2015-12-29

200th Birth Anniversary of Robert Volkmann

Robert Volkmann (Germany, 1815 - 1883) - Buch der Lieder für das Pianoforte, Op. 17; Heft 2 Nr. 3. Andante religioso (F-Dur)

ドイツの作曲家ローベルト・フォルクマン生誕200年ということで、フォルクマン作曲「ピアノのための歌の本 Op. 17」より第6曲 (第2巻第3曲) 「アンダンテ・レリジョーゾ ヘ長調」を弾きました。

ザクセン王国ロマッチュ (Lommatzsch) に生まれたローベルト・フォルクマンは、カントルである父にオルガンとピアノを、フリーベル (Friebel) にヴァイオリンとチェロを師事。進学したギムナジウムがあったフライベルクでアウグスト・フェルディナント・アナカー (August Ferdinand Anacker, 1790 - 1854) に、次いでライプツィヒでカール・フェルディナント・ベッカー (Carl Ferdinand Becker, 1804 - 1877) に作曲を師事しました。

3巻からなるピアノ曲集「歌の本」はハインリヒ・ハイネの同名の詩集 Buch der Lieder から題名を取ったもののようです。ピアノ独奏のための歌ということで、無言歌集に類するものと考えて良いでしょうか。第1巻と第2巻は1854年に、第3巻は1860年にそれぞれ出版されていて、チェコ出身の作曲家・ピアノ奏者であるヨーゼフ・フィシュホフ (Joseph Fischhof, 1804 - 1857) に献呈されています。

2015-12-28

200th Birth Anniversary of Fredrikke Egeberg

Fredrikke Egeberg (Norway, 1815 - 1861) - 6 Sange uden Ord for Pianoforte (6 Songs without Words for Piano); No. 1. Adagio cantabile (F minor)

ノルウェーの作曲家・ピアノ奏者、フレドリッケ・エーゲバルグ (フレゼレゲ・イーイベア) 生誕200年ということで、エーゲバルグ作曲「ピアノのための6つの無言歌」より第1番ヘ短調を弾きました。

フレドリッケ・エーゲバルグはデンマーク=ノルウェーのクリスティアーニア (現在のオスロ) にデーマーク人の材木商ヴェスティエ・エーゲバルグ (ヴェステュー・イーイベア ; Westye Egeberg) の9人いた子のうちの末の一人娘として生まれました。姓はシェラン島の都市イーイビェア (Egebjerg) に由来します。外科医であった兄のクリスティアン・アウグスト (Christian August Egeberg, 1809 - 1874) はチェロをたしなみ、その娘 (フレドリッケの姪) であるアンナ (Anna Egeberg, b. 1843) とフレドリッケ・リンブー (Fredrikke Lindboe, née Egeberg) は作曲家になりました。家族ぐるみの友人であったオーレ・ブル (Ole Bull, 1810 - 1880) とは、私的に室内楽の演奏を楽しむ仲だったようです。

出典: Fredrikke Egeberg | Norsk biografisk leksikon

2015-11-29

150th Birth Anniversary of Emil Kronke

Emil Kronke (Germany, 1865 - 1938) - 4 Deutsche Tänze, Op. 65; II. Giocoso grazioso (B flat major)

今日はドイツの作曲家・ピアノ奏者、エミール・クロンケ生誕150年の誕生日です。今回はクロンケ作曲「4つのドイツ舞曲 Op. 65」より第2番変ロ長調を弾きました。

プロイセン王国プロイセン州 (Provinz Preußen) ダンツィヒ (現在のポーランド領グダニスク) に生まれたエミール・クロンケは、ライプツィヒ音楽院カール・ライネッケカール・ピウッティ、オスカー・パウル (Oscar Paul, 1836-1898) に、次いでドレスデン音楽院ジャン・ルイ・ニコデテオドール・キルヒナーフェリクス・ドレーゼケに師事しました。その後はドレスデンを拠点に活動します。

作曲家としては管弦楽曲、ピアノ協奏曲 Op.72、室内楽曲、ピアノ曲などを書いていて、その中でもフルートを含む室内楽曲が良く演奏されています。編曲の分野では、フランツ・リスト、ジョルジュ・ビゼー、エドヴァルド・グリーグといった他作曲家の作品を2台ピアノ用に編曲しています。ライプツィヒのシュタイングレーバー (Steingräber) が出版したショパン作品集の校訂者でもあり、クロンケの作品の中には Chopin-Etüden, Op. 23 といったものもあるようです。

2015-11-06

Josef Hofmann - Prélude in A minor, Op. 30 No. 2

Józef Kazimierz Hofmann (Poland, 1876 - 1957) - 8 Préludes pour le piano, Op. 30; No. 2. Allegro in A minor

ユゼフ・ホフマン作曲「8つの前奏曲 Op. 30」より第2番イ短調を弾きました。ホフマンは手が小さかったと伝えられるものの、この曲では左手で10度を軽くつかめるようでないと難しい箇所が出てきます。1903年に出版されたこの前奏曲集の調 (C, a, G, e, D, h, A, As) を見ると五度圏による配列になっていますが、もしかしたら全調24曲の前奏曲集とする構想があったのかもしれません。

幼くしてピアノ奏者として活動したホフマンですが、1888年から1894年にかけてアントン・ルビンシテイン、ハインリヒ・ウルバン (Heinrich Urban, 1837 - 1901)、モーリッツ・モシュコフスキオイゲン・ダルベールに師事し、作曲も学びました。本名のほかにミヒェル・ドヴォルスキー (Michel Dvorsky) の変名でも作品を出版していたようです。

2015-11-05

Ignatius de Orellana - Melodic Study No. 4

Ignatius Antonio de Orellana (England, ca.1860 - 1931) - 24 Melodic Studies for Pianoforte; No. 4 in A major.

イングランドの作曲家イグネイシャス・デ・オレヤナ作曲「ピアノのための24の旋律的練習曲」より第4番イ長調を弾きました。ジャージー島セント・ヘリアのスペイン系の家庭に生まれたイグネイシャス・デ・オレヤナは、ロンドンでヴァイオリンを学び、同地を拠点としてヴァイオリン奏者・指揮者・オーケストレイターとしても活動しました。

「ピアノのための24の旋律的練習曲」は1890年頃に出版されており、、全24調で書かれています。第4番イ長調は、前半が対位法的なアンダンテ、後半が右手の2分音符の和音と左手の16分音符の音階を組み合わせたアレグロの、2部からなる風変わりな構成です。

2015-11-02

150th Birth Anniversary of Sergey Yuferov

Sergey Vladimirovich Yuferov (Сергей Владимирович Юферов ; Сергій Володимирович Юферов ; Serge Yoûferoff, Ukraine, 1865 - 1927) - 6 Pièces pour bébé, Op. 50

No. 3. Doumka (Думка ; Dumka). Andantino

No. 6. Nocturne (Ноктюрн). Adagio

今日はウクライナの作曲家セルゲイ・ユフェロフ (セルヒーイ・ユフェロウ) 生誕150年の誕生日です。今回はユフェロフ作曲「幼児のための6つの小品 Op. 50」より第3曲「ドゥムカ イ短調」と第6曲「夜想曲 ニ短調」を弾きました。曲集の献辞には「我が親愛なる甥キリールに A mon cher neveu Cyrill 」とあります。

オデッサに生まれたセルゲイ・ユフェロフは、ペテルブルクでアレクサンドル・グラズノフとニコライ・クレノーフスキー (Николай Семёнович Кленовский, 1857 - 1915) に、モスクワでニコライ・グーベルト (Николай Альбертович Губерт, 1840 - 1888) とゲルマン・ラローシに師事しました。

