudorff (Germany, 1840 - 1916) - 8 Fantasiestücke, Op. 10; No. 7. Andantino con moto (G major)

今日はドイツの作曲家・音楽教師、エルンスト・ルードルフ没後100年の命日です。今回はルードルフ作曲「8つの幻想的小品 Op. 10」より第7曲 ト長調を弾きました。

エルンスト・ルードルフはベルリンに生まれました。父は法学者でフリードリヒ・ヴィルヘルム大学教授のアドルフ・アウグスト・フリードリヒ・ルードルフ (Adolf August Friedrich Rudorff, 1803 - 1873)、母はフェーリクス・メンデルスゾーン (Felix Mendelssohn, 1809 - 1847) とその姉妹の友人として知られるベティ・ピストア (Elisabeth "Betty" Pistor, 1808 - 1887)、母方の祖父は腕木通信に関する発明家のカール・フィーリプ・ハインリヒ・ピストア (Carl Philipp Heinrich Pistor, 1778 - 1847) です。

1850年から1857年までヴォルデマール・バルギール (Woldemar Bargiel, 1828 - 1897) にピアノと作曲を、1852年から1854年までルイ・リース (Louis Ries, 1830 - 1913) にヴァイオリンを、1858年にクララ・シューマン (Clara Schumann, 1819 - 1896) にピアノを師事しました。1859年から1860年まで神学と歴史学をベルリンとライプツィヒの大学で学び、並行して1859年から1861年までライプツィヒ音楽院 (Conservatorium der Musik) でも学びました。音楽院ではイグナーツ・モシェレス (Ignaz Moscheles, 1794 - 1870) にピアノを、ユリウス・リーツ (Julius Rietz, 1812 - 1877) に作曲を師事しています。1861年から1862年までカール・ライネッケ (Carl Reinecke, 1824 - 1910) とモーリッツ・ハウプトマン (Moritz Hauptmann, 1792 - 1868) の個人教授を受けています。

1865年からケルン音楽院 (Conservatorium der Musik in Coeln) で、1869年から1910年までベルリン高等音楽学校 (Königlich Akademischen Hochschule für ausübende Tonkunst) でピアノ教師となりました。1867年にケルンでバッハ協会 (Bach-Verein) を設立し、1880年から1890年までシュテルン合唱協会 (Stern Gesangverein) の指揮者を務めました。自著論文 ( „Heimatschutz“. In: Grenzboten, 56. Jg. 1897, Nr. 2, S. 401-414, 455-468.) の題名とした「郷土保護」(Heimatschutz) を提唱し、環境保護・景観保護運動を推進したことでも知られています。

教え子に以下の人物がいます。

追記: 経歴を加筆しました (2020-02-13)。

出典:

2016-12-24

Louise Farrenc - Etude, Op. 42 No. 19

Louise Farrenc (1804 - 1875) - 20 Études de genre et de mécanisme (20 Études de moyenne difficulté), Op. 42 (Dedicated to Mademoiselle Marie Colin). No. 19. Adagio religioso, molto legato (F sharp major)

フランスの作曲家・ピアノ奏者、ルイーズ・ファランク作曲「ジャンルとメカニスムの20の練習曲 (中級の難度の20の練習曲) Op. 42」より「第19番 嬰ヘ長調」を弾きました。

この練習曲集はファランクの6段階の教本からなる「ピアニストの学校 L'école pianiste」のうちの2冊目にあたります。第19番はレガートの練習曲で、コラール風に書かれています。

2016-12-16

Russian composer, Pyotr Abramovich Khvoshchinsky

Pyotr Abramovich Khvoshchinsky (P. Khvostchinsky ; Пётр Абрамович Хвощинский, Russia, 1882 - 1920) -
3 Morceaux pour piano, Op. 8 (Moscow: P. Jurgenson, 1910); No. 3. Mazurka, e-Moll

6 Morceaux pour piano, Op. 10 (Moscow: P. Jurgenson, 1911); No. 5. Prélude, cis-Moll

2 Préludes pour piano, Op. 13 (Moscow: P. Jurgenson, 1912); No. 2. Prélude, C-Dur

ロシアの作曲家・軍人、ピョートル・アブラーモヴィチ・フヴォシチーンスキーのピアノ小品から「マズルカ ホ短調 Op. 8 No. 3」、「前奏曲 嬰ハ短調 Op. 10 No. 5」、「前奏曲 ハ長調 Op. 13 No. 2」を弾きました。

Энциклопедия Традиция (traditio.wiki) によると、サンクトペテルブルクに生まれたフヴォシチーンスキーは、1902年よりペテルブルク音楽院でニコライ・ソコローフ (Nikolay Sokolov, 1859 - 1922) に、1905年よりニコライ・チェレプニーン (Nikolay Tchelepnin, 1873 - 1945) に、1908年にニコライ・リムスキー=コルサコフ (Nikolay Rimsky-Korsakov, 1844 - 1908) に、その後アナトーリー・リャードフ (Anatoly Lyadov, 1855 - 1914) などに師事。軍人としては第一次世界大戦中に陸軍中佐 (Подполковник) に昇進したものの、ロシア内戦の最中の1919年にモスクワのブティールカ監獄に収容され、獄中で病死したということです。

ペテルブルク音楽院在学中に同院の学生だった音楽家というと、レオニード・クロイツァー (Leonid Kreutzer, 1883 - 1953)、アルトゥール・レンバ (Artur Lemba, 1885 - 1963)、エフレム・ジンバリスト (Efrem Zimbalist, 1889 - 1985)、ボリス・アサフィエフ (Boris Asafyev, 1884 - 1949)、セルゲイ・プロコフィエフ (Sergey Prokofiev, 1891 - 1953)、ニコライ・ミャスコフスキー (Nikolay Myaskovsky, 1881 - 1950)、マクシミリアン・シテインベルク (Maksimilian Steinberg, 1883 - 1946) などがいます。これらの音楽家の中にフヴォシチーンスキーと交友のあった人物がいるかもしれません。また作品の被献呈者を見ると、「小さなワルツ ト長調 Op. 10 No.4」がピアノ奏者のレオカディヤ・カシペロヴァ (Leokadiya Kashperova, 1872 - 1940) に献呈されています。

2016-12-03

150th Death Anniversary of Johann Wenzel Kalliwoda

Jan Václav Kalivoda (Johann Wenzel Kalliwoda, Czech, 1801 - 1866) - Sonate pour le pianoforte (E flat major), Op. 176; II. Allegretto (A flat major)

今日はチェコ出身の作曲家・ヴァイオリン奏者、ヤン・ヴァーツラフ・カリヴォダ (ヨハン・ヴェンツェル・カリヴォダ) 没後150年の命日です。今回はカリヴォダ作曲「ピアノソナタ 変ホ長調 Op. 176」より第2楽章を弾きました。

カリヴォダといえば「オーボエとピアノのためのサロン用小品 Op. 288」がよく演奏されますね。室内楽もたくさんありますが、ピアノ曲ではワルツ、ギャロップ、ポルカ、コントルダンスといった舞曲を主に書いています。