2015-06-28

Scarlatti's Chefs-d'oeuvre (1791), selected by Clementi

Attributed to Domenico Scarlatti (Italy, 1685 - 1757) - Sonata No. 2 in F major, from “Scarlatti's Chefs-d'oeuvre for the Harpsichord or Piano-Forte, selected from an Elegant collection of Manuscripts, in the Possession of Muzio Clementi” (London, 1791)

1791年に出版された「ムツィオ・クレメンティの所有する手稿譜の優雅な曲集から選ばれたスカルラッティの主要作品」より第2曲ヘ長調を弾きました。この曲集はドメニコ・スカルラッティの鍵盤曲の中から12曲をまとめた曲集ということになっていますが、そのうちスカルラッティの真作とみなされているのは10曲です。

  1. Allegro assai, in F major, K. 378
  2. Andante cantabile, in F major [unidentifid]
  3. Allegro commodo, in F major, K. 380 [transposed from E major to F major]
  4. Cantabile, in D major, K. 490
  5. Allegro molto, in D major, K. 400
  6. Allegro di nolto, in E flat major, K. 475
  7. Allegro, in E flat major, K. 381 [transposed from E major to E flat major]
  8. Un poco andante, in E major, K. 206
  9. Allegrissimo, in E major, K. 531
  10. Andante, in F minor, K. 462
  11. Allegro molto, in F minor, K. 463
  12. Allegro, in F major [Sonata, R. 5 by Antonio Soler]
この曲集については後に別の出版社によって、誤ってクレメンティの作品として出版されました。
『ムツィオ・クレメンティの所有する手稿譜の優雅な曲集から選ばれたスカルラッティの主要作品』は1791年に現れた。1803年、クレメンティの協力なしに、いや彼が知りさえしないうちに、ブライトコップ-ヘルテル社は彼の全集の出版に着手した。クレメンティは、ブライトコップ-ヘルテル社がこのような名誉を与えた3番目の作曲家であった。つまり、ハイドン、モーツァルトに対して同様の全集の企画が、前者は1798年に、後者は1800年に企てられている。クレメンティが1804年にライプツィヒに到着したとき、彼は自分の作品がすでに5巻出版されているのを発見した。その第5巻は、誤って彼の作品とされたスカルラッティやその他の古い時代の作曲家たちの作品まで含んでいた。
(レオン・プランティンガ Leon Plantinga 著、藤江効子 訳「クレメンティ 生涯と音楽」、音楽之友社、1993年、pp.193-194)

Gallica (フランス国立図書館の電子図書館) にある楽譜にも、同じ内容の曲集でクレメンティ作曲の「スカルラッティの様式により作曲された12のソナタ」 12 Sonates pour clavecin ou forte-piano composées dans le style du célèbre Scarlatti par Muzio Clementi, Opera 27e. (Paris: Lobry, 1792) とされているものがあります。

1838年から1840年にかけてカール・チェルニーによる校訂で25巻200曲からなる「ドメニコ・スカルラッティによるピアノのための全作品」 Sämmtliche Werke für das Piano-Forte von Dominic Scarlatti (Vienna:Tobias Haslinger, 1838-40) が出版されました。チェルニーは出典の一つとしてクレメンティの曲集を参照したとみられ、真作とみなされていない2曲 Czerny 195 (Clementi 2 [unidentifid]), Czerny 196 (Clementi 12 [Sonata in F major, R.5 by Antonio Soler]) と移調された2曲 Czerny 92 (Clementi 7, K. 381), Czerny 100 (Clementi 3, K. 380) も含まれています。

ソナタ Andante cantabile ヘ長調 (Clementi 2, Czerny 195) はチェルニーより後世の曲集でもスカルラッティ作として現れます。確認できたものを以下に挙げます。