2015-10-26

100th Death Anniversary of August Bungert

August Bungert (Germany, 1846 - 1915) - Aus jungen Tagen, Op. 9; No. 8. Auge in Auge. Andante (E flat major)

今日はドイツの作曲家アウグスト・ブンゲルト没後100年の命日です。今回はブンゲルト作曲「若き日々より Op. 9」より第8曲「見つめ合い」(変ホ長調) を弾きました。右手が1小節だけ先行する10度のカノンとして書かれています。

プロイセン王国ミュールハイム・アン・デア・ルール (Mülheim an der Ruhr) に生まれたアウグスト・ブンゲルトは、ギムナジウムの教師ハインリヒ・クッフェラートに音楽の才能を見いだされ、卒業後はケルン音楽院でハインリヒ・クッフェラートの弟フーベルト・フェルディナント・クッフェラート (Hubert Ferdinand Kufferath, 1818 - 1896) に師事しました。パリへの留学ののち、1874年に移ったベルリンでフリードリヒ・キール (Friedrich Kiel, 1821 - 1885) に師事しています。1876年と1878年には「若き日々より Op. 9」の第9曲までが出版されました。

2015-10-25

150th Birth Anniversary of Bolesław Grodzki

Bolesław Grodzki (Boleslav Viktrovich Grodzky ; Болеслав Викторович Гродзкий, Russia, born 1865) - Élégie pour piano (Элегия). Lento (D minor)

今日はロシアの作曲家ボレスワフ・グロツキ (ボレスラフ・グロツキー) 生誕150年の誕生日です。今回はグロツキ作曲「悲歌 ニ短調」を弾きました。

ボレスワフ・グロツキはペテルブルクのポーランド系の家庭に生まれ、ニコライ・ソコローフ (Nikolay Aleksandrovich Sokolov, 1859 - 1922) に師事しました。作曲家としては、ピアノ独奏曲、ヴァイオリンとピアノ、チェロとピアノのための二重奏曲、歌曲、合唱曲を主に書いています。

2015-10-24

100th Death Anniversary of Celestino Vila de Forns

Celestino Vila de Forns (Spain, 1829/1830 - 1915) - 6 Sonatas for Piano or Organ (pub. 1886); Sonata No. 2 in D minor; I. Allegro assai.

スペインの作曲家・オルガン奏者、セレスティーノ・ビラ・デ・フォルンス (セレスティ・ビラ・ダ・フォルンス) 没後100年ということで、ビラ・デ・フォルンス作曲の「ピアノまたはオルガンのための6つのソナタ」よりソナタ第2番ニ短調の第1楽章を弾きました。

カタルーニャのベイプッチ (Bellpuig) に生まれたセレスティーノ・ビラ・デ・フォルンスは、リェイダのセミナリオ (Seminari de Lleida ; Seminario de Lérida) で教会音楽を学び、ウエスカ大聖堂 (Catedral d'Osca ; Catedral de Huesca) とグラナダ大聖堂 (Catedral de Granada) の楽長を勤めました。

楽譜の表紙の “6 Sonatas para piano u órgano : adoptadas para la Enseñanza en la Escuela Nacional de Música y Declamación : compuestas por C. Vila de Forns, Maestro de Capilla de la Catedral de Granada” より、この「6つのソナタ」は Escuela Nacional de Música y Declamación (現在のマドリード音楽院 Real Conservatorio Superior de Música de Madrid) の教材として書かれたもののようです。各曲はいずれも 急-緩-急 の3楽章構成で、古典ソナタの様式となっています。被献呈者は曲ごとに6人いて、曲順に挙げると Emilio Arrieta (1823 - 1894), Dámaso Zabalza (1835 - 1894), Manuel Mendizábal (1817 - 1896), Valentín María de Zubiaurre (1837 - 1914), Mariano Vázquez Gómez (1831 - 1894), Juan María Guelbenzu (1819 - 1886) となります。この6人はみなスペインの作曲家です。

「6つのソナタ」の序文として書かれた文章を以下に掲載します。

Dictamen emitido por la Escuela
Nacional de Música y Declamacion.

Hay un sello que dice Escuela de Música y Declamacion. En contestacion á su atenta communication de 16 de Diciembre último suplicándome el nombramiento de una Comision de Profesores de esta Escuela para examinar las Seis Sonatas para Piano ú Órgano de su composicion que me remitió adjuntas, procedí inmediatamente al nombramiento de la misma, la cual, despues de evacuado su cometido, me comunica el dictamen que á continuacion trascribo:= = Excmo. Sr. = En cumplimiento de la orden de V. E. se reunió la comision nombrada para emitir dictamen acerca de las Seis Sonatas para Piano, presentadas por su autor Don Celestino Vila de Forns, maestro de Capilla de Granada. Examinadas atentamente las referidas obras, que revelan provechoso estudio de los modelos clásicos, y vista la correccion, buen gusto y pureza de estilo con que estan escritas, la Comision tiene el honor de manifestar á V. E. que las considera muy útiles para la enseñanza del Piano. Para que así conste, firmamos el presente dictamen en Madrid á 30 de Diciembre de 1885. = El Presidente = Manuel Mendizabal.= El Vocal. = Dámaso Zabalza. = El Secretario. = Mariano Vazquez. = Réstame manifestar á V, para su satisfaccion y efectos consiguientes, mi adhesion completa al dictamen anterior y que, en su consecuencia, quedan adoptadas desde este dia las referidas seis Sonatas como obra de testo en la enseñanza de esta Escuela. = Dios guarde á V. muchos años, Madrid 2 de Enero de 1886. = El Director = Emilio Arrieta. = Sr. D. Celestino Vila de Forns.

Es copia.



2015-10-22

150th Birth Anniversary of Borghild Holmsen

Borghild Holmsen (Norway, 1865 - 1938) - Fjordbilleder, Op. 17; No. 2. Baaten Driver. Moderato (E flat major)

今日はノルウェーの作曲家・ピアノ奏者、ボルギル・ホルムセン生誕150年の誕生日です。今回はホルムセン作曲の3曲からなる「フィヨルドの絵画集 Op. 17」より第2曲「ボートの船頭」変ホ長調を弾きました。題名からしても舟歌の類いと言っていいでしょうが、終始5拍子で同じリズムが繰り返されます。残りの2曲は第1曲「フィヨルドの風景」ニ長調と第3曲「大波」ハ長調です。

クロクスタに生まれ、7歳のときにクリスティアーニア (現在のオスロ) に移住したホルムセンは、アガーテ・バッケル・グレンダール (Agathe Backer-Grøndahl, 1847 - 1907) にピアノを、オット・ヴィンテ・イェルム (Otto Winter-Hjelm, 1837 - 1931) に音楽理論を師事します。それからライプツィヒでカール・ライネッケ (Carl Reinecke, 1824 - 1910) とザーロモン・ヤーダスゾーン (Salomon Jadassohn, 1831 - 1902) に、ベルリンでアルベルト・ベッカー (Albert Becker, 1834 - 1899) に師事しました。

欧米各地で演奏家として活動したのち、ベルゲン音楽院 (現在のベルゲン大学グリーグ・アカデミー) の教員となりました。

2015-10-17

150th Birth Anniversary of Preston Ware Orem

Preston Ware Orem (U.S., 1865 - 1938) - Piano Sonata in F major (Philadelphia: F. A. North, 1885); II. Andante quasi allegretto (B flat major)

今日は米国の作曲家・ピアノ奏者・オルガン奏者、プレストン・ウェア・オレム生誕150年の誕生日です。今回はオレム作曲「ピアノソナタ ヘ短調」より第2楽章を弾きました。

フィラデルフィアに生まれたオレムはペンシルベニア大学で音楽学の学位を取り、ヒュー・アーチボールド・クラーク (Hugh Archibald Clarke, 1839 - 1927) に オルガンと音楽理論を、チャールズ・H・ジャーヴィス (Charles H. Jarvis, 1837 - 1895) にピアノを師事しました。

「ピアノソナタ ヘ長調」は IMSLP に2楽章の楽譜が公開されていますが、それぞれの楽章がヘ短調のアレグロと変ロ長調のアンダンテということで、もしかしたら本来はヘ調の急速楽章が続いているのかもしれません。作曲家としてはほかにピアノ独奏のための「アメリカンインディアン狂詩曲 American Indian Rhapsody 」(Philadelphia: Theodore Presser, 1918) が知られています。

ハッピーバースデートゥーユー (Happy Birthday to You) はオレムを共作者の一人として1935年に著作権登録され、オレムの没年1938年はこの歌詞についての著作権保護期間算定の基準の一つとなっていました。ただし、この著作権登録に歌詞の権利は含まれていなかったとする米カリフォルニア州の連邦地裁の判決が2015年09月22日に下されたということです (「誕生日の歌『みんなのもの』=米で著作権無効の判断」、時事ドットコム、時事通信社、2015年9月23日)。

2015-10-08

100th Death Anniversary of Josef Krug-Waldsee

Josef Krug-Waldsee (Germany, 1858 - 1915) - Adagietto in D-flat major, Op. 44b

今日はドイツの作曲家・指揮者、ヨーゼフ・クルーク・ヴァルトゼー没後100年の誕生日です。今回はクルーク・ヴァルトゼー作曲「アダージェット 変ニ長調 Op. 44b 」を弾きました。この曲と「即興曲 ヘ長調 Impromptu, Op. 44a 」は、1902年に「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されました。

ドイツ南部のバート・ヴァルトゼー (Bad Waldsee) に生まれたヨーゼフ・クルークは、初期の音楽教育はほぼ独学で、1872年から1880年まではシュトゥットガルト音楽院 (現在のシュトゥットガルト音楽演劇大学) でヴァイオリン、ピアノ、歌唱、作曲を学びました。卒業後はドイツ各地で合唱指揮者や楽長などとして活動しています。

ハンブルクで活動していたディートリヒ・クルーク (Dietrich Krug, 1821 - 1880)、アルノルト・クルーク (Arnold Krug, 1849 - 1904) 父子などの同姓の音楽家との区別のために、生地のヴァルトゼーからクルーク・ヴァルトゼーと称したようです。1887年には合唱曲「ローター王 König Rother, Op. 25 」の初演で名声を得て、国際的に知られるようになりました。

2015-09-13

Issay Dobrowen - Etude in C sharp minor, Op. 13 No. 6

Issay Dobrowen (Russia, 1891 - 1953) - 7 Pièces pour piano à deux mains, Op. 13; No. 6. Etude cis-moll. Allegro molto

イサイ・ドブロヴェン作曲の「ピアノ2手のための7つの小品 Op. 13」より第6曲「練習曲 嬰ハ短調」を弾きました。

表記については英語読みを基にしたと思われるドブロウェンやドブローウェンといったものも見られます。ロシア語名ではイサーイ・アレクサーンドロヴィチ・ドブロヴェーイン (イサイ・アレクサンドロヴィチ・ドブロヴェイン ; Иса́й Алекса́ндрович Доброве́йн ; Isay Aleksandrovich Dobroveyn) となります。出生名での姓はバラベーイチク (バラベイチク ; Барабе́йчик ; Barabeychik) でした。

ロシア帝国ニジニ・ノヴゴロドに生まれたドブロヴェンは、1901年から1911年にかけてモスクワ音楽院でセルゲイ・タネーエフに作曲を、アドーリフ・ヤロシェーフスキー (Адольф Адольфович Ярошевский ; Adolf Adolfovich Yaroshevsky, 1863-1911) とコンスタンチン・イグームノフにピアノを師事し、金メダルを得て卒業。1911年から1912年にかけて留学先のヴィーンではレオポルト・ゴドフスキにピアノを師事しました。ロシア革命後の1923年にドイツに、のちにノルウェーのオスロに移住。以後は同地を拠点に指揮者・作曲家として活動し、1929年には市民権を得てノルウェーに帰化しました。

「7つの小品 Op. 13」はソ連を離れる前後に書かれた作品のようで、第6曲までは Muzgiz から、全7曲まとめてはヴィーンの Universal-Edition からのものが初版のようです。7曲の内訳は、スケルツォ、前奏曲、夜想曲 (即興曲と間奏曲)、練習曲 変ホ短調、パストラル、練習曲 嬰ハ短調、マズルカ・カプリスです。

1991年のフーズム城音楽祭でコーリャ・レッシング (Kolja Lessing, b. 1961) のピアノにより、「7つの小品 Op. 13」から前奏曲、マズルカ・カプリス、練習曲 (第4曲と第6曲のどちらかは不明) が8月20日に演奏されていて、そのうち前奏曲とマズルカ・カプリスについては録音が入手できます (Rarities of Piano Music at »Schloss vor Husum«, vol. 3, from the 1991 Festival. Danacord Records - DACOCD 389)。

2015-09-12

150th Death Anniversary of August Heinrich von Weyrauch

August Heinrich von Weyrauch (1788 - 1865) / Stephen Heller (1813 - 1888) - Nach Osten! (Lebewohl ; Adieu (No. 1) from "30 Lieder von Schubert übertragen von Stephen Heller")

今年はリガ出身のバルト・ドイツ人の作曲家アウグスト・ハインリヒ・フォン・ヴァイラウフ没後150年ということで、ヴァイラウフ作曲、ステファン・ヘラー編曲による「東へ」を弾きました。ヘラーによるシューベルト歌曲のピアノ独奏編曲集「30のリート」の第1曲「別れ」として収録されたものです。

カール・フリードリヒ・ゴットロープ・ヴェッツェルのドイツ語詞によるヴァイラウフ作曲の「東へ」は1824年に私家版として出版されました。1835年頃にパリでシューベルト作曲の「別れ」(Adieu!) として、 Mr. Bélanger による新たなフランス語詞とともに出版されて以後、ヴァイラウフが存命にもかかわらずシューベルトの作品とみなされます。1843年から1846年にかけてベルリンのシュレジンガー社 (Schlesinger) から、テオドール・デーラーによるピアノ独奏編曲 Adieu, mélodie de Schubert, Op. 45 No. 3、ドイツ語訳の「別れ」、フランツ・リストによるピアノ独奏編曲 Lebewohl, S. 563 No. 1 が出版されましたが、いずれもシューベルトの作品として扱われています。 (参照: Hyperion Records)

同時期の1845年頃にベルリンのハリアー社 (Challier) から、オリジナルの「東へ」(Nach Osten!) が出版されています。この版では、一連の取り違えについての作曲者ヴァイラウフ自身による文章が以下のように書かれています。