これらのほかにもある、かつてはドメニコ・スカルラッティの作品とされながら現在では彼の真作とみなされていない作品の録音をいくつか見つけたので、参考のため挙げておきます。一覧の中で Buonamici, Granados としたのはそれぞれ Domenico Scarlatti, 22 Pieces for the piano, edited and fingered by G. Buonamici (New York: G. Schirmer, 1895), Domenico Scarlatti, 26 Sonatas inéditas para clave, compuestas en España para Familia Real (1729-1754), transcriptas libremente para Piano por el pianista compositor Enrique Granados (Madrid: Sociedad Editorial de Música, n.d.) の曲番号です。

2015-06-27

Friedrich Kalkbrenner - Fughetta alla Decima in F minor, Op. 20 No. 12

Friedrich Kalkbrenner (Germany, 1784 - 1849) - Étude pour le piano forte consistant en 24 exercices dans les tons majeurs et mineurs, Op. 20 (1825); Studio No. 12 in F minor

フリードリヒ・カルクブレンナー作曲の「全長短調による24のエグゼルシスからなるエチュード Op. 20」より練習曲第12番ヘ短調を弾きました。 C-Des-E の印象的な動機による対位法的な練習曲です。

グラドゥス・アド・パルナッスム Op. 44 を作曲したことでも知られる師ムツィオ・クレメンティから1820年にピアノソナタ 変ロ長調 Op. 46 を献呈されたカルクブレンナーは、5年後の1825年に出版されたこの曲集をクレメンティに献呈しました。ハ長調から始まって同主長短調の対を半音ずつ上げて全24調をめぐる配列となっています。

原題では単数形の Étude (エチュード) という単語が使われていますが、これはドイツ語の Schule に相当する用例のようで、個々の練習曲ではなく教本としての曲集のことを指すようです。19世紀初頭の曲集に、こういった題名のものがいくつか見つかります。フランツ・リスト作曲の「12の練習曲 S. 136」として知られる「全長短調による48のエグゼルシスとしてのエチュード Op. 6」については、前年に出版されたこのカルクブレンナーの曲集を意識して題名を付けたのかもしれません (参照: PTNAピアノ曲事典「チェルニー30番」再考 3.練習曲の定義の変遷 (1820年代-30年代))。

(括弧内は出版年)

追記 2015-11-29: 1880年頃に出版されたリトルフ版 (Etudes pour piano, op. 20. Braunschweig: Henry Litolff's Verlag. Catalog No. 1110) の練習曲第12番には "FUGHETTA ALLA DECIMA. Moderato. (♩ = 126.)" と書かれているようです。ミュッセによる複製版のページにサンプル画像がありました。「10度[の転回対位法]によるフゲッタ」の題や主題の類似からしても、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲「フーガの技法 Die Kunst der Fuge, BWV1080」の「コントラプンクトゥス 10. 10度の転回対位法による4声」を意識して書かれたものかもしれません。

2015-06-25

100th Death Anniversary of Rafael Joseffy

Rafael Joseffy (1852 - 1915) - Feuille d'album No. 1 in A major (New York: G. Schirmer, 1887)

今日はハンガリー出身でドイツや米国で活動した作曲家・ピアノ奏者、ラファエル・ヨゼフィ没後100年の命日です。今回はヨゼフィ作曲の「アルバムの綴り 第1番 イ長調」を弾きました。

オーストリア帝国領であったハンガリーの街フンファル (現在のスロバキア、プレショウ県ケジュマロク郡フンツォヴツェ Huncovce) に生まれ、ミシュコルツで少年期を過ごしたヨゼフィは、ブダペストでフリードリヒ・ブラウアー (Friedrich Brauer, 1806 - 1898) に、ライプツィヒでイグナーツ・モシェレスとエルンスト・フェルディナント・ヴェンツェル (Ernst Ferdinand Wenzel, 1808 - 1880) に、ベルリンでカール・タウジヒに、ヴァイマルでフランツ・リストにそれぞれ師事しました。1879年に渡米、それからニューヨークを拠点とし、同地で亡くなっています。