Dieses Gedicht ward bereits im Jahre 1823 von mir, der ich damals in Dorpat lebte, zu einer Zeit, in welcher von F. Schubert, wenigstens in Paris und St. Petersburg*; in welchen beiden Residenzen es, unter dem Namen des Letzteren, mit französischem unterlegten Texte, als „les Adieux“, bekannt ist, noch wenig die Rede war, unter den Augen der zahlreichen Freunde meiner Muse, von denen Viele noch am Leben sind, in Musik gesetzt, und als Probe aus meinen kurz darauf (1824) erschienenen älteren Liedern abgedruckt, wie ich dies durch das Datum der von der dortigen Universität ihm ertheilten Erlaubniss zum Druck beweisen kann. So ehrenvoll es auch nun für mich sein muss, wenn mein einfaches, für jeden Kenner im Character den Schubertschen wenig, dagegen aber dem deutschen Originaltext weit mehr, als dem unterlegten französischen entsprechendes Lied für eines von jenem nunmehr verklärten Meister gelte und als solches Aufnahme finden konnte – was indessen lediglich auf die Rechnung irgend eines Pariser Musikverlegers kommt, der das h.z.T. in Frankreich und England nur zu häufig vorkommende sehelmenwerthe Verfahren nicht scheute, einen erst auf Anerkennung harrenden Namen gerade, zu mit einem von bereits begründeten Rufe zu vertauschen, und jenen leichtsinniger oder boshafter Weise um seinen bescheidenen Lorbeer zu berauben, so finde ich mich doch, als wahrer Verfasser dieses Liedes, nach so manchen Jahren endlich veranlasst, dasselbe als das meinige vor der musikalischen welt in Anspruch zu nehmen. Suum cuique! Meine neueren Liedereompositionen mögen am besten beweisen, in wie fern ich jener früheren Leistung fähig war oder nicht, und ob ich meinerseits ein Interesse haben konnte, mich mit fremden Federn zu schmücken. Möge man mir also glauben oder nicht: ich sage nun mit reinem, nicht unfreudigen Bewusstsein: anch’ io sono pittore! ----

A. v. W.

* Anmerkung. Ist auch in neuester Zeit in Berlin durch Döhlers Transcription bekannt geworden. Dies Lied ist auch für Pianoforte allein erschienen.



2015-08-17

150th Birth Anniversary of Georg Haeser

Georg Haeser (Germany, 1865 - 1945) -
Elegie, e-moll (Neue Musik-Zeitung, 1905)

Skizze, F-dur (Neue Musik-Zeitung, 1906)

今日はドイツ出身の作曲家ゲオルク・ヘーザー生誕150年の誕生日です。今回はヘーザー作曲の「悲歌 ホ短調」と「スキッツェ ヘ長調」を弾きました。各曲は1905年と1906年に「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されました。記譜上ではそれぞれ3拍子と4拍子の曲ですが、どちらも変則的なリズムの面白さが際立った曲です。

ヘーザーはプロイセンのダンツィヒ (現ポーランド領グダニスク) に生まれ、ライプツィヒ音楽院で学んだのち、1894年よりスイスのチューリヒに移住し、同地でキュスナハト教員養成所 (Lehrerseminar Küsnacht (ZH)) ほか各校での音楽教師、合唱指揮者、「スイス音楽新聞 Schweizerischen Musikzeitung 」の批評家として活動しました。1905年から1933年にかけてバーゼル音楽院で理論と作曲の教師となり、バーゼル近郊のリーエン (Riehen) で亡くなりました。 (出典: スイス歴史事典 Historisches Lexikon der Schweiz)

2015-08-10

150th Birth Anniversary of Aleksandr Glazunov

Aleksandr Konstantinovich Glazunov (Александр Константинович Глазунов, Russia, 1865 - 1936) - In modo religioso, quatuor d'instruments à cuivre, Op. 38 (1892), Réduction pour piano à 2 mains (1893)

今日はアレクサンドル・グラズノフ生誕150年の誕生日 (グレゴリオ暦8月10日/ユリウス暦7月29日) です。今回はグラズノフ作曲「宗教的旋法で Op. 38」のピアノ2手編を弾きました。

原曲はB♭管トランペット、F管ホルン、テナートロンボーン、バストロンボーンの編成による金管四重奏のための小品で、帝室劇場管弦楽団トランペット奏者カルル・カールロヴィチ・サドーフスキー (Karl Karlovich Sadovsky ; Карл Карлович Садовский, fl. 1882-1900) に献呈されました。

2015-07-27

100th Death Anniversary of Johan Adam Krygell

Johan Adam Krygell (Denmark, 1835 - 1915) - Kleine Stimmungen ; Smaastemninger ; Moodlets, Op. 7

今日はデンマークの作曲家・オルガン奏者、ヨハン・エーダム・クリューゲル没後100年です。今回はクリューゲル作曲「オルガン (またはハルモニウム、ピアノ) のための『小さな気分』 Op.7」を弾きました。全8曲からなり、各曲には「憂鬱」、「夕べの気分、メロディ」、「思い出『また会おう』」、「朝の気分、メロディ」、「前奏曲」、「悲歌」、「恋人」、「別れ」という題が付いています。

ネストヴェズに生まれたクリューゲルは、画家を志していたものの後に音楽の道に転向し、1867年から創設されたばかりのコペンハーゲン音楽院 (現王立デンマーク音楽院) でニルス・ゲーゼ (Niels Gade, 1817-1890)、ゴトフレズ・マティソン・ハンスン (Gottfred Matthison-Hansen, 1832-1909)、ヨハン・ピーダ・イミーリウス・ハートマン (Johan Peter Emilius Hartmann, 1805-1900) に師事したのち、1874年よりアンガ奨学金 (Det anckerske Legat) によりドイツ、スイス、イタリア各地に留学しました。1880年より亡くなるまでコペンハーゲンの聖マタイ教会のオルガン奏者を勤め、即興の名手として知られたということです。

2015-07-21

150th Birth Anniversary of Robert Kahn

Robert Kahn (1865 - 1951) - Zwischen Sommer und Herbst, 11 Klavierstücke, Op. 67 (Berlin: Bote & Bock, 1920); No. 2. Langsam und schwermütig (C sharp minor)

今日はドイツの作曲家・ピアノ奏者・音楽教師、ローベルト・カーン生誕150年の誕生日です。今回はカーン作曲の「夏と秋の間、11のピアノ小品 Op. 67」より第2曲 嬰ハ短調を弾きました。

生地のマンハイムでエーミール・パウア (Emil Paur, 1855 - 1932) とエルンスト・フランク (Ernst Frank, 1847 - 1889) にピアノを、ヴィンツェンツ・ラハナー (Vinzenz Lachner, 1811 - 1893) に作曲を、ベルリンの王立高等音楽学校フリードリヒ・キール (Friedrich Kiel, 1821 - 1885) とヴォルデマール・バルギール (Woldemar Bargiel, 1828 - 1897) に作曲を、エルンスト・ルードルフ (Ernst Rudorff, 1840 - 1916) にピアノを、ミュンヘン音楽アカデミーでヨーゼフ・ラインベルガー (Josef Gabriel Rheinberger, 1839 - 1901) に作曲を、ハインリヒ・シュヴァルツ (Heinrich Schwartz, 1861 - 1924) にピアノを師事しました。1897年にベルリンに戻り母校の王立高等音楽学校で音楽理論と室内楽の教師となり、1903年から1930年まで教授を務めました。1912年からは作曲も教えています。ユダヤ人であったカーンはナチスによるユダヤ人迫害を逃れて1937年に家族とともに渡英し、イングランドのビデンデン (Biddenden) で亡くなっています。

教え子に以下の人物がいます。

追記: 加筆しました (2020-02-12)。

出典:



2015-07-16

Gustav Schumann - Mazurka de salon, Op. 8 No. 2

Gustav Schumann (Germany, 1815 - 1889) - 3 Mazourkas, Op. 8 (Berlin: Bote et Bock, 1853); No. 2. Allegretto (D fat major)

今年が生誕200年となるドイツの作曲家・ピアノ奏者、グスタフ・シューマン作曲の「サロン用マズルカ 変ニ長調 Op. 8 No. 2」を弾きました。楽譜は Le musée des pianistes (St. Petersburg: Brandus) に収録されているものを使用しました。

1815年3月15日にザクセン王国ホルデンシュテット (Holdenstedt. ウィーン会議の後にプロイセン王国ザクセン州に属する) で生まれたグスタフ・シューマンは、ベルリンでヴィルヘルム・タウベルト (Wilhelm Taubert, 1811 - 1891) に師事し、同地でピアノ奏者、音楽教師として活動します。1845年にはヴァイオリン奏者のヨハン・レンメルス (Johann Remmers, 1805 - 1847) とともにガリツィアモルダヴィアで演奏旅行を行いました。

出典: Ledebur, Carl Freiherrn von (1861). “Schumann, (Gustav)”. Tonkünstler-Lexicon Berlin's von den ältesten Zeiten bis auf die Gegenwart. Berlin: Berlin: Verlag von Ludwig Rauh. page 538.

2015-07-05

200th Death Anniversary of Johann Gottfried Wilhelm Palschau

Johann Gottfried Wilhelm Palschau (Denmark, 1741 - 1815) -
Sonata No. 5 in D major; II. Adagio in B minor

Sonata No. 6 in F major; III. Affettuoso in F minor

今日はドイツ出身の作曲家・鍵盤楽器奏者、ヨハン・ゴットフリート・ヴィルヘルム・パルシャウ没後200年の命日です。今回はパルシャウ作曲のソナタより、第5番 ニ長調 第2楽章「アダージョ ロ短調」と第6番 ヘ長調 第3楽章「アッフェトゥオーソ ヘ短調」を弾きました。

ヴァイオリン奏者ペーター・ヤーコプ・パルシャウ (Peter Jakob Palschau, ca.1708 - 1793) の子としてホルシュタイン公国に生まれたヨハン・ゴットフリート・ヴィルヘルム・パルシャウは、1747年頃に家族とともにコペンハーゲンに移ります。父はデンマーク王立管弦楽団のヴァイオリン奏者・ヴィオラ奏者となり、子のパルシャウは若き日よりハープシコード奏者の名手として知られました。

1754年からヨーロッパ北方の各地に滞在したのち1768年にはコペンハーゲンに戻りますが、1771年にはリガに、1777年以降はペテルブルクに移住し、演奏家や教師として活動します。リガではヨハン・ゼバスティアン・バッハの弟子の作曲家・鍵盤楽器奏者、ヨハン・ゴットフリート・ミューテル (Johann Gottfried Müthel, 1728 - 1788) と交友がありました。

2015-06-28

Scarlatti's Chefs-d'oeuvre (1791), selected by Clementi

Attributed to Domenico Scarlatti (Italy, 1685 - 1757) - Sonata No. 2 in F major, from “Scarlatti's Chefs-d'oeuvre for the Harpsichord or Piano-Forte, selected from an Elegant collection of Manuscripts, in the Possession of Muzio Clementi” (London, 1791)

1791年に出版された「ムツィオ・クレメンティの所有する手稿譜の優雅な曲集から選ばれたスカルラッティの主要作品」より第2曲ヘ長調を弾きました。この曲集はドメニコ・スカルラッティの鍵盤曲の中から12曲をまとめた曲集ということになっていますが、そのうちスカルラッティの真作とみなされているのは10曲です。

  1. Allegro assai, in F major, K. 378
  2. Andante cantabile, in F major [unidentifid]
  3. Allegro commodo, in F major, K. 380 [transposed from E major to F major]
  4. Cantabile, in D major, K. 490
  5. Allegro molto, in D major, K. 400
  6. Allegro di molto, in E flat major, K. 475
  7. Allegro, in E flat major, K. 381 [transposed from E major to E flat major]
  8. Un poco andante, in E major, K. 206
  9. Allegrissimo, in E major, K. 531
  10. Andante, in F minor, K. 462
  11. Allegro molto, in F minor, K. 463
  12. Allegro, in F major [Sonata, R. 5 by Antonio Soler]
この曲集については後に別の出版社によって、誤ってクレメンティの作品として出版されました。
『ムツィオ・クレメンティの所有する手稿譜の優雅な曲集から選ばれたスカルラッティの主要作品』は1791年に現れた。1803年、クレメンティの協力なしに、いや彼が知りさえしないうちに、ブライトコップ-ヘルテル社は彼の全集の出版に着手した。クレメンティは、ブライトコップ-ヘルテル社がこのような名誉を与えた3番目の作曲家であった。つまり、ハイドン、モーツァルトに対して同様の全集の企画が、前者は1798年に、後者は1800年に企てられている。クレメンティが1804年にライプツィヒに到着したとき、彼は自分の作品がすでに5巻出版されているのを発見した。その第5巻は、誤って彼の作品とされたスカルラッティやその他の古い時代の作曲家たちの作品まで含んでいた。
(レオン・プランティンガ Leon Plantinga 著、藤江効子 訳「クレメンティ 生涯と音楽」、音楽之友社、1993年、pp.193-194)

Gallica (フランス国立図書館の電子図書館) にある楽譜にも、同じ内容の曲集でクレメンティ作曲の「スカルラッティの様式により作曲された12のソナタ」 12 Sonates pour clavecin ou forte-piano composées dans le style du célèbre Scarlatti par Muzio Clementi, Opera 27e. (Paris: Lobry, 1792) とされているものがあります。

1838年から1840年にかけてカール・チェルニーによる校訂で25巻200曲からなる「ドメニコ・スカルラッティによるピアノのための全作品」 Sämmtliche Werke für das Piano-Forte von Dominic Scarlatti (Vienna:Tobias Haslinger, 1838-40) が出版されました。チェルニーは出典の一つとしてクレメンティの曲集を参照したとみられ、真作とみなされていない2曲 Czerny 195 (Clementi 2 [unidentifid]), Czerny 196 (Clementi 12 [Sonata in F major, R.5 by Antonio Soler]) と移調された2曲 Czerny 92 (Clementi 7, K. 381), Czerny 100 (Clementi 3, K. 380) も含まれています。

ソナタ Andante cantabile ヘ長調 (Clementi 2, Czerny 195) はチェルニーより後世の曲集でもスカルラッティ作として現れます。確認できたものを以下に挙げます。

これらのほかにもある、かつてはドメニコ・スカルラッティの作品とされながら現在では彼の真作とみなされていない作品の録音をいくつか見つけたので、参考のため挙げておきます。一覧の中で Buonamici, Granados としたのはそれぞれ Domenico Scarlatti, 22 Pieces for the piano, edited and fingered by G. Buonamici (New York: G. Schirmer, 1895), Domenico Scarlatti, 26 Sonatas inéditas para clave, compuestas en España para Familia Real (1729-1754), transcriptas libremente para Piano por el pianista compositor Enrique Granados (Madrid: Sociedad Editorial de Música, n.d.) の曲番号です。

2015-06-27

Friedrich Kalkbrenner - Fughetta alla Decima in F minor, Op. 20 No. 12

Friedrich Kalkbrenner (Germany, 1784 - 1849) - Étude pour le piano forte consistant en 24 exercices dans les tons majeurs et mineurs, Op. 20 (1825); Studio No. 12 in F minor

フリードリヒ・カルクブレンナー作曲の「全長短調による24のエグゼルシスからなるエチュード Op. 20」より練習曲第12番ヘ短調を弾きました。 C-Des-E の印象的な動機による対位法的な練習曲です。

グラドゥス・アド・パルナッスム Op. 44 を作曲したことでも知られる師ムツィオ・クレメンティから1820年にピアノソナタ 変ロ長調 Op. 46 を献呈されたカルクブレンナーは、5年後の1825年に出版されたこの曲集をクレメンティに献呈しました。ハ長調から始まって同主長短調の対を半音ずつ上げて全24調をめぐる配列となっています。

原題では単数形の Étude (エチュード) という単語が使われていますが、これはドイツ語の Schule に相当する用例のようで、個々の練習曲ではなく教本としての曲集のことを指すようです。19世紀初頭の曲集に、こういった題名のものがいくつか見つかります。フランツ・リスト作曲の「12の練習曲 S. 136」として知られる「全長短調による48のエグゼルシスとしてのエチュード Op. 6」については、前年に出版されたこのカルクブレンナーの曲集を意識して題名を付けたのかもしれません (参照: PTNAピアノ曲事典「チェルニー30番」再考 3.練習曲の定義の変遷 (1820年代-30年代))。

(括弧内は出版年)

追記 2015-11-29: 1880年頃に出版されたリトルフ版 (Etudes pour piano, op. 20. Braunschweig: Henry Litolff's Verlag. Catalog No. 1110) の練習曲第12番には "FUGHETTA ALLA DECIMA. Moderato. (♩ = 126.)" と書かれているようです。ミュッセによる複製版のページにサンプル画像がありました。「10度[の転回対位法]によるフゲッタ」の題や主題の類似からしても、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲「フーガの技法 Die Kunst der Fuge, BWV1080」の「コントラプンクトゥス 10. 10度の転回対位法による4声」を意識して書かれたものかもしれません。

2015-06-25

100th Death Anniversary of Rafael Joseffy

Rafael Joseffy (1852 - 1915) - Feuille d'album No. 1 in A major (New York: G. Schirmer, 1887)

今日はハンガリー出身でドイツや米国で活動した作曲家・ピアノ奏者、ラファエル・ヨゼフィ没後100年の命日です。今回はヨゼフィ作曲の「アルバムの綴り 第1番 イ長調」を弾きました。

オーストリア帝国領であったハンガリーの街フンファル (現在のスロバキア、プレショウ県ケジュマロク郡フンツォヴツェ Huncovce) に生まれ、ミシュコルツで少年期を過ごしたヨゼフィは、ブダペストでフリードリヒ・ブラウアー (Friedrich Brauer, 1806 - 1898) に、ライプツィヒでイグナーツ・モシェレスとエルンスト・フェルディナント・ヴェンツェル (Ernst Ferdinand Wenzel, 1808 - 1880) に、ベルリンでカール・タウジヒに、ヴァイマルでフランツ・リストにそれぞれ師事しました。1879年に渡米、それからニューヨークを拠点とし、同地で亡くなっています。

2015-05-09

150th Birth Anniversary of August de Boeck

August de Boeck (1865 - 1937) - Kinderdeuntjes, Ariettes pour petits et grands enfants, 12 morceaux faciles pour piano; No. 12. Gavotte (A flat major)

今日はベルギーの作曲家・オルガン奏者、アウフスト・ド・ブック生誕150年の誕生日です。今回はド・ブック作曲の「子供の曲集、小さな子供と大きな子供のためのアリエット集、ピアノのための12の易しい小品」より第12曲「ガヴォット 変イ長調」を弾きました。「子供の曲集」の各曲には「メヌエット」、「リート」、「セレナード」、「悪戯」、「夢」、「カプリス」、「マズルカ」、「田園 (羊飼いの歌)」、「おとぎ話」、「行列」、「悲歌」、「ガヴォット」といった題名が、オランダ語とフランス語で付けられています。

フランデレン地域のメルフテム (Merchtem) に生まれたド・ブックは、ブリュッセル王立音楽院 (1879-1891) でオルガン演奏、和声法、対位法、フーガを学んだのち、ベルギー各地で教会オルガン奏者や音楽学校の教師として活動しました。1930年以降の晩年は生地のメルフテムで過ごし、同地で亡くなっています。

2015-04-27

100th Death Anniversary of Aleksandr Scriabin

Yevgeny Pavlovich Pavlov (Евгений Павлович Павлов, 1894-ca.1925) - Valse à la mémoire de Scriàbine ; Вальс памяти Скрябина (1921)

今日はアレクサンドル・スクリャービン没後100年の命日です。今回はロシアの作曲家エフゲーニー・パーヴロヴィチ・パーヴロフ作曲「スクリャービンの思い出のためのワルツ 嬰ヘ長調」を弾きました。神秘和音の多用、ワルツの中の4連符にスクリャービンへのオマージュを感じます。

スクリャービンの作品については以前に録音したピアノソナタ 変ホ短調 第3楽章がありました。ここで併せて紹介します。

Aleksandr Scriabin (1872-1915) - Piano Sonata in E-flat minor, WoO 19 (1889); III. Presto

2015-04-16

150th Birth Anniversary of Charles-Augustin Collin

Charles-Augustin Collin (France, 1865 - 1938) - 5 Pièces pour piano solo (1913)
No. 3. Rêve (C major)

今日はフランスの作曲家・オルガン奏者、シャルル・オギュスタン・コラン生誕150年の誕生日です。今回はコラン作曲の「ピアノ独奏のための5つの小品」より第3曲「夢」を弾きました。この曲集の各曲は異なる人物に献呈されていて、この「夢」はレンヌ出身の詩人ルイ・ティヤルサラン (Louis Tiercelin, 1849-1915) に献呈されています。献辞ではティヤルサランのことを “Prince des Poètes Bretons” (ブルトンの詩人たちのプリンス) と讃えています。

シャルル・オギュスタン・コランは、同じく作曲家・オルガン奏者であったシャルル・ルネ・コラン (Charles-René Collin, 1827-1911) の子としてブルターニュのサン・ブリユーに生まれ、長じてからの生涯のほとんどをレンヌのノートルダム教会オルガン奏者 (1884-1935) として活動し、レンヌより南東に40 km ほどの街、ラ・ゲルシュ・ド・ブルターニュ (La Guerche-de-Bretagne) で亡くなりました。

2015-03-19

Fanny Mendelssohn-Hensel - Das Heimweh (Piano Solo Transcription)

Fanny Mendelssohn - Das Heimweh, H-U 129 (formerly attributed to Felix Mendelssohn as Op. 8 No. 2). Piano solo version as „Le mal du pays. Agitato, par F. Mendelssohn-Bartholdy“ from „Le musée des pianistes“ (St. Petersburg: Brandus)

ロシア・サンクトペテルブルクのブランドゥス社が出版した「ピアニストたちの博物館」に収録されているファニー・メンデルスゾーンの歌曲「郷愁」のピアノ独奏用編曲を弾きました。弟フェリクス・メンデルスゾーンの名で出版された「12の歌曲 Op.8」の第2曲がこの「郷愁」(フリーデリケ・ローベルト詞) で、これを含めた曲集中の3曲がファニーの作とされています。 「郷愁」は1824年から1825にかけて作曲され、1826年に「12の歌曲 Op.8」のうち前半6曲が、翌1827年に全曲が出版されました。その後、1829年にファニーは画家のヴィルヘルム・ヘンゼルと結婚しています。

「ピアニストたちの博物館」に編曲者の名は書かれていませんでした。原曲と同じニ短調で書かれていますが、原曲が3節ある有節歌曲であるのに対して編曲では繰り返しなしの1節で終わり、原曲の終結部を用いた序奏が付けられています。題名はドイツ語からフランス語に訳されていますが、原曲のものとほぼ同じ意味のようです。

2015-02-21

Pasticcio Variations on "God save the King" by Beethoven, Hummel and Kalkbrenner

Wiener Musikalisches Pfennig-Magazin für das Pianoforte allein, redigirt von Carl Czerny, 1ster Jahrgang, Nr. 45 (1834)
Nr. 115. Englisches Volkslied: God save the King, mit Variationen von Beethoven, Hummel und Kalkbrenner.

週刊の楽譜冊子 Wiener Musikalisches Pfennig-Magazin für das Pianoforte allein 第1年次第45号第115曲として出版された「イングランド民謡『神よ国王を護り賜え』とベートーヴェン、フンメル、カルクブレンナーによる変奏曲」という合作変奏曲を紹介します。前回の「『美しいミンカ』変奏曲」と同様に、この作品も編集者カール・チェルニーによるパスティッチョ変奏曲です。

Theme

Theme [God save the King]: Moderato (D major)

主題は現在ではイギリス国歌として知られる「国王陛下万歳」です。主題と3つの変奏はすべてニ長調となっています。

Var. 1: Beethoven

Var. 1 (D major) by Ludwig van Beethoven (1770-1827)
Variation 1 from Variations pour le Pianoforte sur le Thème: God save the King, in C major, WoO 78 (1802/3)

最初の変奏はチェルニーの師ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの初期の作品「『神よ国王を護り賜え』による7つの変奏曲 ハ長調 WoO 78」第1変奏をハ長調からニ長調に移調したものです。

Var. 2: Hummel

Var. 2 (D major) by Johann Nepomuk Hummel (1778-1837)
Variation 4 from Variations pour le Piano-Forte sur la Chanson: God save the king, Op. 10 (1794)

ベートーヴェンの友人であったヨハン・ネポムク・フンメルの変奏を次に配置しています。フンメル作曲「歌曲『神よ国王を護り賜え』による6つの変奏曲 ニ長調 Op.10」の第4変奏です。

Var. 3: Kalkbrenner

Var. 3: Allegro vivace (D major) by Friedrich Wilhelm Kalkbrenner (1784-1849)
Variation 8 from God save the King with 8 Variations for the Piano forte, Op. 18

フリードリヒ・カルクブレンナーはドイツ出身の作曲家ですが、主にロンドンやパリを拠点に活動していました。パリ音楽院卒業後、ヴィーンのヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガーの下で対位法を学んだという点では、ベートーヴェンやフンメルの弟弟子ということになります。その後、ヴィーンの音楽家の一人として「愛国芸術家協会 Vaterländischer Künstlerverein (ディアベッリのワルツによる50の変奏曲)」にも参加しています。1834年当時はパリでピアノ奏者、音楽教師、ピアノ製作者としても活躍していました。カルクブレンナー作曲「愛好された歌曲『神よ国王を護り賜え』による8つの変奏曲 8 Variations pour le piano-forté, sur l'air favori: God save the King, Op. 17」の変奏ではないかと考えます。

「『神よ国王を護り賜え』による8つの変奏曲 Op.18」の第8変奏でした。フランス語題の版と英語題の版では作品番号のずれがあるようです。 (2019-07-19 追記)

Pasticcio Variations on "Schöne Minka" by Leidesdorf, Hummel, Mayseder, Czerny and Ries

Wiener Musikalisches Pfennig-Magazin für das Pianoforte allein, redigirt von Carl Czerny, 1ster Jahrgang, Nr. 41 (1834)
Nr. 107. Beliebtes russisches Lied [Schöne Minka] mit Variationen von Leidesdorf, Hummel, Mayseder, C. Czerny und Ries.

週刊の楽譜冊子 Wiener Musikalisches Pfennig-Magazin für das Pianoforte allein 第1年次第41号第107曲として出版された「愛好されたロシア歌曲とライデスドルフ、フンメル、マイゼーダー、C.チェルニー、リースによる変奏曲」という合作変奏曲を紹介します。合作変奏曲とはいっても、フェルディナント・リース以外の4名が参加した「愛国芸術家協会 Vaterländischer Künstlerverein (ディアベッリのワルツによる50の変奏曲)」のように各者が委嘱によってこの作品のために変奏を書いたわけではなく、既存の変奏曲からの抜粋を編集者カール・チェルニーの手によって一つの変奏曲にまとめ上げられたもののようです。

モーツァルトは異なる作曲家によるソナタの楽章などを一つの協奏曲にまとめたものを7曲残し、それらはパスティッチョ・コンチェルト (Pasticcio concerto) として知られています。また、ヨハン・バプティスト・クラーマーの例で言えば自作のピアノ協奏曲第5番ハ短調 Op.48 の第1、第2楽章とモーツァルトのピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491 の第3楽章を組み合わせて演奏するということもあったようです (小岩信治「ピアノ協奏曲の誕生」、春秋社)。次回の「『国王陛下万歳』変奏曲」と同様に、この作品もパスティッチョ変奏曲と呼べるものでしょう。

Theme

Theme [Schöne Minka ; Їхав козак за Дунай ; Ехал козак за Дунай]: Allegretto (A minor)

主題はウクライナ民謡「コサックはドナウを越えて」(Їхав козак за Дунай ; Ехал козак за Дунай)。当時のドイツ・オーストリアでは「美しいミンカ」(Schöne Minka) の題で知られていました。

Var. 1: Leidesdorf

Var.1: Vivace (A minor) by Maximilian Josef Leidesdorf (1787-1840)
[Variations sur l'Air: Schöne Minka]?

マクシミリアン・ヨーゼフ・ライデスドルフはオーストリアの作曲家・音楽出版業者で、1834年当時はイタリアのフィレンツェを拠点に活動していました。ライデスドルフの作品に「歌曲『美しいミンカ』による変奏曲」がありますが、その中の変奏ではないかと考えます。

Var. 2: Hummel

Var. 2: Tutto legato (A minor) by Johann Nepomuk Hummel (1778-1837)
Piano Part of the Variation 1 from Adagio, Variations et Rondo sur un thème russe pour piano, flute et violoncelle, in A minor, Op. 78 (ca. 1818)

ヨハン・ネポムク・フンメルはプレスブルク (ブラチスラヴァ) 出身の作曲家・ピアノ奏者で、1834年当時はヴァイマルで音楽監督をしていました。フンメル作曲「ピアノとフルートとチェロのためのロシアの主題によるアダージョ、変奏曲とロンド イ短調 Op.78」第1変奏ピアノパートが基になっています。

Var. 3: Mayseder

Var. 3: Vivo e brillante (A minor) by Joseph Mayseder (1789-1863)
[Variationen über ein russisches Lied "Schöne Minka, ich muß scheiden", in E minor, Op. 1]?

ヴァイオリン奏者でもあったヨーゼフ・マイゼーダーは管弦楽曲や弦楽器のための室内楽曲を主に残しています。マイゼーダー作曲「ロシア歌曲『美しいミンカよ、別れねばならぬ』による変奏曲 ホ短調 Op.1」(ヴァイオリンを含む数種の編成による) の変奏を編曲したものではないかと考えます。

Var. 4: C. Czerny

Var. 4: Legato cantabile (A major) by Carl Czerny (1791-1857)

主題と他の変奏はイ短調ですが、このカール・チェルニーによる変奏だけはイ長調で書かれています。

Var. 5: Ries

Var. 5: Vivo e brillante (A minor) by Ferdinand Ries (1784-1838)
Variation 8 from 9 Variationen über ein russisches Lied, Op. 33 No. 2 (1809)

ベートーヴェンの下でのチェルニーの兄弟弟子にあたるフェルディナント・リースによる変奏をフィナーレにあてています。出版時のリースの動向はというと、フランクフルト・アム・マインからアーヘンに拠点を移し、同地で開催された1834年のニーダーライン音楽祭で音楽監督を務めています。リース作曲「ロシア歌曲による9つの変奏曲 Op.33/2」の変奏ではないかと考えます。

[追記 2019-02-22] 確認できた楽譜によると、リース作曲「ロシア歌曲による9つの変奏曲 Op.33/2」第8変奏が基になっています。原曲の変奏には発想記号はありません。

2015-02-13

Ferdinand Hiller - Choral on the motif G-A-C-B in G major, Op. 79 No. 8

Ferdinand Hiller (Germany, 1811 - 1885) - 8 Leichte Klavierstücke für seine kleine Tony, Op. 79 (pub. 1858); No. 8. Choral G-dur. Andante.

ドイツの作曲家フェルディナント・ヒラー作曲「小さなトニーのための8つの易しいピアノ小品」より第8曲「コラール ト長調」を弾きました。「行進曲風」、「タランテラ風」、「小奇想曲」、「ロマンツェ」、「小ロンド」、「スケルツォ」、「バラード」、「コラール」からなる曲集の終曲です。トニーというのは出版された1858年には8歳だった自身の娘、アントニー (Antonie Kwast-Hiller, 1850 - 1931) のことのようです。アントニーは後にオランダ出身のピアノ奏者ジェイムス・クヴァースト (Jacob James Kwast, 1852 - 1927) の最初の妻となります。

コラールは G-A-C-H の4音からなるモチーフ、いわゆるジュピター音型 (ハ長調の C-D-F-E) で始まります。この音型はモーツァルトが好んで使ったことで知られ、その名も彼の交響曲第41番ハ長調 K. 551 の俗称ジュピターから取られています。モーツァルトの弟子ヨハン・ネポムク・フンメルピアノソナタ第3番ヘ短調 Op. 20 第3楽章のフガートの主題にこの音型を用いました。そしてフンメルの弟子の一人がこのヒラーです。学習者のための性格的小品集といったものの終曲にこのコラールを配置するところに、古典に対するヒラーの敬意を感じます。曲の後半からスタッカートの伴奏が拍を刻む手法は、以前紹介したヒラー作曲のコラール (小組曲 Op. 197 第3曲) でも用いられています。

2015-02-11

Kimigayo, harmonized by Paul Fauchey

Hymne japonais [Kimigayo, the national anthem of Japan] (Paris: Philippo, 1915), harmonisé par Paul Fauchey (1858-1936).

100年前にパリで出版された日本の国歌「君が代」の楽譜のピアノ伴奏を弾きました。フランスの作曲家ポール・フォシェによって編曲されたもので、4小節の前奏と7小節の後奏、フランス語訳された歌詞が付いています。旋律はほぼ原曲通りですが、和声がフランツ・エッケルト (Franz Eckert, 1852-1916) のものと異なっています。プロイセン出身でブレスラウとドレスデンの音楽院といったドイツの音楽教育を受けたエッケルトによる和声が付いた楽譜ではなく、パリ出身でパリ音楽院で学んだフォシェによって新たに和声を付けられたものが、第一次世界大戦 (1914-1918) の最中のフランス・パリで出版されているというのは興味深いです。同じ主題で変奏曲 Hymne japonais. Thème et variations (Paris: Philippo, 1915) も書いたようですが、こちらも気になりますね。

フォシェは作曲家のほか、オルガン奏者・ピアノ奏者などとしても活動しました。カミーユ・サン=サーンス、ジュール・マスネ、テオドール・デュボワに師事し、パリ音楽院を和声法の一等賞を得て卒業。サン・ロック教会、サン・トマ・ダキャン教会の正オルガン奏者、パリ音楽院和声法教授、リリック座、オペラ・コミック座における音楽院演奏会協会の歌唱指導者・合唱指揮者を歴任しました。

[歌詞]

Nous voulons grand Empereur
Que tu règnes à jamais avec bonheur
Que toujours aux jours succèdent les jours
Que toujours tu règnes vainqueur sur nos cœurs!

[表紙] 大日本帝国陸軍の軍旗、同海軍の軍艦旗として使われていた旭日旗を背景に、仏塔と花木のある庭園、赤い顔の仮面、提灯、刀と鞘が描かれています。

2015-01-30

150th Birth Anniversary of Fritz Zierau

Fritz Zierau (1865-1931) - Hochlandsrosen (1906)

今日はドイツの作曲家・オルガン奏者、フリッツ・ツィーラウ生誕150年の誕生日です。今回はツィーラウ作曲のイ短調とト短調の2曲の小品からなる「高地の薔薇」を弾きました。

デムカー (現在のドイツ、ザクセン=アンハルト州タンガーヒュッテの一地区) に生まれたツィーラウは、マクデブルクと、ベルリンの王立音楽研究所 (ベルリン芸術大学教会音楽研究所の前身機関) で学び、1902年には王室音楽監督 (Königlicher Musikdirektor) の称号を得ています。前任者フランツ・ヴァーグナーがベルリンに去って空位となっていた、グーベン主教会のカントル・オルガン奏者、ギムナジウムの声楽教師の職を得て、1904年にグーベンに移住しました。以後1931年に亡くなるまで、グーベンの音楽文化の発展に貢献したということです。

作曲家としては、主教会で演奏するための自作のオラトリオ「弁護者キリスト Christus der Tröster」、「ヤイロ Jairos」のほか、「プロイセン教員新聞 Preußische Lehrerzeitung」、「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung」で作品を発表しています。 IMSLP には新音楽新聞に収録された室内楽やピアノのための小品がいくつかあり、この「高地の薔薇」も1906年発行の同紙に収録された楽譜です。

Fritz Zierau - Moment musical in E minor (1903)

以前にツィーラウ作曲の「楽興の時 ホ短調」を弾いていたので併せてここで紹介します。これは1903年発行の新音楽新聞に収録された曲です。

追記: 略歴を掲載しました。ツィーラウに関する新聞記事の情報を提供して下さったらいのっとさんに感謝します。 (2015-02-11)

参照: Männer, die Guben entscheidend prägten, 2006-11-08 | Lausitzer Rundschau

2015-01-02

100th Death Anniversary of Carl Goldmark

Carl Goldmark - Thème in E major (Album du Gaulois, No. 6)

今日はハンガリーの作曲家カール・ゴルトマルク没後100年の命日です。今回は様々な作曲家のピアノ曲、室内楽曲、歌曲からなる曲集 Album du Gaulois (1885年出版) に収録されているゴルトマルク作曲の「主題 ホ長調」を弾きました。この曲集ではゴルトマルクについて以下のように書かれています。

M. Goldmark est, après M. Brahms, le compositeur le plus en vue de l'École austro-allemande. Son rare talent s'est affirmé par des ouvrages très divers: ouvertures, symphonies, pièces d'orchestre, concertos pour violon, quatuors et drames lyriques. Son opéra de la Reine de Saba, créé à Vienne, en 1874, a obtenu un succès retentissant. M. Goldmark doit donner, l'an prochain (1885), une nouvelle partition dramatique: Merlin, sur laquelle on compte beaucoup. Ce maître autrichien est aujourd'hui dans toute la force de sa production.

150th Birth Anniversary of Alfred Tofft

Alfred Tofft (1865-1931) - Airs mélancoliques, 4 pièces pour piano, Op. 36 (1902); No. 4. Chanson oubliée (C major)

今日はデンマークの作曲家アルフレズ・トフト生誕150年の誕生日です。今回はトフト作曲の「憂鬱な歌、4つのピアノ小品 Op. 36」より第4曲「忘れられた歌」を弾きました。

デンマークの首都コペンハーゲンに生まれたトフトは商学を学びながらも、ヨハン・ヘンレク・ニーベロング (Johan Henrik Nebelong) にオルガンを、ギーオウ・カール・ボールマン (Georg Karl Bohlmann) に作曲を師事し、1887年よりコペンハーゲン聖ヨハネ教会のオルガン奏者に、1903年よりコペンハーゲンの新聞 Berlingske Tidende の批評家になりました。作曲家としてはピアノ曲、声楽曲、2つの歌劇 Vifikanda (1896), Anathema (1925) が知られています。1913年創立のデンマーク作曲家協会では初代会長を務め、音楽出版社との契約交渉に商学の知識を生かしました。